2021年2月11日木曜日

朝鮮戦争とコロンビア

朝鮮戦争にコロンビアが出兵していたことは、ガルシア=マルケスが記事に書いている。以下の本で読むことができる。

 


 

この記事は1954年12月、「朝鮮から現実へ De Corea a la realidad」と題して3回にわたって連載されたものだ。日本語訳では108ー122ページ。

以下の原書では、315-328ページ。



「国内では馴染みのなかった『帰還兵』という言葉が、第一次の派遣隊の帰国後間もなく流行語になった。」(108ページ)

ずいぶん昔にバランキーリャで知り合った方も、この戦争の帰還兵veteranosだった。1948年のボゴタ暴動以降、内戦に突入したこの国の人がはじめて国外の戦争に出かけていった。

「(…)一九五一年六月十九日、釜山で下船した彼らは、小柄で抜け目のない韓国大統領李承晩のじきじきのお迎えを受けたのだった。韓国の国家元首は、歓迎の挨拶をしたが、千六十三名の人間を共産主義者と戦うために派遣した、南米の国の名を公式の場で口にしたのは、おそらく、彼の生涯でこの時が初めてであったろう。」(109ページ)

最終的に戦争に送られたのは4000名に及ぶ。戦死したもの、負傷したもの、前線にはいかなかったもの、さまざまだ。

彼らがどのようなルートで韓国まで行ったのか。ガルシア=マルケスは、コロンビア兵が横浜で日本人女性と出会ったことに言及している。「太平洋方面に駐留中、コロンビア兵士はヨコハマで、少なくとも五日間の自由行動が許された」(111ページ)。では日本まではどうやって?

ずいぶん前のエントリーで紹介したフアン・ガブリエル・バスケスの短篇集『Canciones para el incendio』(2019)でわかった。

 

短篇「蛙 Las ranas」は朝鮮戦争の「帰還兵」の物語である。それによると、バスに分乗してボゴタから太平洋岸のブエナベントゥーラに行き、そこでアメリカのAiken Victoryに乗っている。船はハワイ・ホノルルを経由して、横浜に立ち寄り、そして釜山に着いたということになる。

もちろんその中には、どんな戦争にもいるように、兵士とは言えない者たちも含まれている。バスケスの短篇は、書いてしまうのはもったいない驚くべき内容だ。タイトルにある蛙は、ここでは、妊娠検査薬以前に用いられた方法で使用する生き物として登場する。

しかしこの短編集、すごい話ばかり……

2021年1月13日水曜日

『シャドー・ディール 武器ビジネスの闇』

あっという間に1月も半ばだ。

配給会社のご好意で、映画『シャドー・ディール』を観せていただいた。

この映画はベルギー人のヨハン・グリモンプレ監督による軍需産業の内幕を暴いたドキュメンタリーである。

監督はこの映画をエドゥアルド・ガレアーノに捧げていて、作品中で彼の『日々の子どもたち』と『鏡たちーーほとんど世界中の物語』からいくつかのエピソードが、ガレアーノの声で読まれる。

挿入される映像のうち一つは、グリモンプレ自身のサイトで見ることができる。

映画は多くのインタビューで構成されるが、マイケル・ハートと、そしてなんとヴィジャイ・プラシャド(『褐色の世界史』)も出ていて、プラシャドはかなり長く話している。

ブッシュの記者会見で靴を投げたジャーナリストも登場する。

1月30日からシアター・イメージフォーラムで公開。

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東京外国語大学出版会から出た本が届いた。

アルベール・サロー『植民地の偉大さと隷従』小川了訳、東京外国語大学出版会、2021年6月

 

表紙の写真、右のメガネの男が1922年植民地大臣のサローである。

2020年12月19日土曜日

ローラン・ビネ『文明』と網野徹哉『インカとスペイン 帝国の交錯』

ローラン・ビネ(1972年生まれ)の小説で、まだ邦訳は出ていないけれども、内容からして我慢できなくてスペイン語版を入手してしまった。

 

 

Laurent Binet, Civilizaciones, traducción de Adolfo García Ortega, Seix Barral, Barcelona, 2020.

タイトルは、『文明』だが、複数形だから『複数の文明』としておくべきか。

もしこうなっていたら、という歴史もの(スペイン語だとucroníaとかhistoria alternativa)で、インカ帝国最後の皇帝アタワルパが征服者ピサロに捕らわれず、ヨーロッパに逃げ出していたとしたら・・・? 彼は異端審問や印刷術を目の当たりにして、その後は?  

ビネによれば、この本の出発点はジャレド・ダイアモンドの「なぜピサロがアタワルパを捕らえたのか?」というもので、その問いに答えたくなってリマに旅をして・・・ということらしい。

エピグラフは二つ。

一つはカルロス・フェンテス『セルバンテスまたは読みの批判』からで、「芸術は、(大文字の)歴史が殺害したものに命を与える」 。

もう一つはインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガ。「連中のてんでバラバラで無秩序な暮らしぶりからすると、征服は実に簡単なことだ」。

450ページくらい。

ちょうど以下の本を読んでいた。

網野徹哉『インカとスペイン 帝国の交錯』講談社学術文庫、2018年。 



学術文庫版あとがきで、網野さん(1960年生まれ)は書いている。

「スペイン帝国の側から、アンデスの歴史に流れ込んでいるなにか不可視の水脈があるのではないか。その刹那、脳裏にある言葉が響きました。当時、私はドミニコ会士フランシスコ・デ・ラ・クルスの歴史的足跡を探求していました。本書にも登場する彼は、その危険な宗教思想を咎められ、一五七八年、異端審問によって火刑に処せられました。その彼が獄中で、なかば狂気にまみれながら発したのが、『インディオはユダヤ人の末裔である!私はその末裔の血を引く皇妃と結ばれ、ユダヤ人の王としてアンデスを統べるのだ!」という叫びでした。(中略)十七世紀の前半に、リマにおいて大きなユダヤ人迫害が発生し、当時大西洋で巨万の富を手にし、アンデス世界に深くくいこんでいたユダヤ系商人たちが、異端審問の業火に焼かれていたことを知りました。(中略)こうして、植民地インカ貴族と、大西洋を躍動したユダヤ人を通じて、スペイン帝国とアンデス世界を結びつける、本書の叙述の基調となる二つの水脈をかろうじて手にすることができたのです。」(358-359)

2020年12月14日月曜日

オカンポとカミュ

ビクトリア・オカンポとアルベール・カミュがやり取りした書簡集が2019年に出版された。

Victoria Ocampo, Albert Camus, Correspondenia(1946-1959), Penguin Random House, 2019.



カミュは1949年、船でブラジルに行き、1ヶ月ほど滞在。その後、モンテビデオを経由して、8月12日から14日までのわずか三日間をブエノスアイレスで過ごし、チリに向かった。

アルゼンチンは当時ペロン政権下で在アルゼンチンのフランス大使館から表現の自由はないよと言われていた。

オカンポの「Sur」誌はカミュの作品を掲載していたし、スール出版から『ペスト』も1949年前半に出版されていた。 

二人が知り合ったのは1946年のニューヨーク。ビクトリアはカミュの戯曲『カリギュラ』のスペイン語翻訳者。同じ年にパリで再会してもいる。

カミュはブエノスでの二泊をサン・イシドロのビクトリア・オカンポ邸(Villa Ocampo)で過ごした。カミュはこの屋敷を「『風と共に去りぬ』風の巨大な過ごしやすい家」と書いている。写真は2009年3月に訪れたときのオカンポ邸。そう見えますか?

 


 

 

2009年3月のこの日のオカンポ邸では、たまたま歌手のメルセデス・ソーサの姿を見かけた。

インタビューか何かを受けていたようにみえ、発売間近とされた2枚組アルバムの取材か何かだったのだろうと思っていたが、ネットで記事をみたら、アルバムのための写真撮影をここでやったらしい。

彼女が亡くなったのはそれから7ヶ月後だ。

2020年11月28日土曜日

前便の続き+チリ小説2冊

授業の準備もあと少しのところまできた。

今回のコースにあたってまず参考にしたのは、放送大学の大学院のテキストである。

宮下史朗・井口篤『中世・ルネサンス文学』放送大学教育振興会、2014年。

執筆者は上記に加えて3名、つまり合計5名で、専門はフランス、イタリア、英語(イングランド)という布陣である。

これを横に置きながら、では同じ時代をスペイン語世界から見たらどうなるのか、ということを考えながら進めることにした。

アーサー王がらみでは、昨年幸運にも小谷真理さんからいただいた『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』(岡本広毅・小宮真樹子編、みずき書林)は最高だった。『金マビ』も読んでいます。

そのほかには十二世紀ルネサンスに関する本もおおいに参考にさせていただいた。例えば以下の本だ。

伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』講談社学術文庫、2006

 


 

南仏のトゥルバドールについて、オック語のtrobadorに由来するということを踏まえたうえで、「私は、これはどうもアラビア語から来ているのではないかと思います」と伊東さんはいうのである(250頁)。

「このようにトゥルバドールのもとの意味も、彼らが用いた楽器[リュート]もアラビア起源であるとすれば、この南仏に新たに巻き起こった愛の詩と音楽はアラビア世界と深く結びついていることが示唆されます。(中略)この賢王(el Sabio)[アルフォンソ十世]の宮廷においては、アラビアと西欧の文化の交流が活発に行なわれていたことは、よく知られています。もっともそれは十三世紀のことになりますが、こうした交流がもっと遡ってスペインの地で早くから行なわれていたと想像してよいでしょう。」(251頁)

「ですからスペインのアンダルシアからカタルーニャを経てラングドック、プロヴァンスから、ずっとイタリアの北部まで、文化的にひとつながりに連っていました。そして西欧中世の特色となった騎士道とか婦人に対する礼儀の理想は、イスラム教下のスペインで、一足先に形づくられていたのですね。」(264)

ヨーロッパで最も早く紙の生産をしていたのがやはりアラビア世界経由でのスペインであったというのは印刷術の歴史の中でよく知られている(アンドルー・ペティグリー『印刷という革命』)。そして紙工場があったのは地中海に近いバレンシアの街で、そこをエル・シードが立ち寄っていたりするのが面白い。

そして、伊東さんによれば、騎士道のあの愛の礼儀もまたスペインを通過しているということなのだ。スペインは騎士道のパロディが書かれるにふさわしい土地だったと言えばいいのだろうか。

ところで「騎士道」と日本語に訳したのは誰なのだろう。「道」をつけたところに興味がある。

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そんな合間にチリの小説。

Nona Ferández, La dimensión desconocida, Literatura Random House, 2017 


チリの軍事独裁のことと関わる小説では、ずいぶん前にも書いたかもしれないが、以下の本についてまとめないと、と思いながら。

Arturo Fontaine, La vida doble, Tusquets, 2010.

 


2020年11月22日日曜日

スペイン・ルネサンス

スペイン・ルネサンスの授業を楽しみながらやっている。「楽しみながら」の中に、半分か半分以上の痩せ我慢が入っている。

セルバンテス『戯曲集:セルバンテス全集第5巻』水声社、2018年。

書影だけ見ても厚さはわかるまい。1000ページをこえている。


「ペドロ・デ・ウルデマーラス」と「嫉妬深い老人」が面白かった。ペドロ・デ・ウルデマーラスは、『ラテンアメリカ民話集』(三原幸久編訳、岩波文庫、2019年)にも入っているような、民話によく出てくる悪漢(ピカロ)。

「嫉妬深い老人」は幕間劇で、『模範小説集(邦題『セルバンテス短篇集』岩波文庫)』のなかの一篇「やきもちやきのエストレマドゥーラ人」とベースは同じ話。

若妻を閉じ込めておく老夫だが、しかしどんな鉄壁の防御にもすきがある。「やきもちやき…」では黒人奴隷が、そして「嫉妬深い老人」では隣家の女が、欲望をもてあます若妻のために手助けするのだ。

小説でも演劇でも、間男を連れ込む/忍び込む手練手管が見せどころということ。エンタメ要素が多いにある。

「やきもちやき…」を読んだときに、これは「やきもち」というレベルではないと思ったが、多分それもあって、こちらの劇作品の訳者は「嫉妬深い」にしたのではないか。女性の性欲を支配しようとしてもできない男の哀しみ。
 

スペイン・ルネサンスを冠した本といえば、やはり以下のものは抜きにはできない。

 

 

増田義郎『新世界のユートピア スペイン・ルネサンスの明暗』中公文庫、1989年。

この本は、そもそもは1971年、つまりはなんと今から50年前に研究社から出版されたものなのだ。それに驚いてしまうが、18年後に書かれた文庫版のあとがきで、増田義郎(1928-2016)は、こういう風に書いた当時のことを振り返っている。

「(前略)戦後まもなく、ふとしたことからスペイン語圏に興味を持ったひとりの人間が、スペイン、中南米、アメリカ合衆国で、本や史料をさがし、読みあさったあげくに、その読書のあとを辿って書いた、スペイン・ルネサンス試論である。スペインの歴史や文化には、われわれを引きつける興味ぶかい事実がたくさんあること、また十六世紀スペイン史は、近現代史の焦点となる多くの問題点をはらんでいることなどを世間に訴えたかったのだろう。」

増田がこの本で言及している騎士道物語、半世紀前には翻訳がなかったが、『ティラン・ロ・ブラン』『アマディス・デ・ガウラ』『エスプランディアンの武勲』までが日本語で読める。

すごいことだ。

2020年11月21日土曜日

村上龍『アメリカン★ドリーム』/アンドレス・フェリペ・ソラーノ『熱の日々』など

村上龍の『アメリカン★ドリーム』(講談社文庫、1985年)を読んでいたら、へえと思うような内容が。


「(前略)横田基地の周辺を描いたこの小説[『限りなく透明に近いブルー』]では、アメリカ兵から麻薬を貰い、アメリカ兵の性器を受け入れ、アメリカ(イギリス)の音楽を好む日本人の若い男女が描かれていた。/それが、「日本は今だに占領されている」という意識を持つ批評家を不愉快な気分にさせたのは当然だ。恐らく私のこのデビュー作は、後年、日本の「被占領性」を露呈したものとして、判断が下されるだろう。」(134ページ)

ちなみに、ここの「批評家」とは柄谷行人のことである。この話はいろんなところで見聞きした記憶がある。村上龍はバブル時代に、『Ryu's Bar』というテレビ番組とかもやっていたし、そこだったかもしれない。

そしてもっと面白いのが以下の一節。

「当時、江藤淳は、「…………ブルー」を酷評した。「植民地文学」「サブ・カルチャー」という言葉が使われた。江藤淳もさぞかし不愉快だったのだろう。気付いていたからだ。「植民地文学」と「サブ・カルチャー」しか残っていないと気付いていたからである。江藤淳は、もし小説家だったら、三島、川端に続いて自決していただろう。入水か薬物と言うオーソドックスな方法で。私達は江藤淳氏死すの報に接していたはずだ。それほど鋭い人物である。」(135ページ)

江藤淳(1932-1999)が田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を評価し、村上龍の『限りなく…』を酷評したのは知っていたが(この辺りは加藤典洋『アメリカの影』に詳しい)、村上龍は江藤淳に言われたそのことに応答しているわけだ。

このときの村上龍には想像できなかったが、江藤淳は本当に自殺する。

江藤淳のいう「植民地文学」というのは、「宗主国文学」というのがあって、それより低いものとしてある植民地の文学ということだ。

自分たちの日常を取り巻くあらゆるモノ(言葉や思想も)が自分のものではない占領状態にある。それを低レベルだとして、そこから抜け出して自己を打ち立てることが、優れた素晴らしいこととしている。憲法改正みたいに。

で、村上龍は江藤に対して、こう言うのである。「私は、最近、自分の役割が少しずつわかってきた。私は、日本の「被占領性」をさらに露呈させるために、小説を書くのである。」 

日本が占領されていることを明かしだてて、批評家連を苛立たせようというのが村上の試みというわけで、なるほど、そうしてみると、占領するアメリカを追い出した国であるキューバの音楽にいれこんで、ミュージシャンを連れてきたり、キューバ音楽本を出したりすることはそういうふうに読める。ほら、キューバはこうしているよ、日本にはできないでしょ、という。

キューバに絡んだ日本の作家というと、村上龍の20歳年上の小田実(1932-2007)はキューバ訪問のあと、ベ平連へ。

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以下は、最近届いたコロンビア作家の本。

アンドレス・フェリペ・ソラーノはコロンビア出身の作家。1977年生まれ。彼は2013年から韓国に住んでいる。その彼が韓国におけるコロナウィルスとのたたかいを本にした。

Andrés Felipe Solano, Los días de la fiebre: Corea del Sur, el país que desafió al virus, Editorial Planeta, 2020.

 


 

柳美里さんの受賞した全米図書賞の最終候補の一冊だったのが、コロンビアの作家ピラール・キンタナの本。

Pilar Quintana, La perra, Literatura Random House, 2020[初版2017].

2019年にはバスケスの短篇集が出ていました。

Juan Gabriel Vásquez, Canciones para el incendio, Alfaguara, 2019.


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岩波の世界』12月号、藤沢周さんが書評欄『読書の要諦』で、ガレアーノ『日々の子どもたちーーあるいは366篇の世界史』に触れてくださった。ありがとうございます。出版されてからそろそろ1年。この1年が過ぎつつある。この1年が。