朝鮮戦争にコロンビアが出兵していたことは、ガルシア=マルケスが記事に書いている。以下の本で読むことができる。
この記事は1954年12月、「朝鮮から現実へ De Corea a la realidad」と題して3回にわたって連載されたものだ。日本語訳では108ー122ページ。
以下の原書では、315-328ページ。
「国内では馴染みのなかった『帰還兵』という言葉が、第一次の派遣隊の帰国後間もなく流行語になった。」(108ページ)
ずいぶん昔にバランキーリャで知り合った方も、この戦争の帰還兵veteranosだった。1948年のボゴタ暴動以降、内戦に突入したこの国の人がはじめて国外の戦争に出かけていった。
「(…)一九五一年六月十九日、釜山で下船した彼らは、小柄で抜け目のない韓国大統領李承晩のじきじきのお迎えを受けたのだった。韓国の国家元首は、歓迎の挨拶をしたが、千六十三名の人間を共産主義者と戦うために派遣した、南米の国の名を公式の場で口にしたのは、おそらく、彼の生涯でこの時が初めてであったろう。」(109ページ)
最終的に戦争に送られたのは4000名に及ぶ。戦死したもの、負傷したもの、前線にはいかなかったもの、さまざまだ。
彼らがどのようなルートで韓国まで行ったのか。ガルシア=マルケスは、コロンビア兵が横浜で日本人女性と出会ったことに言及している。「太平洋方面に駐留中、コロンビア兵士はヨコハマで、少なくとも五日間の自由行動が許された」(111ページ)。では日本まではどうやって?
ずいぶん前のエントリーで紹介したフアン・ガブリエル・バスケスの短篇集『Canciones para el incendio』(2019)でわかった。
短篇「蛙 Las ranas」は朝鮮戦争の「帰還兵」の物語である。それによると、バスに分乗してボゴタから太平洋岸のブエナベントゥーラに行き、そこでアメリカのAiken Victoryに乗っている。船はハワイ・ホノルルを経由して、横浜に立ち寄り、そして釜山に着いたということになる。
もちろんその中には、どんな戦争にもいるように、兵士とは言えない者たちも含まれている。バスケスの短篇は、書いてしまうのはもったいない驚くべき内容だ。タイトルにある蛙は、ここでは、妊娠検査薬以前に用いられた方法で使用する生き物として登場する。
しかしこの短編集、すごい話ばかり……
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