長谷川四郎がキューバに行ったのは1964年だった。
8月なかばにメキシコへ行きビザを申請して、許可が降りてその後キューバへ。メキシコ経由で東京に帰ったのは9月の終わり。
とても分厚い長谷川四郎の物語を読んで知った。
福島紀幸『ぼくの伯父さん 長谷川四郎物語』河出書房新社、2018年。
ニコラス・ギジェンの詩を訳したのが1964年で、それが縁でギジェンから招かれてキューバに行った。ビザを待つメキシコシティではシケイロスの展覧会へ行っている。
「キューバの詩人ギリエンは、でっぷりして、背はそう高くない。ごっつい顔、ハスキー・ヴォイスの黒白混血児[ムラート]。(中略)よく歌をうたう、陽気な男だということだが、今は歌こそうたわなかったが、なにやらハミングしながら、海からの風に向かって胸をたたき、深呼吸をしたりした。」(303頁)
ギリエンの詩はフランス語訳を参照して日本語に訳したのだ。
車でマタンサス、カマグエイ、サンティアゴ・デ・クーバへ行った。
「キューバから帰ってから、キューバの詩人エベルト・パディリャの『仲間はずれ』という詩集のフランス語訳を手に入れた。1932年生まれ。ロンドンとモスクワで通信員として働いたことがある。キューバの社会主義体制のなかで少しばかり異端的な詩人で、文学賞を受けていながら、ギリエンが議長であるキューバ作家・芸術家同盟から吊し上げられた。」(307頁)
1964年は堀田善衛がキューバを訪れた年でもある。
1964年12月2日、新日本文学会が講演会を開き、中野重治、安岡章太郎、江川卓、そして長谷川四郎が登壇し、彼は「キューバであった人々」という講演をした。記録は「新日本文学」1965年2月号に載っている。
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