1929年のニューヨークで、ガルシア=ロルカはネラ・ラーセンに会った。彼女はいわゆる「ハーレム・ルネサンス」として括られる黒人の文化運動の中に位置づけられる作家である。ロルカに会った頃、評判になる小説を出版したばかりだった。その小説とは『Passing』で、日本語訳は『白い黒人』(植野達郎訳、春風社)。
ロルカはネラ・ラーセンと一緒にハーレムを訪れた。そして彼女の自宅のパーティにも行っている。その時のことを手紙でロルカは以下のように書いている。
「この小説家[ネラ・ラーセン]は優しさにあふれ、黒人特有の深い、感動的な憂愁をたたえた、素晴らしい女性です。
彼女が自宅でパーティを開いたのですが、集まったのは黒人ばかりでした。彼女と行動を共にするのはこれでもう二度目なのですが、それはぼくが大変興味を惹かれているからです。
そのパーティで白人はぼくだけでした。彼女の家は二番街にあるのですが、そこの窓から明りがついたニューヨークの街全体が見渡せるのです。ちょうど夜で、空にはサーチライトが交差していました。黒人たちは歌い、ダンスに興じました。素晴らしいうたでした。これに匹敵しうるものといえば、アンダルシアのカンテ・ホンドくらいでしょう。
黒人霊歌を歌った少年がいました。ぼくもピアノを弾きながらうたを歌いました。言うまでもないことですが、みんながぼくのうたを楽しんでくれました……黒人というのはとても素晴らしい人たちです。別れ際にはみんながぼくを抱き締め、女流作家は見事な署名入りの自著をぼくにくれたのですが、ふだん彼女はそんなことはしませんから、なにか特別なことだと他の人たちは考えたようでした。」(イアン・ギブソン『ロルカ』内田吉彦・本田誠二訳、中央公論社、p.288)
1930年のハバナで、ニコラス・ギジェンはラングストン・ヒューズに会った。ヒューズもまたハーレム・ルネサンスの代表的な作家である。1926年、詩集『The Weary Blues』を出している。その後、ヒューズはニコラス・ギジェンの詩集を英語に翻訳する(『Cuba Libre』というタイトル)。
手元にあるラングストン・ヒューズの本は『ジャズの本』(木島始訳、晶文社)で、この「訳者あとがき」には、木島さんがヒューズと手紙や本のやりとりをしていたことが書かれている。 木島さんのところにそのギジェンの英訳書が届いている。
「『自由キューバ』というのは、ニコラス・ギリエンの大版の翻訳詩集で、凸版の絵の入った美しい本であった。わたしは、キューバ革命よりずっと前にキューバの黒人詩人の作品を英訳で読んでいたのだった。」(「訳者あとがき」『ジャズの本』、p.215)
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5月半ばに入って、すでに梅雨のような天気で、そういえばこの5月は、「五月晴れ」とか「初夏のような陽気」を体験していないような。
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