2025年7月30日水曜日

7月30日

サルトルとボーヴォワールのキューバ訪問についての当時の記録の詳細が一冊の本にまとめられた。

Sartre y Beauvoir en Cuba: La luna de miel de la Revolución, Duanel Díaz Infante y Marial Iglesias Utset(Comp.), Editorial Casa Vacía. 




2025年7月29日火曜日

7月29日

ポール・オースターがポール・ベンジャミン名義で書いた推理小説『スクイズ・プレー』では、私立探偵のマックスが契約して車を停めている駐車場係にルイス・ラミレスがいて、彼は「出版されていることがわかっているあらゆる野球雑誌を読」み、3人の息子には「それぞれ異なるヒスパニック系の野球選手に因んだ名がつけられている」。そのうえ、マックスが9歳の息子リッチーを連れて駐車場に行ったとき、リッチーはそれまで恐竜に、昆虫に、そしてギリシャ神話に夢中だったが、今度は「ルイス・ラミレスと野球の話になった。ルイスはリッチーを詰所に招き入れると、野球に関する本と雑誌をリッチーに見せた。それはまさに深遠な数字と、曖昧な人格と、難解な戦略の神秘的な宇宙への招待のようなものだった。リッチーはそれでいっぺんに野球にはまった。ルイスはかくしてリッチーのウェルギリウスになった。この神々と半神半人と人の世界におけるガイドに。それ以降、私との外出はもはや駐車場でのルイスとの会議なしには完全なものではなくなった。リッチーは私が誕生日に買ってやった〈ベースボール・エンサイクロペディア〉の三分の二を暗記しており、どこへ行くにも野球カードのコレクションを持ち歩くようになった」(ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』田口俊樹訳、新潮文庫、88ページ、111ページ)。

2025年7月24日木曜日

7月24日

雑誌「The Big Issue」(507号)はデジタル民主主義を特集している。スペイン・バルセロナ市ではじまったdecidim[私たちが決める]で決められたこととして、「たとえば、住民が車道の使い方を決めた「スーパーブロック計画」は、車の通行を制限し、交差点を広場や遊び場に変えることで、歩行者優先のまちづくりを推進した」と書かれている。その結果「実際に導入された地区では、自動車の通行量が最大80%減り、大気汚染や騒音が改善されたほか、人が歩きやすくなって集客数が伸びたことから店舗数も増え、地域経済が活性化したことが報告されている」そうだ(6-7ページ)。また、台湾で進むデジタル民主主義について李舜志は以下のように語っている。「2015年に『Join』という請願プラットフォームがつくられ、高校生から『高校の始業時刻が早すぎて、十分に睡眠が取れない』として、始業時刻を遅らせてほしいとの請願が出されました」「それがそのまま採用されるわけではなく、専門家が睡眠科学の最新の研究に基づいた知見を示し、どのくらい遅らせるのが妥当かを学生グループや教師、保護者などと検討していきます」「請願の内容によっては意見が通らないこともありますが、その場合は通らなかった理由を政府や行政、専門家がきちんと説明することで市民も納得し、専門家や行政への信頼が生まれます」(11ページ)

2025年7月23日水曜日

7月23日

冷戦時代にペルー出身者(リカルド・ソモクルシオ)がパリでユネスコの翻訳官として生きていく物語であるバルガス=リョサの『悪い娘の悪戯』に出てくる、フリーランスの通訳者サロモン・トレダーノについてこう書かれている。「サロモンはエーゲ海に面したトルコの都市イズミルの、セファルディムの一家に生まれ、ラディノ語(ユダヤ・スペイン語)を話す環境で育ったことから、自身を「トルコ人というよりスペイン人、ただし五世紀ほど昔の」と見なしていた。父親は商人で銀行家であったらしいから、相当裕福な家庭だったに違いない。それというのも息子をスイスとイギリスの私立学校に送り、その後ボストンとベルリンの大学で学ばせることができたからだ。大学在籍中にすでにトルコ語、アラビア語、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ドイツ語を話し、ロマンス語学・ゲルマン語学を修めて卒業。その後、数年間東京と台湾で暮らし、日本語と標準中国語、台湾方言を学んだという。僕との会話はつねにスペイン語だったけど、噛みしめるような話し方で古語を連発していた。たとえば、ぼくら仕事仲間を"通訳"ではなく、古代アラブ語で"仲介者"を意味する"タルジュマン"と読んだりするから、皆に"タルジュマン"とあだ名されるようになった。スペイン語を話していると思ったら、本人も気づかぬうちにフランス語や英語、あるいは僕の知らない他言語に移ってしまうことも多々あって、その都度、話を一旦中断させては(彼に比べて)狭い言語環境のなかで生きている僕に配慮してくれと頼んだものだった。知り合ったときにはロシア語を習得中だったが、一年もすると会話も読解も難なくこなすようになり、難解なキリル文字と五年もにらめっこしていた僕は、あっというまに追い抜かれてしまった」(マリオ・バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社、163-164ページ。「セファルディム」には「十五世紀末にイベリア半島を追われて国外に移り住んだユダヤ人の子孫」と割注)

2025年7月21日月曜日

7月20日

昨日神宮のナイターに行った。8対7でスワローズが勝った。勝利投手はペドロ・アビラ。登場曲はジュニオル・ゴンサレス「幸せに生きる権利がある Tengo derecho a ser feliz」。真夏の夜に流れるスタンダード・サルサ。


 

2025年7月19日土曜日

7月19日

4月1日から7月31日までの学内会議・打ち合わせの回数は100前後。月平均で15から20だと思っていたけれども(たぶん前にも書いたはず)、それより多くて25近い。年間では270くらいになるのかな。

2025年7月18日金曜日

7月18日 バルガス=リョサ『激動の時代』訳者あとがき 全文公開

マリオ・バルガス=リョサ『激動の時代』(原題 Tiempos recios)がまもなく作品社から刊行になります。刊行に先立って、訳者あとがきが作品社のnoteで全文公開されています。

ある事情により、紙版には全文を収録することができませんでしたが、全文を掲載するスペースがあってありがたいです。




2025年7月16日水曜日

7月16日

1960年代初頭のパリについて、バルガス=リョサは『悪い娘の悪戯』で書いている。「奇妙なことに、僕【リカルド・ソモクルシオ、ペルー出身、パリでユネスコの翻訳官】の生活の変化と相まってパウル【リカルドの友人。ペルー出身、パリで左翼系セクトMIRのメンバーとしてペルーにも革命を起こそうとしている】の生活も一変した。(中略)僕がいわゆるお役所仕事のような職に就いてしまったのと、彼がMIRの顔として党大会や平和集会、第三世界の会報や核武装反対闘争、植民地主義や帝国主義の打開などなど、革新的な主義主張を訴える会合に出席すべく世界じゅうを飛びまわるようになったからだ。週に二、三回の割で、北京やカイロ、ハバナ、平壌、ハノイからパリに戻るや、電話をもらってカフェで会う。三十カ国から集まった五十の団体、千五百名もの代表者らを前に、ラテンアメリカにおける革命の展望を--それも、まだ具体的に何ら着手されていないペルーの革命を代表するかたちで--演説しなければならなかった。(中略)期せずしてパウルは国際的な大物になっていたのだ。僕がそのことを改めて認識したのはちょうどその年、一九六二年にモロッコ人革命指導者、通称”ダイナモ”ことベン・バルカ氏の暗殺未遂事件が発生し、新聞紙上を賑わしたときだった(その三年後の一九六五年十月、同氏はサンジェルマン・デ・プレのレストラン、シェ・リップを出た直後に誘拐され、いまだに行方不明のままだ)」(バルガス=リョサ『悪い娘の悪戯』作品社、42から43ページ)

2025年7月15日火曜日

7月15日

藤本一勇は書いている。「現在、研究者の世界でも、翻訳の仕事は、業績ポイント上での評価が低い。外国の書物を翻訳するには、外国語ができるばかりでなく、その国の歴史や文化にも精通している必要があり、また専門書の翻訳ともなれば、原書を理解しうる最先端の知識が必要になる。(中略)/このように知的にも倫理的にも大きな能力が必要とされる翻訳を軽視するような評価基準の制度化や社会的イメージは、独創的な研究や成果を促進するというよりも、むしろ知の地盤低下を招来する可能性が高いだろう。/こうした翻訳に対する過剰な軽視は、それ自体が従来の過剰な重視に対する反動である。(中略)翻訳蔑視はオリジナル重視という近代イデオロギーの反映であると同時に、また近代以前から続く神学的・形而上学的発想の残滓でもある。翻訳がなぜ貶められるのか。簡単に言えば、翻訳はオリジナルとの関係で「二番煎じ」と考えられているからである」(藤本一勇『外国語学』岩波書店、53から54ページ)

2025年7月13日日曜日

7月13日

バルガス=リョサ『激動の時代』(作品社)の書影。帯なしと帯あり。8月初旬刊行。




2025年7月12日土曜日

7月12日

カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオは書いている。「フロリダで保険に入っていない不法移民が経験することは、ほかの無保険の人びとのそれとさほど異なるわけじゃないけれど、それでも決定的な違いがあって、たとえ余裕があっても不法移民は保険を購入できない。この国をはじめどの西欧諸国でも右派が悪霊[ブギーマン]とみなすのは、病気の移民というイメージだ--健康保険制度への負担とされるもの、救急救命室や納税者にとってのお荷物。これを信じる人の考えを変えることにわたしがほとんど関心のないことは、何度でも言っておきたい。外国嫌いの人間[ゼノフォーブ]の考えを変えることを期待されるくらいなら、カミソリの刃を飲みこんだ方がまだまし。それでもこの病気の移民というブギーマンには興味があったから、わたしは調べてみようと思い立った」(カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ『わたしは、不法移民 ヒスパニックのアメリカ』池田年穂訳、慶應義塾大学出版会(84-85ページ)

自ら不法移民としての経験を持ち、その後ハーヴァード大学で学んだ著者は、本書を「クリエイティブ・ノンフィクション」と呼ぶ。「綿密な取材に根ざし、詩のように翻訳され、選択された家族によって共有され、ときに読むのが苦痛な本だ。ひょっとしたら読者の皆さんは好きになれないかもしれない」(13-14ページ)

2025年7月11日金曜日

7月11日

「そこでは、若い男女が十人ほど、歌を歌っていた。煉瓦の壁に囲まれたその場所で、歌声は反響し、暗い空へ吸い込まれていった。(中略)彼らは、手拍子を打ち、座っている椅子や箱を叩いて、ひときわ、声を張り上げた。聞き覚えのある歌。スゥイート・チャリオット、スウィング・ロウ・スゥイート・チャリオット。わたしがまだ育った街にいたころ、誰かが歌ってくれた歌だ」(柴崎友香『帰れない探偵』26ページ)

音楽を聴きたくなる本。「Swing Low, Sweet Chariot


2025年7月10日木曜日

7月10日

柴崎友香『帰れない探偵』(講談社)は「帰れない探偵」が世界をさまよう連作短篇集。収録されている最後の「歌い続けよう」のワンシーン。空港の展望デッキで、探偵はたまたま話しかけられた人と会話をする。

「(前略)わたしが通っていた高校を【子どもが】受けたいって言ってます。何年か前に移転して、すっかりきれいな校舎になってて」
「それはいいですね」
「わたしが高校のときすごく楽しかったって話をしょっちゅうしたからかも」
 わたしは頷いた。
 彼女からは、わたしはどう見えているだろうか?
「ライブイベントに行くん?」
 わたしは聞いた。彼女は懐かしい笑顔を見せた。
「チケットが当たらへんかったから、ここから同じ空気だけでもって。でもみんな考えることはいっしょやから、ここもあと二時間で閉鎖されて特別観覧席になるみたい。びっくりするような料金で」

2人の会話が東京弁から関西弁にスイッチするところが絶妙。探偵(わたし)は、それまでは「それはいいですね」と東京弁だったが、急に「ライブイベントに行くん?」と切り替える。そして相手も「チケットが当たらへんかったから」と答える。

2025年7月9日水曜日

7月9日

バルガス=リョサ『激動の時代』の書影が出ました。刊行予定日は8月6日です。版元ドットコム作品社のホームページ、アマゾンで確認できます。無事に刊行されるまで気が抜けません!

2025年7月7日月曜日

7月7日

メキシコの作家エレナ・ポニアトウスカは、パリに置き去りにされたロシア出身の妻アンジェリーナ・ベロフ Angelina Beloffがメキシコに帰った夫ディエゴ・リベラに宛てた1921年10月19日付の架空の手紙を書いている。「En el estudio, todo ha quedado igual, querido Diego, tus pinceles se yerguen en el vaso, muy limpios como a ti te gusta. 愛するディエゴ、アトリエは何もかも同じ、きみの絵筆はコップに立っている、きみがいつもそうするのが好きだったように、とても綺麗に洗われて」。(Elena Poniatowska, Querido Diego, te abraza Quiela, Seix Barral , p. 9) 

2025年7月6日日曜日

7月6日

現実ではなく記憶を書くことについて、ジェラルド・マーティンはガルシア=マルケスの伝記で書いている。「【構想があったが筆が進まなかった『百年の孤独』が一気に書けた】ガルシア=マルケスの身にいったい何があったのか? 長い年月を経たあとになぜこの小説を書けるようになったのか? 彼はぱっとひらめき、自分の少年時代ではなく[instead of a book about childhood]、少年時代の記憶について書くべきだと気づいた[ a book about his memories of his childhood ]。現実realityではなく、現実を写実的に描いた作品[a book about the representation of reality]にしなければならない。アラカタカとそこに住む人たちではなく、彼らの世界観を通して語らなければならない。アラカタカをよみがえらせようともう一度試みる代わりに、アラカタカの人びとの世界観を通して語る(中略)必要があった」(ジェラルド・マーティン『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』木村榮一訳、岩波書店、378ページ)。

息切れについて、柴崎友香は『帰れない探偵』で書いている。「どの大陸にやってくる低気圧や豪雨をもたらす前線も年々勢力を増し、甚大な被害が起きるようなっている。先週のニュースかと思って見ていたら今日の別の災害だったりさらに別の場所の災害だったりして、記録的な災害の度に行われる寄付の呼びかけやチャリティーイベントもこのごろは息切れしている」(『帰れない探偵』177ページ)。

民主主義を適切に維持するための活動も息切れ状態だ。無茶苦茶なことを言う人が権力を握ったりすれば(そういうことは実際に起きている)、その監視にも時間を割かなければならない。一日24時間をどのように使えばよいのだろうか。ありきたりのことだけれども、力を合わせる必要がある。他の人ができないときには自分が、自分ができないときには他の人が行動し、それを細々とでも続けて息切れしないように、と思う。民主主義的な手続きで選ばれた人が民主主義を否定することはままあるが、その後、その人にはなんらかの裁きが下される。しかしそれが起きるまでには多くの時間がかかる。本当に多くの時間と人命を引き換えにしないと裁きは下されないのだ。正しく声を上げ、それを人に伝え、それが広がっていく必要がある。帰れない探偵が出身の場所に帰ることができるのはいつだろうか?

2025年7月5日土曜日

7月5日

大崎清夏は「ハバナ日記」(『目を開けてごらん、離陸するから』リトルモア)で、2018年2月1日から10日にかけて、トロント経由で行ったハバナへの旅について書いている。「ブックフェアの人混みに揉まれ、ケティの後をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているうちに、スペイン語がわからないことに、というより、何もわからないまま誰かのあとをついていくしかないことに、いい加減、気持ちがばくはつしそうになってきた。さらに、実はアラマルを水曜日に引き払わなければならないことがわかり、それって今日じゃん。いつ行くの、次はどこに泊まればいいの?とケティに詰め寄ってしまった」(188から189ページ)。そして「ダニエルとカロリーナと一緒に詩の家に戻ると、扉が閉まっていて中に入れなかった。ええっ、スーツケースは?明日までスーツケースとはお別れだった。諦めて、ダニエルとタクシーに乗ってベダードに戻り、民泊の自分の部屋(があるって素敵!)でシャワーを浴びて、なんとか手持ちの服をやりくりして、グレーのタンクトップと、こういうときのために持ってきた大ぶりの三角ピアスでパーティー風に着替えた」(194から195ページ)。



2025年7月4日金曜日

7月4日

ガルシア=マルケスの語りの声は、政治制度に対しても、覇権的権力の倫理的な基盤に対しても、不遜であることで知られている。しかしその不遜さは、男性が女性に対して有する特権の神話を解体するにはいたらない。すなわち、男性性を能動的な性、攻撃性、知的探求、公的権威と並び立たせ、女性性を介護者や家事労働に矮小化するような伝統的ジェンダー階層は、彼の世界では自然化された要素である。とはいえ、逆説的なことに、彼の作品の女性たちが服従を許さない性格を持っていることも、彼のナラティブの際立った要素である。ガルシア=マルケスの女性たちは、本来的に従順ではないし、喜んで言いなりになっているわけではない。女性たちが家父長制的な期待を破ろうとする姿が描かれることで、ガルシア=マルケス世界にははからずも、カリブとラテンアメリカにおけるジェンダーと権力に内在する矛盾があらわれているのだ。(Nadia Celis-Salgado, The Power of Women in Gabriel García Márquez's world)

2025年7月3日木曜日

7月3日

柴崎友香は『帰れない探偵』(143-144ページ)で、「時間が時間の速度で過ぎた。静寂とはこういう時間のことをいうのか(後略)」「生まれて最初に聞いた言葉、話した言葉、友人たちと毎日どうでもいいようなことをしゃべり続けていた言葉は、わたしの中から消えない。長い間会っていない友人たちの声が、何十年も前に交わした言葉が、今もときどき聞こえてくる」「テラさんがあっというまに彼らの音楽に馴染んでいくのと対照的に、リズム感も運動神経もよくないので、わたしの太鼓はたどたどしかった。それでも、そのたどたどしいリズムに他の楽器の音が応答するように音楽が紡がれ、歌が響き、観客たちが声を上げた」と書いている。管啓次郎は朝日新聞(7月2日夕刊)で、ル・クレジオの『歌の祭り』を引きながら、パナマのワウナナ族の儀式について書いている。その儀式では「男も女も、子供も老人も、宙に吊るされた丸木舟のまわりに集い『祈りのように、音楽を奏でる』」「この踊りに『詩』がともなうと言うのではないが、その根拠は潜在的には言語であり、神話だ」


2025年7月2日水曜日

7月2日

「アレッホ・カルペンティエールは、みずからアメリカ大陸の偉大な小説家になることで、ラテン・アメリカの文学と芸術の資本設立における主導者、プロモーター、立役者となっている」「ラテン・アメリカ文学の特徴は今日でもなお、国家空間ではなく大陸空間のただなかにおける文学資本の創設という点にある。言語的・文化的統一のおかげで--政治的亡命によって知識人が祖国を離れ、大陸中を移動したことにも恵まれて--一九七〇年代初めのいわゆる「ブーム」の作家グループ(ならびに出版社)の取った戦略は、前提されたラテン・アメリカ的「性質」の産物である大陸的文体的統一を主張することであった」(以上は、パスカル・カザノヴァ『世界文学空間』岩切正一郎訳、297ページから299ページ)。岩切正一郎はフランス文学者・翻訳者で詩人。そしていま国際基督教大学の学長でもある。ここを参照してわかるけれども、今年の入学式の挨拶では、ハンナ・アーレントの言葉「思索はすべて孤独のうちになされる」を引用している。それ以外ではこんなことも言っている。「もともとサイエンスは『知ること』、アートは『技術』を意味する」(大意)。私自身もかつて大学でこれと同じようなことを聞き知ってきたし、それを今でも言うことが多いので、自分とつながっているな、と思ったり。ひとりの人間にできることは、孤独の中で、ある書物からある書物へと思うままに読み、その途中で授業や雑談で出てきた話が蘇り、へえ、あのときの話ってこういうことだったのか、おや、つながっているじゃないの、と感動したりしながら、またひとりの読書に戻っていくことだ。

2025年7月1日火曜日

7月1日

「その名が示すとおり、アマランタ・ウルスラはウルスラの子孫であるだけでなく、大叔母アマランタの後継者でもあり、アマランタの遺産には結婚への公然たる抵抗と、女性のエロティックな欲望の抑圧に対する密かな反抗が含まれている。ウルスラが近親相姦の断固たる反対者であった一方、アマランタはその祭司のような存在で、ブエンディア家の男たちに家系内の女性への欲望を育ませた者であった。アマランタとは異なり、また婚外の恋愛関係のために幽閉生活を強いられた妹メメとも異なり、アマランタ・ウルスラは結婚という枠のなかで自らの情熱を実現することに成功する」(Nadia Celis-Salgado, The Power of women in Gabriel García Márquez's world)