2016年12月19日月曜日

シンポジウム「社会主義リアリズムの国際比較」

12月18日はこのイベントに足を運んだ。

4名の発表はどれも興味深いもので、勉強になった。

キューバでも公式芸術としての社会主義リアリズムが取りざたされたこともあるので発表を聞きながら色々と考えた。チェ・ゲバラの「キューバにおける社会主義と人間」などがある。

考えているのは、以下の3点。

社会主義における芸術のあり方:統治サイドから発せられる言葉に対して芸術論を展開する知識人がどういう役割を果たすのかなど。これはキューバの場合、1961年6月に勃発し、それ以降、未だになんだかんだと話題になる。

社会主義リアリズムとは何か:これは難しい。革命を支える「大衆」(ゲバラ)に何らかの現実と未来を、「真実さ」とともに伝える可能性をめぐる議論につながる。ゲバラは19世紀リアリズムを資本主義と結びつけている。

社会主義における芸術と政治:一旦作り出された芸術が現実の政治と関わってしまう事態。検閲がある時、くぐり抜けるレトリックとその読み解きの問題。

スペイン語圏やラテンアメリカで言えば、 フランコやピノチェト、軍政、独裁などの時期に取り組まれた芸術様式について考えたくなる。

ビクトル・エリセやグティエレス=アレアのリアリズムはどうだろうか。

アヴァンギャルド芸術家が社会主義下の国で何をなすか。伝統芸術、古典との距離感。キューバの場合、植民地状態から抜け出す民族的自立の中での芸術。

というわけで、キューバ革命成立後の映画などをみはじめている。

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