さらにこの号には、管啓次郎による『生を見つめる翻訳ーー世界の深部を開いた150年』(東京外国語大学出版会)の書評が載っている。「外国語大学とは、なんと魅力的な響きだろう!学生たちはひたすら、ひとつあるいは複数の外国語を徹底的に学ぶ。専門化・細分化された知の枝がその先にどれだけひろがろうと、ことばを学び、読み書き話すという訓練を経るとき、学習者の頭の中にはずぶとい知識の世界樹の幹がいやでも育ってゆく。」ここでいう専門化・細分化された知の技には、学術的な知以外の多くの、場合によっては「外国語を学ぶのはあくまで手段であって、外国語を学ぶのは、それを使って何をするかである」のような考えも含まれるだろう。しかし管はそれを認めた上で、もっと根源的なこととして、外国語を学ぶ行為には、もともと学習者が予見もしていなかったさまざまな知にふれる偶然性が待ち受けており、その偶然が蓄える養分は、枝を幹に、そしてそれは、簡単には折れないような太い樹木に成長するのだと言っている。手に負えないほどの知に向き合いながら、それと一体化したりそれを乗り越えようとしたり、格闘していくこと、それが翻訳なのだ。
鼎談に戻ると、西は「翻訳作品は一般読者を喜ばせるためだけでなく、作家に新たな文学を生み出すヒントや力を与える一種の触媒になり得る」と、木村は「日本の翻訳文化はやはり素晴らしいです。マイナー言語なのに、日本語だけで研究できる、そのような国はほかにありません」と。
この鼎談ではいろんな本が紹介されているが、バルガス=リョサ『激動の時代』もあげてくださっている。それに関わって、こんなイベントを5月20日、三鷹のユニテでやります。
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