2015年9月8日火曜日

ラテンアメリカ作家はマドリードを目指す

ペルーの作家サンティアゴ・ロンカグリオーロは、ラテンアメリカ作家にとってはもはやバルセロナよりもマドリードに住むほうがいいと書き、評判を呼んだ(「エル・パイース」紙、7月23日付)。

スペインにおけるラテンアメリカ作家の首都といえば、マドリードではなく、バルセロナだった。ブレベ叢書賞はラテンアメリカ文学の国際的認知に大きな役割を果たしたが、賞の主宰はバルセロナに本社のあるセイクス・バラル出版社である。ロンカグリオーロもバルセロナ住まいである。

なのに、スペインの首都マドリードのほうがいいとはどういうことか。以下、彼の意見を紹介しよう。

マドリードの「カサ・デ・アメリカ」で催されたペルー詩人(カルロス・ヘルマン・ベリ※)の出版記念行事には数多くの作家、文壇関係者、文化後援機関が参加していた。バルガス=リョサもホセ・マヌエル・カルバーリョもいてにぎやかだったが、バルセロナで同規模のイベントを催すことは不可能である。バルセロナの「カサ・アメリカ・カタルーニャ」にその資金はない。

※カルロス・ヘルマン・ベリ(Carlos Germán Belli, 1927〜)

バルセロナを去ってマドリードに居を移している作家、出版人、ジャーナリストが増えているが、その逆は目にしたことがない。去った彼らは決して反カタルーニャ主義者ではなく、マドリードに仕事を見つけたからだが、「スペイン語」で書くかぎり、マドリードのほうが仕事が見つけやすいのが実情だ。

「スペイン語」は「スペイン」の言語ではなく、世界で二番目に話される言語で、また、アメリカ合衆国にいるスペイン語人口だけで、G20に参加できる国ができる。そういうスペイン語世界にあって、バルセロナはニューヨークだったはずだ。

ところがカタルーニャ・ナショナリズムは、あらゆるナショナリズムがそうであるように、カタルーニャが他よりも優れているということを根拠にしている。アンダルシアやガリシアよりも、カタルーニャのほうが現代的で文化的でヨーロッパ的であると。

こうしてカタルーニャがスペイン語のもつ世界的な力を無視して自分たちのアイデンティティを守っているあいだ、祝祭は別の場所で起きている。メキシコのグアダラハラで催されるブックフェアは世界第二位の規模である、ラテンアメリカのテレノベラは世界的に隆盛している、ツイッターでもスペイン語は二番目に多く使われている……

カタルーニャはこれまで決して閉鎖的な地域ではなく、コスモポリタン的な開放精神に満ちていた。それがスペイン語世界にとってあこがれだった。カタルーニャにおけるバイリンガリズム教育はアメリカ大陸の土着言語を守る模範だった。

しかしいまのカタルーニャがやっていることは、他の文化、とくに「スペイン語とその文化」を「抹消」しようとする努力にほかならない。

これがロンカグリオーロの意見である。

この内容についてバルセロナの大学人(ラテンアメリカ文学研究者)と少しだけ話してみたが、カタルーニャ・ナショナリズムの隆盛については特に否定する意見ではなく、おおむね同意していた。(ちなみに付け足された情報として、ロンカグリオーロの父親が学者・政治家で、ついこの前まで外務大臣をつとめている人だったという点がある。)

カタルーニャ・ナショナリズムは日々激しさを増している。昨年あったような独立をめぐる政治運動は、何年か何十年かおきに再燃することは間違いない。そういう環境は、確かにスペイン語を軸とする文学や文化表現者や研究者にとって厄介であるだろう、というのがその人の意見であった。

といっても、それが即、バルセロナを捨ててマドリード、という意見ではなかった。 ロンカグリオーロの話の持っていき方は少し極端ということなのだろう。スペイン語が世界第二位の言語であるというのを訴えすぎるのも、ちょっと興ざめのような気がしなくはない。けれども、これ以上世界が英語に埋め尽くされていいのかどうかという点を鑑みれば、ロンカグリオーロの言っていることも理解できる。

文化行事について言えば、筆者はマドリードの「カサ・デ・アメリカ」の出版イベントに行ってみて、何人かの作家と雑談することができたことがある。ただそれだけのことだが、塵も積もれば式に考えれば、バルセロナ在住者にとっては残念な事態なのかもしれない。

さらに憶測をすれば、そういうことを残念に思う背景には、出版イベントなどの社交の場が自己のプロモーションにとって決定的に意味をもつ可能性が高くなっているというネオリベ的現状があるからかもしれない。

短期間滞在しただけの旅行者の体験から言えば、バルセロナで聞こえてくるのはスペイン語ではなく、カタルーニャ語と英語である(これはロンカグリオーロも言っている)。

観光客には英語で話しかけ、カタルーニャ人同士はカタルーニャ語で話しているからだろう。地名、電車内の案内放送、レストランのメニューなどはカタルーニャ語がほとんどであり、スペイン語しか知らない人にとってはなかなかきつい。東洋人である話し手がスペイン語を使ったその先にようやくスペイン語の応答があるわけで、つまりそれはバイリンガル世界というよりはトライリンガル世界に近い(これはスペイン人には起きていないことだろうと思われる)。

だが、これも同じラテンアメリカ文学研究者が言っていたが、スペイン語を知っている人なら、2、3か月でも集中してカタルーニャ語をやればいいことなので、そのあたりは1年ぐらい滞在する気であればどうってことはない。つまりカタルーニャで生活していきたいのなら、もう少し努力をしてみたらもっと面白くなるよ、ということかもしれない。

カタルーニャ語とスペイン語を状況次第で使い分けて話してみたりしてみたいものだ。

[この項、さらに続く]

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