2021年5月19日水曜日

ラングストン・ヒューズとキューバ

前のエントリーではラングストン・ヒューズとニコラス・ギジェンが1930年にキューバで会っていることを記した。その直接の記録がないものかと思っていたら、ヒューズの本に書いてあった。

ラングストン・ヒューズ『黒人芸術家の立場 ラングストン・ヒューズ評論集』(木島始編訳、創樹社、1977年)


「(前略)その年[1930年]わたしは、メダルと四百ドルからなるハーモン文学賞を得ました[小説『Not With Laughter』が受賞作]。そこでその四百ドルをもってハイチに行きました。その途中でキューバに立ちより、作家や芸術家たちから心をこめた歓迎を受けました。わたしは、砂糖王たちによるキューバの搾取をよんだ詩を書いたり、ニコラス・ギレンのたとえば次のような詩を数おおく翻訳しました。

(中略)[ここにギジェンの詩「砂糖きび」が引用]

 これは、独裁的なマチャード政権下の時代のことでした。おそらく、だれかがこれらの詩や翻訳に注目したのでありましょう。なぜならば何週間かたってハイチから帰ってきたときに、わたしはキューバ上陸を許されず、サンチァゴの移民局に監禁され、ひとつの島にとめおかれました。三日後にアメリカ領事がやって来て、田舎をとおりすぎてハバナに行き、ただちにキューバの地を離れるという条件でわたしを放免してくれるまで、その島におかれたのでした。」(「社会詩人としてのわたしの冒険」、p.153)

それから、ヒューズは日本の警察にも拘留されたことがあるとも書かれている。

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曇りと雨が続くと、睡眠と覚醒の境界線がぼやけてくる。すでに紫陽花が咲いているようです。

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