2016年7月5日火曜日

キューバ文学(26)ヘスス・ディアス 2

このところヘスス・ディアスの小説を読んでいる。

この作家については、以前のエントリーで書いた。 そして、彼の小説『シベリアの女 Siberiana』は論文「ポストソ連時代のキューバ文学を読む」で取り上げた。

20世紀のキューバ作家、とくに「革命文学」から「亡命文学」へ移った(移らされた)作家として、とりわけ興味深い。

それで彼の処女小説集である『困難な歳月 Los años duros』 を読んでみることにした。1966年の作品で、カサ・デ・ラス・アメリカス小説賞を受賞したものだ。小説を書いたときヘスス・ディアスは24歳だった。

100ページほどの薄い本だが、革命闘争にはじまり、革命が成就してからの砂糖黍刈りそして軍事訓練、ヒロン海岸を思わせる軍事衝突まで、いくつかの場面が切り出されている。100ページとは思えないほど内容が濃い。

男3人それぞれのヴィジョン(視覚映像)と意識の流れが組み合される。場面は多面的にとらえられる。まるでパズルのようなもので、読み進めていくにつれて不鮮明なところが埋まっていく。

ヴィジョンと意識の流れというのはつまり、「夢」と似ている。不鮮明な、場合によっては脈絡のない「ストーリー」。複数の夢=「ストーリー」を継ぎはぎしていくと、最終的には「革命物語」として完結される。
  
次に、亡命後の作品『キューバについて何か教えて Dime algo sobre Cuba』を読んだ。1998年のもの。

261ページ。舞台は1994年のマイアミ。キューバ人歯科医のマルティネスは兄の家の屋上に潜んでいた。

亡命キューバ人は「いかだ難民 balsero」としてフロリダ半島に漂着し、政治亡命を申請すればアメリカ合衆国が受け入れてくれることになっている(滞在許可などがもらえる)。そうでない場合、たとえばメキシコ経由でアメリカに着いた場合、「不法入国」扱いになる。漂着が「合法」で、メキシコ経由は「不法」。

マルティネスは後者に当てはまる。兄は一計を案じ、弟の外見がいかだ難民のようになるまで、屋上で一週間、食べ物もなしに陽を浴びさせる。

こうしてマルティネスは一週間飲まず食わずで過ごし(本当はそうではないのだが)、7月27日の深夜、フロリダ半島の先端に連れていかれ、いかだに乗せられる。北へ一時間も漕げば、港に着く。陸にあがったら政治亡命を申請すればいいーーこれが兄のアドバイスだ。

さて、マルティネスはどうなったのか?

ヘスス・ディアスが亡命したときに発表した「Los anillos de la serpiente」はここで読める。

1992年3月12日付の「エル・パイース」紙である。

1992年と言えば、1492年から500周年のあの年だ。7月25日から8月9日まで、バルセロナではオリンピックが開かれた。開会式のときハバナにいたことをおぼえている。

[ この項、続く]

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