2022年4月12日火曜日

4月12日 出版会のこと、「ピエリア」のこと、その他。

新学期も始まってほぼ1週間。あとは水曜日の授業が待っている。

東京外国語大学出版会のリレー講義(オンライン)が始まる。シラバスはこちら。この第1回が明日である。コーディネーターは、出版会から分厚い翻訳書を上梓されたばかりの野平宗弘先生。

出版会は毎年春、主に入学生を対象にしたブックガイド「ピエリア」を刊行している。この春にももちろん出て、図書館入り口や研究講義棟の1階ガレリアなどで配布している。

真冬の最中、強力な学生スタッフも参加して出来上がった冊子だ。この前、とある有名な作家の方と連絡を取ったら、その方のもとにもこの「ピエリア」が届いていることを知った…… 

この春の特集は「古典」で、そこではマヌエル・プイグの『蜘蛛女のキス』を紹介し、学生中心の企画「映像から地域を読む」では、ムヒカ元ウルグアイ大統領が外大に来た時の模様を収めた映画を紹介した。

かれが外大に来る折には、いろんな意見が飛び交って、すったもんだもあったような気もするが、今となってはもう遠い過去。こういう映画ができなければ、誰の記憶にも残らないのではないか。映像には、知っている顔も映っている。

書いていて思い出したが、ムヒカの講演の時、事前に質問を考えていたスペイン語専攻の学生たちが何人かいて、その1人が僕の横に座っていた。大きなホール、大人数の中で挙手するのは勇気がいるので緊張していて、手を挙げるべきかどうか、迷っていた。その迷う姿に妙に感情移入してしまったものだ。



そうそう、東京外大のFacebookやTwitterでも、レオナルド・パドゥーラ著、拙訳の『わが人生の小説』を告知していただいている。版元はAmazonに書影を載せないので、それはちょっとだけ残念。まあ仕方のないことだが。

大学HPに載せた訳者コメントはこちら。もっともっと長く長く、止めど尽くせぬコメントがこの本についてはあるのだが、それはまた別の機会に譲るしかない。

そういえば、この前キューバのGranma紙で、キューバの文学研究者アンブロシオ・フォルネー(Ambrosio Fornet)の訃報に接した。1932年生まれだから、89歳か90歳ということになる。かれには一度だけ挨拶というか、握手をしたことがある。優しい顔立ちで、simpáticoな人だった。1999年の夏で、その後、かれの本を読むたびに、あの時のあの人なんだよなあ、と思っている。

『わが人生の小説』の草稿を読んでパドゥーラに助言したのは、アンブロシオ・フォルネーである。

かれの本もざっと書影を掲げたいが、それはまた別の機会にしよう。

2022年4月2日土曜日

4月2日:近況 翻訳書出ます

水声社から翻訳書の見本が届きました。

キューバのレオナルド・パドゥーラ『わが人生の小説』です。






装幀は宗利淳一さん。

使われている絵はキューバの画家レネ・ポルトカレーロ(René Portocarrero, 1912-1985)のもの。

タイトルは『ハバナの風景』(1961年)。

パドゥーラの小説のカバーにポルトカレーロの絵!

下は帯。




タイトルからもわかるように、『わが人生の小説』は内容としても分量としても重く、翻訳中に押しつぶされそうで、わからなかったり、それが原因で進まなかったり、「わが人生の翻訳」になってしまうのではないかと不安になったが、どうにか完成にこぎつけた。どうしたものかと悩んでいた箇所は、幸運としか言いようがない人物との出会いによって乗り越えられた(訳者あとがきで少し触れています)。


この翻訳書については断続的に書いていく予定。


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読書会で読んでいた『ケルト人の夢』を3月末に読了。11月11日にはじめて全18回。今後は6月末のワークショップに向けて準備に入ります。

2022年3月25日金曜日

3月25日/キューバのウクライナ

ハバナ東部のビーチ、タララ(Tarará)は元々、キューバで学業優秀な子供が夏のひと時を過ごすために送られる場所だった。ボーイスカウトのキューバ版があって、スカウトされた子たちは、そこであれこれ訓練を受けるわけだ。もちろん子供達が楽しめるような娯楽施設も整っていた。80年代のキューバで少年少女時代を送った人たちにとって忘れ難い場所だ。

そこは、1986年のチェルノブイリ事故の後、1990年から、26000人以上の原発被害を受けた子供たち(ウクライナ、ロシア、ベラルーシの出身)を受け入れる場所にもなる(タララ小児科病院の設立)。そのプロジェクトは2011年ごろまで続いていた。

実際にここでキューバ人の子供たちと「ロシア人」の子供たちとの間でどれくらいの交流があったのかはわからない。治療が目的だったから、医師や看護に当たった人たちはともかく、子供同士はあまり付き合いはなかったのだろう。

2021年(つまり昨年)、アルゼンチンの映画作家エルネスト・フォンタン(Ernesto Fontan)はこれを題材にドキュメンタリー映画『タララ(Tarará)』を発表した。残念ながらそのドキュメンタリーを見ることは叶わないのだが、Youtubeにトレイラーがあり、記事もたくさんある。BBCスペイン語はこれ。他にもこれこちらは2009年のEl Paísの記事。ぜひ映画を見てみたいものだ。

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今年の春は、暖かくなろうとしているのか、まだ冬でいたいのかわからないような進み方で、例年なら卒業式の時期には桜も満開になり、桜もすっかり卒業式の花になってしまったと思ったものだが、まださっぱり咲いている感じはない。

季節が進んでいるのか止まっているのか戸惑うこの春という季節。変わっていくこと、新しい時が来ることへの不安というか、年齢的に下り坂に差し掛かっていると、竹内まりやの「人生の扉」ではないが、「この先[春を]いったい何度見ることになるだろう」という思いが身に沁みる。

こういうどっちつかずの時期に年度を入れ替えることになっているこの暦は、出会いや別れの演出にとってうまくいきすぎているような気がしないでもない。秋入学に切り替えるのは難しいのではないか。

南半球のアルゼンチンも基本的には3月や4月が新年度の始まりで、これは日本から長期の滞在で行く時にはありがたい。ちょうどセマナ・サンタ(聖週間)の連休があって、一息つける。でも3月から4月は向こうの秋の始まりだから、つまり欧米流ということになる。

そういえば、アルゼンチンでは厳密に3月の「秋分の日」(日本では春分の日)を秋の始まりと考えるらしく、3月半ばあたりに、「そろそろ秋ですね」などと日本における季節の挨拶感覚で言うと、「秋は3月××日に始まる」と返されたりする。

無事に卒業式も終わって、年度最後の会議も終わった。自分にとってはこの2年の間、教室で会った学生のことは忘れられないように思う。場を共有した人たちへの愛着、スペイン語でいうところのapegoというのは剥がれていくのに時間がかかるが、新しい方向に光も見えて、なんとかなりそうな気がしてきた。

写真は3月24日の多磨の桜。




2022年3月19日土曜日

3月19日 コロンビア・カリブの兄貴たち/中東現代文学選2021

中東現代文学研究会[編]/岡真理[責任編集]『中東現代文学選2021』が届きました。プロジェクトのHPはこちら



 


ここに、ルイス・ファヤッド「ベイルート最後の日」を翻訳しました。ファヤッドはレバノン系コロンビア人で、しばらく前からベルリン在住。

ファヤッド氏と面識はなかったので、翻訳するにあたって、コロンビアの研究者に連絡をとり、最終的にご本人とメールのやりとりができました。

彼の本では最近、長編『エステルの親戚(Los parientes de Ester)』が、CátedraのLetras Hispánicasに入っています。

Luis Fayad, Los parientes de Ester, Cátedra, 2019.



Cátedra版の解説を書いているのはホセ・マヌエル・カマチョ・デルガド氏(セビーリャ大学)なのだが、コロンビア・ハベリアナ大学のクリスト・フィゲロア(Cristo Figueroa)がかなり協力したようである。

最近のCátedra版の解説(というか実際には序論ではあるが)はやたらに長く、ファヤッド本の場合には、200ページ以上ある小説の長さには及ばないものの、150ページほどの序論である。長すぎやしないかと思うが、文献目録が充実しているわけでありがたい。ここにはコロンビアでお世話になった人の名前が出てくる。

クリストと最初に会ったのはもう20年以上前のこと、ハベリアナ大学の研究室を訪ねた。その時にはメールでやりとりするようなことはなかったが、2008年ごろだったか、カルタヘナでもう少し親しくなり、今回彼にメールしたらすぐにファヤッド氏の連絡先を教えてくれた。

その頃のカルタヘナには、作家のオスカル・コジャソス(Óscar Collazos)がいた。雑談しているときに、彼がキューバの「カサ・デ・ラス・アメリカス」に招かれ、ちょうど1969年から1970年ごろの緊迫した時代に、あの現場にいたことを教えてくれた。

ラファエル・ロハスの『安眠できぬ死者たち』(2006)が出た後だったからそんな話になった。コジャソスは、1970年ごろのレサマやピニェーラをみていたのだ。

このコジャソスは2015年に72歳で亡くなってしまった。Twitterでの彼のほぼ最後のツィートは忘れられない。病気で入院していることが伝わっていた彼が亡くなったとの誤報を流した記者がいて、本人がそれを否定した。

「まだ吠えている犬を殺すな(No mates al perro que todavía ladra)」

楽園の犬は吠えないなんてコロンブスしか言わない。このツィートから3、4日後、彼は亡くなった。こうありたいものだ。人は死ぬまで生きている。

そしてカルタヘナで知り合って、何から何までお世話になった友人アルベルト・アベーリョも亡くなってしまった。なんと61歳で。アラカタカ行きを手配してくれたのもアルベルトだった。

アルベルト・アベーリョ・ビーベス(Alberto Abello Vives, 1957-2019)は、カルタヘナのカリブ研究所の所長をしていたり、大学で教えていたり、いろんな肩書を持っている人ではあった。

彼が催したフィエスタには、バランキーリャのアリエル・カスティーリョ(Ariel Castillo Mier, アトランティコ大学)も来ていた。その頃、かつて4年連続で通ったバランキーリャのカーニバルに行けてなかったのでアリエルは言った。「バランキーリャはお前を許さないぞ!」

アルベルト・アベーリョ・ビーベスはバジェナート歌手のカルロス・ビーベスの親戚で(と言ったって、大勢いる親戚のうちの一人だが)、カリブのサンタ・マルタ出身。サンタ・マルタ出身者をスペイン語では「サマリオ(samario, samaria)」と言う。

アルベルトは、カルタヘナのバリオを隅々まで知っていて、現金でしか支払えない、地元の人しか知らないような、とても居心地の良いオスタルやレストランに連れて行ってくれたものだ。

観光客が中心のレストランに行ったりすると、こういうところはよくない、もっといいところがあるといいたげだった。どこを歩いてもどこに行っても必ず知り合いがいる町の名士だった。彼からのメールは「AA」で結ばれていた(AlbertoのAとAbelloのA)。

オスカルやアルベルト(やその他の研究者たち)はコロンビアにいる兄貴のような人たちだった。彼らはコロンビアのカリブ地方について、こちらの想像もつかないような大きなリスクを背負って書いているように見えた。

ファヤッド氏の短編を、こうしてコロンビアでの経験を生かして翻訳ができたことはとても嬉しい。オスカルとアルベルトと知り合っていなければ、この作品を翻訳することはなかっただろう。

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いよいよ桜が咲きそうな気配の中でピアノの練習をしたりして、できないところはいつまでたってもつっかえる。

写真は土曜日なのに大学での桜。


2022年3月6日日曜日

近況(2022年3月6日)

2年前のいまごろはキューバにいて、猫の写真を撮ったりしていた。

ちょうどコロナウィルスの危機が迫っている時で、空港でも普段はされたことのないメディカルチェックがあって、その後は宿泊先にも連絡が入り、近くの診療所に行かされた。でも思い出してみると、2009年の豚インフルの時にもハバナの空港職員は黒や緑のマスクをしていた。

2020年3月の猫写真を上のサイトにもっと載せてもらってもよかったのだが、例えば以下のような猫たち。






2年前はコロナがこんなことになるとは思っていなかった。そのころの記憶は凍結されたまま(というか体験が経験になる時間を経ないで)2年がすぎてしまったような気がする。

診療所に行かされたと言っても、実は宿泊していた宿の人は診療所から連絡があっても黙っていてくれて、痺れを切らした診療所から督促があったので、滞在の終わりごろになってようやく出向いた。行ってみると、担当の看護師さんに、「探してたんだから・・・」というような笑顔。




ここでまず最初にされたことは、身長測定と体重測定だった。え?ほんと?と思った。その後は診察をしながらカルテを書いていた。喉の痛みや咳がないかどうかを聞かれ、それでおしまいだった。

その時に乗った航路が復活しているのかどうかを調べてみたら、残念なことに、まず羽田からトロントまでのエアカナダの直行便がなくなっている。トロントからハバナへの航路も途絶えているようだ。現在、ネットでハバナ行きを検索すると、パリ経由の便が出てくる。パリとハバナの間にはフライトがあるわけだ。

ちょっとしたショックを味わった。なんだかキューバがとてもとても遠くに感じた。

それでも時は流れている。

いま、いくつかの仕事が手を離れ、一瞬の隙間が生まれている。そして苦手な春。2月の間は、早く暖かくならないものかと思っていて、今年はやけに長い2月だと感じたのだが、いざ春風が吹きはじめると、途端に辛くなる。すがるものがないような気がして…… (でも嬉しい知らせもあって、科研が採択されました!数年続けて落ちていたので…… 審査して評価してくださった先生方には感謝)


2年前のキューバとコロナ、そして今の戦争が強く結ばれて、ますます言葉にならない、言葉にできないことが、体の中でうなり続けているような感じ。

2年前(もうこれで何回目の「2年前」だろう)のキューバ滞在の時、「カサ・デ・ラス・アメリカス」の雑誌でフェルナンド=レタマール追悼号が出た後で、それを手に入れたりした。




ロシア文学やロシアの社会主義リアリズムのキューバでの展開について話を聞いたりしていた。その一部は、1年前の社会主義リアリズム文学研究会で発表した。その後、博士論文の審査があったりもしたのだが……。

戦争が始まった後、キューバに住んでいるロシア系キューバ人に電話をした。同じ世代の人で、話していて、なんとなく安心感がある。その人のお母さんはウクライナの人というか、ウクライナの人(祖母)とロシアの人(祖父)のあいだに生まれた人で、現在はベラルーシに住んでいる。え?ベラルーシなの?と思わず聞いてしまった。

キューバの事情としては、昨年7月に起きた大きな抗議行動以降、その人はSNSには触れないようにしているという。それでも元気そうだった。

ハードルが目の前にあることがわかっていて、それをどうやって乗り越えるか思案していくのであれば、それはまだましだ。

まずは目の前にあるのがハードルかどうかすらわからない。ハードルであることに気づくのにさえ時間がかかる。どちらかというと自分はそういうタイプだ。もしかしてハードルにつまづいて地面に転がっているのかもしれない。そしてそのことにも気づけていないのかもしれない。


もうあと一ヶ月で新しい年度がはじまろうとしている。

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バルガス=リョサの『ケルト人の夢』の読書会は順調に続いていて、3月中に読み終わり、6月末にはなんらかの形でワークショップをやろうと計画を立てている。

あ、そうそう。Instagramはじめました。リンクの貼り方わかりません。

今、過去のブログのエントリーを見たら、2年前にも猫の写真をあげています。

2022年1月21日金曜日

フランシスコ・オリェール(プエルト・リコの画家)

プエルト・リコの画家フランシスコ・オリェール(その時は、オジェルと表記した)のことは、以前このブログのどこかで書いた。

彼について日本語の文献があるとは思っていなかったが、それは大きな勘違いだった。本が出ていたのだ。

しかもその本は自分が学部時代に読んだのと同じ作者によって書かれたものであって、まさかこんな形で出会うとは!

リンダ・ノックリン『絵画の政治学』(坂上桂子訳)ちくま学芸文庫、2021年。




オリェールが取り上げられるのは、この本の第2章、「クールベ、オリェールと場所の意味」である。

リンダ・ノックリン(1931-2017)はアメリカの美術史家で、『絵画の政治学』は英語で書かれているが、2章の冒頭にかっこ付きで使われている「時代性をもたなければならない」という表現は、これは賭けてもいいが、フランス語で書かれているはずだ。以下のように。

il faut être de son temps”

このフランス語こそ、リンダ・ノックリンを学部の授業で読んだときに悩まされた表現で忘れられない。

「『時代性をもたなければならない』という標語は、一九世紀リアリズムの概念の核としてしばしば引用されてきた。「人は自らの時代を生きるべきだ」とは、クールベや彼の仲間達の闘争のモットーであった」(p.66)

これが『絵画の政治学』の第2章の冒頭の続きである。

1980年代の学部の授業で使われた教材は、彼女の1971年の『Realism』である。難しかったが、こうして覚えているということは、やはり意味があったのだろう。

それは、原典講読という授業だった。今はこういう授業科目はあまりないが、大体どんなカリキュラムにもあった。

この授業では英語の原典を読んだ。ドイツ語やフランス語の原典講読ももちろんあった。ドイツ語の方をとった。そこではドイツの画家マックス・ベックマンが論じられていて、そのテキストの中にはディエゴ・リベラが出てきたことを克明に覚えている。

授業で『Realism』の一部の訳出を担当したが、その箇所にこのフランス語(il faut être de son temps)が出てきて、しかもこれが、上に引用した通り、彼女の著書の鍵概念だったわけで、フランス語は知らなかったものだから、苦労したものだ。


19世紀リアリズムを考えるこの本では、カラヴァッジョの絵のことも出てきて、ちょうどこの頃だったか、デレク・ジャーマンが撮った映画もあったりした。映画は1986年だからいつ見たのか。

そしてこの2章でノックリンは、こう続ける。

「しかしながら私には、リアリズムの構想には、これに劣らず重要なもう一つの忠告が含まれていたように思われる。それはすなわち、同時代性への関心と時には関連しつつ、時には矛盾を呈するが、『人は自らの場所を生きるべきだ』ということである」

そしてその事例としてクールベの『オルナンの埋葬』とプエルト・リコの画家オリェール(1833-1917)の絵が引用されるのだ。

オリェールの絵は幼くして亡くなった子の通夜を壮麗に描いたもので、音楽あり踊りあり、涙はできる限りなしという、そういうどんちゃん騒ぎの通夜とは、現地風に言うなら、バキネーである。カリブ地方という自らの場所を生きた画家オリェールの最も言及されることの多い作品である。

[この本で、オリェールの絵のタイトルは「目覚め」と日本語に訳されている。巻末にあるように英語ではThe Wakeである。スペイン語原題はEl Velorio、つまり通夜である。]

この絵が73 ページに図版として入っていて、びっくりしてしまった。『絵画の政治学』は1996年にすでに日本語に翻訳されていて、今回ちくま文庫に入った。あとがきによれば、ノックリンは2009年に来日もしていた。

ぜひ『Realism』も日本語になって欲しいものだ。

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この時期の仕事に根を詰めると、確実にめまいや肩こりに襲われ、一旦それが始まると、数日間は何にもできなくなるので、絶対に無理してはいけないと言い聞かせながらやっている。しかしセーブするのは案外難しい。

2022年1月12日水曜日

コロンビアのユダヤ人(続き)/近況

前便で触れた、シモン・グベレック(1903-1990)の文章の全体を収めたのが以下の本。

Simón Guberek, Yo vi crecer un país, Departamento Administrativo Nacional de Estadística, Bogotá, 1974.




序文を書いているのは、ルイス・ビダレス(Luis Vidales、1904-1990)。コロンビアの数少ない前衛詩人のひとりで、なるほど、創作のかたわらでこういうことをやっていたのだなあと思った。

この本の元原稿はイディッシュ語で書かれ、それは1973年にブエノスアイレスで出版されている。

その原稿に目を通して、若干スペイン語に手を入れたのがルイス・ビダレスなのだが、ビダレス以外にもこの本の出版に協力した人たち(10名以上)がいるようで、そのを記念写真が収められている。

なるほど、これはゴンブローヴィッチが『フェルディドゥルケ』のスペイン語翻訳版をブエノスアイレスの文壇と協力して出したのと同じようなことが、ボゴタでも起きていたということだ。

第1章:コロンビアへの移住まで。ポーランドのこと。

第2章:コロンビアのユダヤ人 パート1

ここが前便で紹介したバランキーリャから首都ボゴタへの移動

第3章:コロンビアのユダヤ人 パート2

ボゴタのユダヤ人経営のレストランにユダヤ人たちが集っていた話が語られている。レストランの店主はMax Szapiroという人。この店ではワインやウォッカ、90度以上の酒までが供され、ユダヤ人たちはコロンビア料理から故郷の料理まで楽しんでいた。しかもそこにはキューバから流れ着いたユダヤ人もいて、彼らの話す「キューバ語」に驚いたり喜んだり。多くのコロンビアのユダヤ人との付き合いが具体的に書かれていて、いずれこのブログでも紹介したいSalomón Brainskiへの言及もある。

第4章:グベレックの知り合ったアメリカ大陸の偉人たち

第5章:コロンビア各地を訪れたときの紀行だが、随筆風

ポパヤンに行ったときの話には、チラリとその地のユダヤ系作家ホルヘ・イサアクスに言及したり(「ポパヤンではエルサレムが息づいている」「ここにはかつて『マリア』の偉大な作者がいたのだった」)、カルタヘナへ行った時には異端審問所跡を訪ねたり。各地でユダヤ系の人びとと出会い、語らっている。

第6章:日常の出来事や旅日記など

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先日、京都で中東現代文学研究会に参加して発表してきた。

年始に「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」という羽仁もと子の言葉を知った。

1月6日の夜の雪景色。