授業の準備もあと少しのところまできた。
今回のコースにあたってまず参考にしたのは、放送大学の大学院のテキストである。
宮下史朗・井口篤『中世・ルネサンス文学』放送大学教育振興会、2014年。
執筆者は上記に加えて3名、つまり合計5名で、専門はフランス、イタリア、英語(イングランド)という布陣である。
これを横に置きながら、では同じ時代をスペイン語世界から見たらどうなるのか、ということを考えながら進めることにした。
アーサー王がらみでは、昨年幸運にも小谷真理さんからいただいた『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』(岡本広毅・小宮真樹子編、みずき書林)は最高だった。『金マビ』も読んでいます。
そのほかには十二世紀ルネサンスに関する本もおおいに参考にさせていただいた。例えば以下の本だ。
伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』講談社学術文庫、2006
南仏のトゥルバドールについて、オック語のtrobadorに由来するということを踏まえたうえで、「私は、これはどうもアラビア語から来ているのではないかと思います」と伊東さんはいうのである(250頁)。
「このようにトゥルバドールのもとの意味も、彼らが用いた楽器[リュート]もアラビア起源であるとすれば、この南仏に新たに巻き起こった愛の詩と音楽はアラビア世界と深く結びついていることが示唆されます。(中略)この賢王(el Sabio)[アルフォンソ十世]の宮廷においては、アラビアと西欧の文化の交流が活発に行なわれていたことは、よく知られています。もっともそれは十三世紀のことになりますが、こうした交流がもっと遡ってスペインの地で早くから行なわれていたと想像してよいでしょう。」(251頁)
「ですからスペインのアンダルシアからカタルーニャを経てラングドック、プロヴァンスから、ずっとイタリアの北部まで、文化的にひとつながりに連っていました。そして西欧中世の特色となった騎士道とか婦人に対する礼儀の理想は、イスラム教下のスペインで、一足先に形づくられていたのですね。」(264)
ヨーロッパで最も早く紙の生産をしていたのがやはりアラビア世界経由でのスペインであったというのは印刷術の歴史の中でよく知られている(アンドルー・ペティグリー『印刷という革命』)。そして紙工場があったのは地中海に近いバレンシアの街で、そこをエル・シードが立ち寄っていたりするのが面白い。
そして、伊東さんによれば、騎士道のあの愛の礼儀もまたスペインを通過しているということなのだ。スペインは騎士道のパロディが書かれるにふさわしい土地だったと言えばいいのだろうか。
ところで「騎士道」と日本語に訳したのは誰なのだろう。「道」をつけたところに興味がある。
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そんな合間にチリの小説。
Nona Ferández, La dimensión desconocida, Literatura Random House, 2017
チリの軍事独裁のことと関わる小説では、ずいぶん前にも書いたかもしれないが、以下の本についてまとめないと、と思いながら。
Arturo Fontaine, La vida doble, Tusquets, 2010.
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