2025年8月15日金曜日

8月15日

ウォルター・サレス監督の『アイム・スティル・ヒア』(2024)は冷戦期の反共軍事独裁による人権侵害を扱った実話もので、軍政とはいえ若者はドラッグを愉しみながらドライブ、BGMはブラジル音楽やブリットロックで、コダックの8㎜ビデオでなんでも撮って、映画はアントニオーニの『欲望』(1967)を観に行き、家族揃ってアイスクリーム・パーラーに出かけるような、ブラジル人の富裕層の暮らしは享楽的にも見えるくらいなのが普通なのだけれども、このまえ翻訳が出たネルソン・ロドリゲス『結婚式』(1966、旦敬介訳、国書刊行会)の雰囲気と似ていて、あれもリオデジャネイロだったが、ドライブ、ビデオカメラ、家族の絆という共通項がある、それでもこの『アイム・スティル・ヒア』は2024年の映画で、監督自身がこの映画で扱われる強制失踪者の家族と知り合いらしいが、左翼弾圧ということでは、このまえやっていた映画『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』(2023)やバルガス=リョサの『激動の時代』(2019)と、冷戦期ラテンアメリカの記憶を描き、サレスは1956年生まれ、フェルナンド・トルエバは1955年生まれで同世代、バルガス=リョサは1936年生まれで少し年齢は上だが、3人が21世紀という現在地にこだわりながら制作していることは一つの共通する特徴と言えるのではないか。

2025年8月13日水曜日

8月13日

柴崎友香は『帰れない探偵』(講談社)の刊行記念選書として「場所の記憶を探偵する」というテーマで12人の作家を選んでいる。ポール・オースターのニューヨーク三部作『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』(いずれも柴田元幸訳、新潮文庫)、W・G・ゼーバルト『移民たち』『アウステルリッツ』(いずれも鈴木仁子訳、白水社)、パク・ソルメ『影犬は約束の時間を破らない』(斎藤真理子訳、河出書房新社)、夏目漱石『彼岸過迄』(新潮社)、ジーナ・アポストル『反乱者』(藤井光訳、白水社)、テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮クレスト・ブックス)、東辻賢治郎『地図とその分身たち』(講談社)、レベッカ・ソルニット『迷うことについて』(東辻賢治郎訳、左右社)、奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』(河出文庫)、フアン・ガブリエル・バスケス『歌、燃えあがる炎のために』(久野量一訳、水声社)、呉明益『自転車泥棒』(天野健太郎訳、文春文庫)、イーフー・トゥアン『空間の経験』(山本浩訳、ちくま学芸文庫)。選書一覧のリーフレットには、12人の作家・作品について一人ひとり丁寧に紹介文が載っていて、バスケスの部分を一部だけ引用すると、「コロンビアの作家で、私と同じ一九七三年生まれです。(中略)この数年、小説は語り直すものであることに意味がある、ある人の話をほかの誰かが語る伝聞が小説ではないかと考えています」と言っている。

2025年8月12日火曜日

8月12日 フアン・ガブリエル・バスケスと原爆


フアン・ガブリエル・バスケス(コロンビア出身の作家、1973-)は、8月9日朝、長崎に原爆が投下されてから80年後、エル・パイース紙のコラム原稿を書き始めた。

彼は平和祈念式典での長崎市長(自身が被曝2世)のスピーチを読み、核兵器廃絶の願いはかつてよりいっそう重要だと考えた。長崎市長の言葉は以下のようにスペイン語で報じられた。

“Esta crisis existencial que atraviesa la humanidad es un riesgo inminente para cada uno de quienes habitamos la Tierra”(「そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たち一人ひとりに、差し迫っているのです」)。

“círculo vicioso de confrontación y fragmentación”(対立と分断の悪循環)

バスケスの心を打ったのはしかし長崎市長の以下の言葉である。

“A los hibakusha no les queda mucho tiempo”(被爆者に残された時間は多くありません)

バスケスはこう書いている。

「被爆者とは、世界中の人が知っているように、1945年の爆撃の生存者のことである。この単語は文字通り「爆撃された人」を意味する。彼らに残された時間は多くないとはどういうことか?それは要するに、原爆投下の数えきれない恐怖を身をもって経験した人々が少なくなっていき、彼らが全員亡くなったとき、出来事の生きた証言(テスティモニオ)が消えていくことを意味する。何十年も前から自らに課してきた任務、世界に証言を伝えること、経験していない人には想像のできないその経験を共有する任務にはピリオドが打たれ、私たちは資料に頼るほかなくなるということだ。

このことは当然避けられない。人間の命は有限だからだ。(中略)人々は死に、そして私たちの過去に対する理解もまた死ぬ、あるいは薄まる。それを被爆者は知っていて、だからこそ、残された時間が多くないのを知っているからこそ、懸念にとらわれているのだ。最後の被爆者がこの世を去った時に残るのは資料だけで、資料は生きた証言ではない。私たちはもちろん資料に頼らねばならないし、資料はなくてはならぬものであるし、それらが存在することに感謝するだろう。しかし直に経験した人々がこの世を去る時、私たちの間での過去の現前について、何かが失われるのだ。」

この後、バスケスは東京を15年ほど前に訪れたときに被爆者と会ったエピソードを語る。自身がジョン・ハーシーの『ヒロシマ』(法政大学出版局)のスペイン語翻訳者であることを被爆者に伝えたとき、その方が涙を流して感謝の言葉を口にした。

「いま、ハーシーのルポを読み直し、その残酷なイメージ、貴重な歴史、当事者たちの抵抗に心を動かされている。そして思うのだ。ここには、決して消え去ってはならない記憶が生きている。」

ハーシーの『ヒロシマ』は谷本牧師の「その後」で閉じられる。「その後」とは、1984年に被爆者に実施されたアンケート結果のことで、被爆者のうち54パーセント以上の人が、核兵器が再び使われると考えている。バスケスは自分がスペイン語に訳した本の最後の文を引いている。「彼(谷本氏)の記憶も、世界の記憶と同じように、まだらになってきた」。スペイン語でこの「まだらになる」はse estaba volviendo selectiva(selectivaは選択的な、の意)。

2025年8月11日月曜日

8月11日 ガルシア=マルケスの「家」

ガルシア=マルケスが『百年の孤独』を書いた家はメキシコシティのCalle Lomaにある。彼がその後、亡くなるまで住んでいたペドレガルのCalle Fuegoよりも北西に位置する。ペドレガルの家はかなり大きいが、このCalle Lomaにある家は、やや小ぶりだがメキシコシティ郊外に多く見られるような、庭があって、中は素晴らしいはずだが外側から多くを知ることができず(呼び鈴を押すと多分家のお手伝いの方が出てくる)、近くに幹線道路が走っているが少し引っ込んでいて静かで、でもちょっと勾配がある地区だが、白さが際立つことではペドレガルの家と似ている(ペドレガルの家は中に入らないと白さがわからないが)。この家をめぐってガルシア=マルケスの二人の息子が当時を回想するドキュメンタリーが製作された。題して「La casa(家)」。このタイトルは、ガルシア=マルケスが書き残した「家」という作品を意識したもので、この断章には彼が『百年の孤独』なるものを書こうとしていた痕跡が見つけられる。以下の写真は2022年の年末に撮影したCalle Lomaの家で、そのときはなんの目印もない空き家だったが、今後ここも記念館的なものに変わっていく予定だ。亡くなって10年以上が過ぎ、日々過去の人になりつつあるが、どうしてもまだそんな気分にはなれないな。ぼくにとっては優しく接してくれた気の良いおじさんで、まだメキシコに行くと、彼に言われたとおり電話しないといけないなと思ってしまって、それができないのでペドレガルの家に行こうとは思わない。最後にペドレガルに行ったとき、帰り際に家の前で写真を撮ろうとしたが、地区一帯の警備を担当している人にやめておいたら、と言われ(仄めかされて)、確かにそうだと思って撮らなかった。しかし不思議なもので、そのことで逆に、通りを渡った側から見た家の光景を忘れてはならないのだ、と強く自分に言い聞かせたのか、まだ脳裏に焼きついている(ような気がする)。





2025年8月9日土曜日

8月9日

ポール・ベンジャミンの『スクイズ・プレー』(田村俊樹訳、新潮文庫)の解説で、池上冬樹は主人公の私立探偵が息子と野球を見にいくエピソードが「繊細でリリカルで、とても美しい」と書いている(386ページ)。元メジャーリーガーのスター選手の相談を解決するのがこの探偵の仕事なので、この小説は野球小説でもあり、野球を描くときとくに力が込められている(最後から2番目の19章)。池上が言うように、スタジアムに入るシーンはさすがで、親子はチケットを見せてトンネルのようなところを抜ける。「が、そのあと傾斜路をあがると、そこにある。それを一度に吸収するのは無理だ。いきなり眼前に現われる空間の広がりに、自分がどこにいるのかも一瞬わからなくなる。何もかもが巨大で、見渡すかぎりグリーンで、完璧に整っている。まさに巨人の城の中に造られた美しい庭園」(333ページ)。ここの目線は探偵のというよりはじめてスタジアムを訪れる息子のそれだ。東京ドームのように、すり鉢状の球場のある程度の高さから入場するタイプの場合、下方にフィールドが広がっている設計ではこういう描写にならないのではないか。横浜スタジアムは何十年も行っていないから覚えていないけれども、球場というのは、神宮にしても外からはただの壁で、その壁に開けられた穴から入り、階段をのぼっていくとグリーンの芝生や土の部分がちらりと目に入ってその眩しさに惹かれて早足になってしまうようなのがいい。おそらくヤンキースタジアムであるこの1ページ半は確かに読ませるが、それでもやはりそのあとの試合展開のくだりが圧巻だ。「私たちの席はホームと一塁のあいだのグラウンドレヴェルのなかなかいい席だった」から「このプレーはシーズンを通して繰り返し語られることだろう」(334から341ページ)の7ページが書けなければ、この小説は完成しないのだから。キューバ作家のレオナルド・パドゥーラは、野球というスポーツの不思議を説明するとき、例えばサッカーのようにすぐにルールがわからないことや、ボールを持っている側が「攻撃側」ではなく「守備側」であるということをあげているが、そのさきで、なるほどと思わせることを言っている。曰く、ゲーム中の一見何も起きていないようなとき、つまりプレイヤーは誰一人として動きを止めている瞬間に最も重要なことが決定されつつあるのが野球なのだと。大谷がトラウトを三振に取る寸前のサイン交換は、静止している最もエキサイティングな瞬間であるだろう。ポール・オースター(ポール・ベンジャミン)のような野球用語を使う作家のスペイン語翻訳は、野球に馴染みのないイベリア半島の人には難しいだろうとパドゥーラは言っている。

2025年8月4日月曜日

8月4日

マリア・ホセ・フェラーダ María José Ferrada(1977-)はチリ出身の作家で、すでに何冊か児童書が翻訳されている。今回の来日で5度目だという彼女の日本滞在記にDiario de Japón(2022)があり、そこでは「ドイツは私の祖父の頭の中では、7歳まで話していた母語の響きで、その年、学校に行き、まずまずの発音のスペイン語を学んだ。チリ南部の極小の村でのことだった。祖父の両親は子どもの時、19世紀末にキールを出た船でチリに着いた。陸にあがると、着いたばかりの人は、パンのことをダス・ブロート、ビスケットのことをディー・プレッツヒェンと言い続けた」と書いている。来日中の彼女が登壇するイベントが8月15日にある。それを知ったのは、ガブリエラ・ミストラルがノーベル文学賞を受賞して80年が過ぎて、そのことを祝す催しがあったから。