2015年7月14日火曜日

キューバ文学(7)ヘミングウェイ

キューバ文学(6)で、カブレラ=インファンテから見たヘミングウェイについて触れた。

ノルベルト・フェンテスの『ヘミングウェイ キューバの日々』を見たところ、カブレラ=インファンテの書いたエピソードがそのまま載っていた。

バー、フロリディータでキューバ人作家リサンドロ・オテロと友人がヘミングウェイに話しかけると、「仕事をしているときに邪魔をするな」と言われ、あこがれていた作家の横柄な態度にがっかりする。

そのときヘミングウェイは、オテロといたキューバ人にふざけてパンチを放つそぶりを見せ、男がうまくかわすと、ボクサーになればいい、と言った。その後、ヘミングウェイが自邸フィンカ・ビヒアに彼らを招待し、後日訪れる。

カブレラ=インファンテの「自伝」では、彼もこのときにバーにいてヘミングウェイを見、また後日一緒にフィンカ・ビヒアに行ったことになっているのだが、フェンテスの本ではそのようには書かれていない。

カブレラ=インファンテは見てきたようなことを書くのが得意だから、ここもそういうことかもしれない。ただ彼がキューバを去ったあと、マドリードでヘミングウェイと会話をしたことが記されている(pp.285-286)。むしろ、「自伝」によればカブレラ=インファンテは映画『老人と海』(1958年)の撮影の取材をしていたようなのだが、この話はフェンテスの本には出て来ない。

いっぽう、『ヘミングウェイ キューバの日々』にはニコラス・ギジェンやカルペンティエル、サムエル・フェイホー(画家)のヘミングウェイ観も載っている。

ギジェンの詩「西インド会社」の冒頭をヘミングウェイは翻訳したらしい。「ヘミングウェイは実際にはキューバ人を知らなかった」(p.250)。

うかつなことに、エドムンド・デスノエスがヘミングウェイをどう見ていたのかもある。先日、『低開発の記憶』に関する論文を書いたところだった。この本も参考になったはずだ。

デスノエスによれば、「ヘミングウェイが旧スペイン植民地キューバに住まいを定めたのは、そこで、スペインと同じ言語が話され、スペイン文化の多くの要素が保たれているからだった。キューバは、スペインを愛するアメリカ人にとっては理想の住みかだった」(p.270)。

また、ノルベルト・フェンテスによれば、「キューバは、スペイン内戦の以前から、ヘミングウェイの関心おくあたわざる争乱、革命の地でもあった。1930年代初め、彼がキューバで学んだものは、『アフリカの緑の丘』のなかの会話に、要約したかたちで表現されている」(p.270)。

(続く)

2015年7月13日月曜日

アルゼンチン・ユダヤ系家族ドキュメンタリー

アルゼンチン出身のピアニスト、マルタ・アルゲリッチのドキュメンタリー映画がある。

『アルゲリッチ 私こそ、音楽』(2014)

監督はアルゲリッチの三女ステファニーである。

母を何年かかけて追ったもので、ワルシャワ、ジュネーヴ、ブエノスアイレス、そして別府のアルゲリッチ音楽祭のシーンも出て来る。新幹線で食事していたり、旅館でマッサージを受けながら、母娘で人生を語ったりしていたり。でも、面白いのは、一切その土地に関する説明が出て来ないことだ。

音楽家で旅をするのが普通とはいえ、世界こそ我が家というなんともスケールの大きい一家。

監督のステファニーのインタビュー(スペイン語)はこちら。

マルタ・アルゲリッチがスペイン語を話すシーンはブエノスアイレスで少しだけ聞ける。散歩しているのは、パレルモの公園ではないか。

ステファニーによれば、アルゲリッチは話せるのに、ほとんどスペイン語を話さないそうだ。フランス語と英語が主だ。

彼女がブエノスアイレスにいたのは、14歳のとき、グルダを師事する予定でヨーロッパへ渡るまで。

アルゲリッチのような有名人ではないが、同じような内容の、アルゼンチンのユダヤ系出身の家族ドキュメンタリーとして、『パピローセン Papirosen』(2012)がある。

ガストン・ソルニッキ Gastón Solnicki(1978年生まれ)が自分の一族を撮ったもので、これは制作に10年以上をかけている。トレイラーはこちら。

Papirosenはイディッシュ語でタバコを意味するとか? イディッシュ語のタンゴにPapirosenという曲がある。

2015年7月10日金曜日

フェルナンデス・レタマールの世界文学論(2)

(続き)

フェルナンデス・レタマールは、ゲーテとエッカーマンが対話した1827年1月31日を「あの記念すべき」日だとしている。

エッカーマンがゲーテの家に行くと、ゲーテは中国の小説を読んでいた。ゲーテはその小説についてコメントしたあと、自分の『ヘルマンとドロテーア』と比較して以下のように言った。

「詩は人類共通の遺産である(…)。国民文学は今日たいして意味がない、現代は世界文学 literatura mundial の時代であって、われわれは皆、その時代の到来を早めるように貢献しなければならない。」

フェルナンデス・レタマールはこのあと、さらに重要な引用を行なう。

この対話から21年後、ゲーテの熱狂的な信奉者であるマルクスとエンゲルスは『共産党宣言』(1848)で、 ヨーロッパのブルジョアのなした偉業、世界市場の巨大産業の創出、生産と消費が地球規模になったことについて述べたのち、以下のように言っている。

「このことは物質的な生産物のみならず、知的生産物についても言えることである。ある国の知的生産物はあらゆる人々の共通の遺産になる。国の窮屈さや排他性というのは日ごとに不可能になっている。数多くの国民的で局所的な文学から、世界文学 literatura universal が形成されているのだ。」(下線引用者)

これはレタマールが引用した『共産党宣言』の一節である。ここから先はレタマールの文章を引用する。

 「ヨーロッパの資本主義の拡大は、世界文学の生まれる前提条件となった。というのは、それは「世界の世界化」を用意したからである。しかしその前提条件は、資本主義の枠組みの内側で達成されることはできないであろう。その仕事はまさしく――さしあたり、未だ不完全な方法ではあるが――その枠組みを破壊するはずのシステムが行なうことになる。『共産党宣言』の冒頭にある有名な一節を忘れてはならない。「ヨーロッパに幽霊が徘徊している。」今日我々が知っているように、その幽霊を待っていたのは、ヨーロッパ以外の多くの道であった。
 したがって、いまだ、ひとつの世界は存在していない。1952年に人口学者のAlfred Sauvyが「第三世界」という表現を発明したとき――その才知あふれる名称の誤りにかかわらず、幸運に恵まれた表現であった(今日我々はほとんど納得がいかない)――、実にさまざまな思想家や指導者によってこの表現が広く受け入れられ広められたことは、世界の同質性が存在していないことを確認することであるだろう。まだこれ[世界の同質性]が存在していないとき、当然のことながら、世界文学であれ、普遍的な general 文学であれ、それはまだ存在していないのである。
 さて、懸案の問題である世界文学がまだ存在していないとするならば、どうして、それを対象とする理論が、観察が、啓示がすでに存在できるというのか?

(続く)

2015年7月9日木曜日

キューバ文学(6)カブレラ=インファンテ

カブレラ=インファンテの「自伝」とされるのはこの本。

Cabrera Infante, Guillermo, Cuerpos divinos, Gakaxia Gutenberg/Círculo de Lectores, Barcelona, 2010.

没後出版のため、未定稿だが、拾い読みをする限り問題はない。

「エル・パイース」によると、妻ミリアム・ゴメスは、読むのが怖い、自分がどんな風に書かれているのか心配だと言っていた。

1958年の革命直前から1962年までを扱い、二部構成の555ページ。

1962年、ブリュッセルにいるときに書き始めた作品。

文体がところどころ凝っていて、さらりと読み進められるわけではない。

登場人物の名前は、存命であれば仮名で、没後に本名にしていたという。カブレラ=インファンテは2005年に他界したので、それ以降に他界した人名は仮名のままだ。 

レアンドロ・オテロという人が出てくるが、リサンドロ・オテロ(1932ー2008)のことだろう。

1958年にまだキューバに住んでいたヘミングウェイとのエピソードが20ページほどある。バー、フロリディータでダイキリを飲んでいるヘミングウェイに話しかけるシーン。

今度時間のあるときに、ノルベルト・フェンテス『ヘミングウェイ キューバの日々』(晶文社)と照合してみよう。

2015年7月6日月曜日

キューバ映画(4)『ある程度までは Hasta cierto punto』[7月21日追記]


キューバ映画:『ある程度までは』(Hasta cierto punto)
監督: トマス・グティエレス・アレア
制作年:1983年

革命政権下における「マチスモ」について考察した映画。

映画内で、演劇とインタビュー映像がそれぞれ展開する入れ子構造になっている。

オスカルは劇作家で、監督のアルトゥーロの指示のもと、映画脚本を執筆しようとしている。撮ろうとしているのは「マチスモ」をテーマにした作品で、取材のためにハバナの港湾労働者にインタビューして、その模様を撮影する。この映像が映画内で流れる(入れ子構造①)。

オスカルもアルトゥーロも革命下では知識人階級に属し、比較的裕福な暮らしをしている(革命前はブルジョア階級)。それぞれ妻もいる。オスカルの妻はオスカル作の劇作品を演じる女優である。この劇作品も映画内で演じられる(入れ子構造②)
 
オスカルとアルトゥーロには先入観があった。それは、港湾労働者たちは「マチスモ」的価値観を持っているというものだ。革命が進み、マチスモは徐々になくなりつつあるが、労働者階級では、男が優位で、女を所有物として扱うという考えがしつこく残っているはずだと考えていた。

ところが取材で知り合った港湾労働者は想像とは違い、温度差はあるものの、男女平等を志向している。なかでも組合の会議で発言した女性にオスカルは目を奪われる。

サンティアゴ・デ・クーバ出身の彼女(リーナ)はシングルマザーで、女手ひとつで10歳の息子を育てていることがわかる。予想と違う展開にオスカルはアルトゥーロと揉める。

取材を続けるうち、オスカルはリーナに心を奪われる。リーナもオスカルに惹かれてゆく……

マチスモを乗り越え、革命理念を実現していたと思い込んでいたオスカルは、とっくにマチスモを乗り越えていたリーナとの恋愛を通じ、自分こそマチスモを体現していることに気づく。

 オープンエンドな結末である(先行研究でもそう解釈されている)。

リーナは前の恋人(子どもの父親)とひょんなことで再会し、関係を強要される。しかしリーナが男と会っているのをたまたま見てしまったオスカルは嫉妬に狂う。

その後、 飛行機に乗客が乗る場面が挿入され、リーナがサンティアゴへ帰ったようにも見える。しかし、オスカルの想像のようにも見える、はっきりとは確定できない場面である。

そしてオープンエンドであることを示すもう一つの理由。

劇中で演じられる劇は、フアン・カルロス・タビーオ(アレアの弟子)が制作した本物の演劇(La Permuta)である。この演劇もマチスモをテーマにしている。

(ちなみに劇中に流れるインタビュー映像も、本物の労働者へのインタビュー映像である。)

この演劇作品の最後は、主人公の女性が「台本」通りに演ずることを拒否して、台本を観客に向かって投げるところで終わる。つまり、あとは観客が決めなさいということだ。

この演劇の結末と重ねると、リーナとオスカルの結末は、映画を見た我々が決めなさいということだ。

映画の冒頭にはバスクの詩が引かれる。これは一つの結末を示している。


「Si yo quisiera, podría cortarle las alas y sería mía, pero no podría volar y lo que yo amo es el pájaro」

「できることなら、翼を切って自分のものにしてしまいたい、でも飛ぶことはできなくなるだろう。ぼくが愛していたのは鳥なのに。」

以下は余談。

映画のなかで、オスカルとリーナが高級ホテル「ハバナ・リブレ」で密会し、翌朝、オスカルがリーナをタクシーに乗せて自宅まで送る場面が出てくる。

このシーンを見たウェンディー・ゲーラはブログで、昔はこういうこともできたと言っている。つまりキューバ人が「ハバナ・リブレ」に泊まり、国内通貨でタクシーに乗ったりすることは、いまではありえないが、かつてはそうではなかったのだ、と。

[7月21日の追記:7月21日のエントリーを書くときに少し調べた結果、フアン・カルロス・タビーオの映画『交換します Se permuta』は、このエントリーの『ある程度までは』の劇中劇「La Permuta」が映画化されたのだということがわかった。制作年も同じ年(1983年)。ただ、両方ともが同じ内容のものだとは見ているときにはわからなかった。

2015年7月5日日曜日

フェルナンデス・レタマールの世界文学論(1)[7月11日修正]

読書メモ

Fernández Retamar, "Para una teoría de la literatura hispanoamericana"

・文学理論は後発であり、ラテンアメリカ(ここではスペイン語圏アメリカのこと)にはほとんど存在しない。文学史記述もまた20世紀に入ってから、最初は外国人によって書かれた。
 →Alfred Coester, Literary history of Spanish America, 1916.

・ラテンアメリカで最初の試みはコスタリカの研究者。
 →Roberto Brenes Mesén, Las categorías literarias, 1923.

・次ぐアルフォンソ・レイエスのEl deslinde: Prolegómenos a la teoría literaria(1944)は野心的。

・キューバ人ホセ・アントニオ・ポルトゥオンドは1945年Concepto de la poesíaを出版。これは大学へ提出した卒業論文だったが、副題の「Introducción  a la teroría literaria」は本にするとき削除。[この部分、7月11日に修正]

・これまで(このフェルナンデス・レタマールの論文が発表されたのは1972年)にラテンアメリカで書かれた唯一の理論書は以下のもの。
 Félix Martínez Bonati(チリ), La estructura de la obra literaria, 1960.

・そもそもどのようなものを文学理論とみなすべきなのか。学術書だけか?
 ラテンアメリカの場合、学術専門書や体系的な講義にとどめるべきではない。アルフォンソ・レイエスやポルトゥオンドはもちろんこと、エンリケス・ウレーニャやマリアテギなども入れるべき。さらに非ラテンアメリカの人びと、チェコやフランスやソビエトの研究者の著作も考慮するべきだ。

 さらに、作家たちの文章も考慮に入れるべき。ホセ・マルティ、ルベン・ダリオ、ボルヘス、カルペンティエル、レサマ=リマ、オクタビオ・パスなどなど。
 そもそも作家、批評家、理論家の仕事はラテンアメリカではあまり区別しないのが普通だ。(といっても、忘れてはならないが、作家の言う事を文字通りにはとるべきではない。)

・ラテンアメリカで書かれた文学理論書と、ラテンアメリカ文学理論書は区別するべきである。
 上に挙げた先駆的作品は「一般的な generales」文学理論書である。

・ポルトゥオンドはRené Wellek & Austin Warrenの「文学理論」を参照しているのだが、この理論書では「国民文学」研究にとどまらず、「ヨーロッパ的伝統」から論じられるべきとしている。

 しかしポルトゥオンドはここで、「ヨーロッパ的伝統」にのみ限定してはならず、「普遍的な universal」視点から研究するべきだとする。この点についてはWellekも同じような考えをしていたようで、Wellekも文学理論研究を、文学の原理や範疇、基準などを研究するものと定義している。

 そしてもっとも重要なこととして、レタマールがいよいよ指摘するのは、「そもそも理論研究が普遍的有効性をもつためには、文学が「普遍的」でなければならない」ということである。文学作品が普遍的でないときに理論を創出したとしても、それは個々の文学作品を通じて理論的実体が抽出されるというよりは、文学に対する理論の押しつけであり、となれば、それは理論ではなく、規範であろう。

・レタマールはここでゲーテを引く前にこう問うている。

「さてでは、そのような[普遍的な文学理論を抽出できるような]普遍的な文学、世界文学というものが、機械的な付加物ではなく、体系的な現実として、すでに存在しているのだろうか? 」

(続く)

キューバ映画(3)『疎遠』続き

映画『疎遠』の続き

この映画では、母の帰国から息子がボランティアに出発するまでの24時間を使って、革命のディスコースが提示される。


1959年以降の革命キューバのディスコースは「マルクス主義的近代」と呼ばれることがある。

この映画はそのなかでも、女性の役割について描いたものだとされる。

ブルジョア価値観を象徴するスサーナは母で、白人である。
革命価値観を象徴するアレイダは同士で、混血である。

母が連れて帰ってきた姪アナとレイナルドが二人だけで話す場面が長い。

再会場面では素っ気なかった二人だが、スサーナとアレイダがそれぞれ用事でいなくなると、アナとレイナルドが親密な関係にあることが示されて、どきりとさせられる。つまり、素っ気なかった再会は、実は見せかけ、あるいは照れ隠しだったのだ。

この長いシーンで、2人のキューバ人女性の作品が引用される。

ひとつはオマーラ・ポルトゥオンドの歌「20年 Veinte años」だ。

もうひとつは、ルールデス・カサルスの詩だ。

アナはレイナルドにとって幼なじみ。Intimacyそのものだ。

アナとレイナルドのあいだに、かつて恋愛関係があったこと、のみならず、母スサーナとの関係にも近親相姦があったかのような親密さが読み取れる。

最後、この2人と決別してレイナルドはボランティアへ出発する。 ブルジョア的価値観を背景にした親密さ、それはもう捨て去らなければならない。

しかし監督のヘスス・ディアスはこの映画のあと数年でキューバを去り、この映画をノベライズした『肌と仮面 La piel y la máscara』を出版する。同じようなストーリーながらも、キューバを出てから書いたこの小説はテイストが異なるのだ。ディアスの革命への考え方が変わったからだ。

この点についてはまたいつか。