グアナファトから帰ってきたタイミングで知ったのが、映画『エイゼンシュテイン・イン・グアナファト』。
トレイラーはこちら。 ラテンビート映画祭で上映される。
監督はピーター・グリーナウェイ。
ラテンビート映画祭では『ザ・キング・オブ・ハバナ』という映画も上映される。トレイラーはこちら。原作がキューバ人作家ペドロ・フアン・グティエレス。このブログで紹介したことがあったと思うが、彼の新作は以下のとおり。
Gutiérrez, Pedro Juan, Fabián y el caos, Anagrama, 2015.
(ところで本の表紙画像をブログに載せてよいのかどうかはなかなか判断が難しい。当面は止めておくことにする。本の表紙は内容とは別の著作物として管理されてもいるようなので。)
グアナファト出身の作家にはホルヘ・イバルグエンゴイティアがいる。1928年生まれで、飛行機事故で1983年に亡くなった。アンヘル・ラマやマルタ・トラーバも同じ事故で亡くなった。
(この項続く)
El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2015年9月29日火曜日
2015年9月23日水曜日
中級スペイン語読解
秋からの授業(2年生クラス)で読もうと思っているものは以下のとおり。
1.文芸誌のGranta(Número 15: Primavera 2015, Nueva Época 2)から、Mariana Enríquez(アルゼンチン)の"Los años intoxicados"。1989年から1994年までの日記のようなもので、10ページ程度。
2.やはり文芸誌の"eñe"に掲載されている、Piedad Bonnett(コロンビア)の"Una vida de libros"。3ページ程度の読書をめぐるエッセイ。短いので、まずはこれを読んでみてもいい。
3.Alejandro Zambra, Formas de volver a casa, Anagrama, 2011. サンブラは邦訳『盆栽』があるが、その彼の別の作品。チリの1980年代を9歳の少年が書いた日記のような体裁の小説。一冊まるごと読めないので、ここから2、30ページか。
4.Lina Meruane, Volverse Palestina, Conaculta, 2013. サンブラと同じくチリ出身で、パレスチナに起源をもつ女性作家によるクロニカ。ここから20ページくらいから読んでみたい。
いまのところ、以上のものを候補としている。いわゆる「小説然」としたものは避けて、自伝的な内容、あるいはそういう語り方をしたものを選んだ。
以下は、裏バージョン
5.Mariana Enríquez, "El chico sucio",
6.Alejandro Zambra, Facsímil,
7.Lina Meruane, "Sangre en el ojo",
8.Gabriela Wiener, Llamada perdida, Malpaso Ediciones, 2015. ペルー出身バルセロナ在住。自伝的記録もの。
9.Claudia Apablaza, Goo y el amor, Editorial Excodra, 2015. チリ出身バルセロナ在住。実験的な作品。
10.Andrea Jeftanovic, No aceptes caramelos de extraños, Editorial Comba, 2015. チリ出身の作家で、家族をテーマにきてれつな話を書いている人。これはそれをまとめた短篇集。「知らない人から飴をもらってはいけません」というタイトル。
1.文芸誌のGranta(Número 15: Primavera 2015, Nueva Época 2)から、Mariana Enríquez(アルゼンチン)の"Los años intoxicados"。1989年から1994年までの日記のようなもので、10ページ程度。
2.やはり文芸誌の"eñe"に掲載されている、Piedad Bonnett(コロンビア)の"Una vida de libros"。3ページ程度の読書をめぐるエッセイ。短いので、まずはこれを読んでみてもいい。
3.Alejandro Zambra, Formas de volver a casa, Anagrama, 2011. サンブラは邦訳『盆栽』があるが、その彼の別の作品。チリの1980年代を9歳の少年が書いた日記のような体裁の小説。一冊まるごと読めないので、ここから2、30ページか。
4.Lina Meruane, Volverse Palestina, Conaculta, 2013. サンブラと同じくチリ出身で、パレスチナに起源をもつ女性作家によるクロニカ。ここから20ページくらいから読んでみたい。
いまのところ、以上のものを候補としている。いわゆる「小説然」としたものは避けて、自伝的な内容、あるいはそういう語り方をしたものを選んだ。
以下は、裏バージョン
5.Mariana Enríquez, "El chico sucio",
6.Alejandro Zambra, Facsímil,
7.Lina Meruane, "Sangre en el ojo",
8.Gabriela Wiener, Llamada perdida, Malpaso Ediciones, 2015. ペルー出身バルセロナ在住。自伝的記録もの。
9.Claudia Apablaza, Goo y el amor, Editorial Excodra, 2015. チリ出身バルセロナ在住。実験的な作品。
10.Andrea Jeftanovic, No aceptes caramelos de extraños, Editorial Comba, 2015. チリ出身の作家で、家族をテーマにきてれつな話を書いている人。これはそれをまとめた短篇集。「知らない人から飴をもらってはいけません」というタイトル。
2015年9月22日火曜日
Grito de la Independencia
24年振りに独立記念日を過ごした。
メキシコの独立記念日は9月16日で、15日の夜、グリート(grito)がある。
24年前はコヨアカンのソカロでグリートを聞いた。今回はグアナフアトにいて、雨期の終わりかけなのか、雨が降りそうだったが、そういえば24年前のコヨアカンでも雨が降りかけていたのを思い出した。少し寒いぐらいだったかもしれない。今年もそうだった。
記憶では、ちょうど日にちの変わり目の深夜24時にグリートがあったものと思っていたが、23時だった。
グアナフアトはまさに1810年の独立戦争の口火となったドローレス・イダルゴの近くということで、ドローレスに行くという話もあったのだが、結局とりやめた。理由は、夕方か夜、ドローレスの広場に入ると夜更けまで出られなくなる恐れがあるからだった。そこまでの時間の余裕がなかったため、グアナフアトで立ち会うことにした。
グアナフアトのグリートはアロンディガで行なわれる。下は昼間の風景。
近くに着いたのは、ぎりぎり22時45分ごろだった。大慌てでアロンディガをめざした。
そして23時、グリートが始まった。ただ「ビバ・メヒコ」と3回言うだけだったと思ったが、英雄の名前に言及したうえで、最後に「ビバ…」と言うのだった。こういうことも、現在ではWikipediaですぐにわかる。
グアナフアトにいる留学生は友達とパーティということで、グリートに出かける予定はないとのことだった。
新聞では、悪政ゆえにグリートに行かないようにSNSなどを通じて訴える運動も行なわれているとあった。
24年前にはWikipediaもSNSもなかった。ただ独立記念日の大きなイベントというそれだけの情報で出かけた。はじめてCafé de ollaを飲んだのも、その日のことだったかもしれない。
[付記]
グアナフアトではイダルゴ市場へ行ったら、きれいなフルーツが並んでいた。
メキシコの独立記念日は9月16日で、15日の夜、グリート(grito)がある。
24年前はコヨアカンのソカロでグリートを聞いた。今回はグアナフアトにいて、雨期の終わりかけなのか、雨が降りそうだったが、そういえば24年前のコヨアカンでも雨が降りかけていたのを思い出した。少し寒いぐらいだったかもしれない。今年もそうだった。
記憶では、ちょうど日にちの変わり目の深夜24時にグリートがあったものと思っていたが、23時だった。
グアナフアトはまさに1810年の独立戦争の口火となったドローレス・イダルゴの近くということで、ドローレスに行くという話もあったのだが、結局とりやめた。理由は、夕方か夜、ドローレスの広場に入ると夜更けまで出られなくなる恐れがあるからだった。そこまでの時間の余裕がなかったため、グアナフアトで立ち会うことにした。
グアナフアトのグリートはアロンディガで行なわれる。下は昼間の風景。
近くに着いたのは、ぎりぎり22時45分ごろだった。大慌てでアロンディガをめざした。
そして23時、グリートが始まった。ただ「ビバ・メヒコ」と3回言うだけだったと思ったが、英雄の名前に言及したうえで、最後に「ビバ…」と言うのだった。こういうことも、現在ではWikipediaですぐにわかる。
- ¡Mexicanos!
- ¡Vivan los héroes que nos dieron patria!
- ¡Víva Hidalgo!
- ¡Viva Morelos!
- ¡Viva Josefa Ortiz de Domínguez!
- ¡Viva Allende!
- ¡Vivan Aldama y Matamoros!
- ¡Viva la independencia nacional!
- ¡Viva México! ¡Viva México! ¡Viva México!
グアナフアトにいる留学生は友達とパーティということで、グリートに出かける予定はないとのことだった。
新聞では、悪政ゆえにグリートに行かないようにSNSなどを通じて訴える運動も行なわれているとあった。
24年前にはWikipediaもSNSもなかった。ただ独立記念日の大きなイベントというそれだけの情報で出かけた。はじめてCafé de ollaを飲んだのも、その日のことだったかもしれない。
[付記]
グアナフアトではイダルゴ市場へ行ったら、きれいなフルーツが並んでいた。
2015年9月10日木曜日
カタルーニャの本屋
[前項からの続き]
バルセロナの本屋では、カタルーニャ語の本とスペイン語の本が分かれて並んでいる。出版言語が違うのだから別の棚にあるのは当たり前だ。ただこういう二言語の本棚の光景はスペイン語圏ラテンアメリカではあまり見られない。
スペイン語圏のラテンアメリカの書店では、文学コーナーにはまず「Literatura nacional(国民文学)」があり、そこにはそれぞれの国の文学が並んでいる。メキシコの本屋ならメキシコ作家で、コロンビアならコロンビア作家である。
次いで「Literatura latinoamericana(ラテンアメリカ文学)」があって、そこには、自国以外のラテンアメリカ文学の本が並んでいる。アルゼンチンであれば、ガルシア=マルケスは「ラテンアメリカ文学」のところに並ぶ。
そして次に「Literatura universal(世界文学)」がある。ここには、いわゆる日本語で言うところの「外国文学」が並ぶ。彼らから見て違う言語文化圏の文学作品だ。
この三つの区分にしたがって本を探すわけだが、バルセロナでは、上に書いたように、文学コーナーは「カタルーニャ語」か、「スペイン語(カスティーリャ語)」で分かれ、では「スペイン語」のコーナーには何が並ぶかというと、ラテンアメリカでは区別されていた三つの文学がすべてそこに入っている。
つまりスペイン語で出版された文学作品は、原書が書かれた地域・言語に拘らず、それがすべて「スペイン語」の本であるかぎり、「スペイン語の本」の棚にある。だからその本棚はかなりの数が必要になる。
アルファベット順なので、フアン・ゴイティソロ(Juan Goytisolo)とギュンター・グラス(Günter Grass)が近くにあったりする。もし後藤明生(Goto Meisei)の本があれば、近くに並べられることになる。あらゆる文学が一緒というわけではなくて、古典文学や推理小説は別の棚に並ぶ。
本屋で改めて気づくが、スペイン語を相対化するという意味ではカタルーニャ語の役割は大きい。
以下の写真のように、スペイン・ラテンアメリカ文学をまとめて並べている本屋もあった。ここでも面白いのは、棚の表示が二言語であることだ。
それから日本文学・文化コーナーのある本屋。ラテンアメリカではここまで充実したものを見たことがない。
[この項続く。バルセロナの出版資本のこと、ラテンアメリカの二言語のことへと進む予定]
バルセロナの本屋では、カタルーニャ語の本とスペイン語の本が分かれて並んでいる。出版言語が違うのだから別の棚にあるのは当たり前だ。ただこういう二言語の本棚の光景はスペイン語圏ラテンアメリカではあまり見られない。
スペイン語圏のラテンアメリカの書店では、文学コーナーにはまず「Literatura nacional(国民文学)」があり、そこにはそれぞれの国の文学が並んでいる。メキシコの本屋ならメキシコ作家で、コロンビアならコロンビア作家である。
次いで「Literatura latinoamericana(ラテンアメリカ文学)」があって、そこには、自国以外のラテンアメリカ文学の本が並んでいる。アルゼンチンであれば、ガルシア=マルケスは「ラテンアメリカ文学」のところに並ぶ。
そして次に「Literatura universal(世界文学)」がある。ここには、いわゆる日本語で言うところの「外国文学」が並ぶ。彼らから見て違う言語文化圏の文学作品だ。
この三つの区分にしたがって本を探すわけだが、バルセロナでは、上に書いたように、文学コーナーは「カタルーニャ語」か、「スペイン語(カスティーリャ語)」で分かれ、では「スペイン語」のコーナーには何が並ぶかというと、ラテンアメリカでは区別されていた三つの文学がすべてそこに入っている。
つまりスペイン語で出版された文学作品は、原書が書かれた地域・言語に拘らず、それがすべて「スペイン語」の本であるかぎり、「スペイン語の本」の棚にある。だからその本棚はかなりの数が必要になる。
アルファベット順なので、フアン・ゴイティソロ(Juan Goytisolo)とギュンター・グラス(Günter Grass)が近くにあったりする。もし後藤明生(Goto Meisei)の本があれば、近くに並べられることになる。あらゆる文学が一緒というわけではなくて、古典文学や推理小説は別の棚に並ぶ。
本屋で改めて気づくが、スペイン語を相対化するという意味ではカタルーニャ語の役割は大きい。
以下の写真のように、スペイン・ラテンアメリカ文学をまとめて並べている本屋もあった。ここでも面白いのは、棚の表示が二言語であることだ。
それから日本文学・文化コーナーのある本屋。ラテンアメリカではここまで充実したものを見たことがない。
[この項続く。バルセロナの出版資本のこと、ラテンアメリカの二言語のことへと進む予定]
2015年9月8日火曜日
ラテンアメリカ作家はマドリードを目指す
ペルーの作家サンティアゴ・ロンカグリオーロは、ラテンアメリカ作家にとってはもはやバルセロナよりもマドリードに住むほうがいいと書き、評判を呼んだ(「エル・パイース」紙、7月23日付)。
スペインにおけるラテンアメリカ作家の首都といえば、マドリードではなく、バルセロナだった。ブレベ叢書賞はラテンアメリカ文学の国際的認知に大きな役割を果たしたが、賞の主宰はバルセロナに本社のあるセイクス・バラル出版社である。ロンカグリオーロもバルセロナ住まいである。
なのに、スペインの首都マドリードのほうがいいとはどういうことか。以下、彼の意見を紹介しよう。
マドリードの「カサ・デ・アメリカ」で催されたペルー詩人(カルロス・ヘルマン・ベリ※)の出版記念行事には数多くの作家、文壇関係者、文化後援機関が参加していた。バルガス=リョサもホセ・マヌエル・カルバーリョもいてにぎやかだったが、バルセロナで同規模のイベントを催すことは不可能である。バルセロナの「カサ・アメリカ・カタルーニャ」にその資金はない。
※カルロス・ヘルマン・ベリ(Carlos Germán Belli, 1927〜)
バルセロナを去ってマドリードに居を移している作家、出版人、ジャーナリストが増えているが、その逆は目にしたことがない。去った彼らは決して反カタルーニャ主義者ではなく、マドリードに仕事を見つけたからだが、「スペイン語」で書くかぎり、マドリードのほうが仕事が見つけやすいのが実情だ。
「スペイン語」は「スペイン」の言語ではなく、世界で二番目に話される言語で、また、アメリカ合衆国にいるスペイン語人口だけで、G20に参加できる国ができる。そういうスペイン語世界にあって、バルセロナはニューヨークだったはずだ。
ところがカタルーニャ・ナショナリズムは、あらゆるナショナリズムがそうであるように、カタルーニャが他よりも優れているということを根拠にしている。アンダルシアやガリシアよりも、カタルーニャのほうが現代的で文化的でヨーロッパ的であると。
こうしてカタルーニャがスペイン語のもつ世界的な力を無視して自分たちのアイデンティティを守っているあいだ、祝祭は別の場所で起きている。メキシコのグアダラハラで催されるブックフェアは世界第二位の規模である、ラテンアメリカのテレノベラは世界的に隆盛している、ツイッターでもスペイン語は二番目に多く使われている……
カタルーニャはこれまで決して閉鎖的な地域ではなく、コスモポリタン的な開放精神に満ちていた。それがスペイン語世界にとってあこがれだった。カタルーニャにおけるバイリンガリズム教育はアメリカ大陸の土着言語を守る模範だった。
しかしいまのカタルーニャがやっていることは、他の文化、とくに「スペイン語とその文化」を「抹消」しようとする努力にほかならない。
これがロンカグリオーロの意見である。
この内容についてバルセロナの大学人(ラテンアメリカ文学研究者)と少しだけ話してみたが、カタルーニャ・ナショナリズムの隆盛については特に否定する意見ではなく、おおむね同意していた。(ちなみに付け足された情報として、ロンカグリオーロの父親が学者・政治家で、ついこの前まで外務大臣をつとめている人だったという点がある。)
カタルーニャ・ナショナリズムは日々激しさを増している。昨年あったような独立をめぐる政治運動は、何年か何十年かおきに再燃することは間違いない。そういう環境は、確かにスペイン語を軸とする文学や文化表現者や研究者にとって厄介であるだろう、というのがその人の意見であった。
といっても、それが即、バルセロナを捨ててマドリード、という意見ではなかった。 ロンカグリオーロの話の持っていき方は少し極端ということなのだろう。スペイン語が世界第二位の言語であるというのを訴えすぎるのも、ちょっと興ざめのような気がしなくはない。けれども、これ以上世界が英語に埋め尽くされていいのかどうかという点を鑑みれば、ロンカグリオーロの言っていることも理解できる。
文化行事について言えば、筆者はマドリードの「カサ・デ・アメリカ」の出版イベントに行ってみて、何人かの作家と雑談することができたことがある。ただそれだけのことだが、塵も積もれば式に考えれば、バルセロナ在住者にとっては残念な事態なのかもしれない。
さらに憶測をすれば、そういうことを残念に思う背景には、出版イベントなどの社交の場が自己のプロモーションにとって決定的に意味をもつ可能性が高くなっているというネオリベ的現状があるからかもしれない。
短期間滞在しただけの旅行者の体験から言えば、バルセロナで聞こえてくるのはスペイン語ではなく、カタルーニャ語と英語である(これはロンカグリオーロも言っている)。
観光客には英語で話しかけ、カタルーニャ人同士はカタルーニャ語で話しているからだろう。地名、電車内の案内放送、レストランのメニューなどはカタルーニャ語がほとんどであり、スペイン語しか知らない人にとってはなかなかきつい。東洋人である話し手がスペイン語を使ったその先にようやくスペイン語の応答があるわけで、つまりそれはバイリンガル世界というよりはトライリンガル世界に近い(これはスペイン人には起きていないことだろうと思われる)。
だが、これも同じラテンアメリカ文学研究者が言っていたが、スペイン語を知っている人なら、2、3か月でも集中してカタルーニャ語をやればいいことなので、そのあたりは1年ぐらい滞在する気であればどうってことはない。つまりカタルーニャで生活していきたいのなら、もう少し努力をしてみたらもっと面白くなるよ、ということかもしれない。
カタルーニャ語とスペイン語を状況次第で使い分けて話してみたりしてみたいものだ。
[この項、さらに続く]
スペインにおけるラテンアメリカ作家の首都といえば、マドリードではなく、バルセロナだった。ブレベ叢書賞はラテンアメリカ文学の国際的認知に大きな役割を果たしたが、賞の主宰はバルセロナに本社のあるセイクス・バラル出版社である。ロンカグリオーロもバルセロナ住まいである。
なのに、スペインの首都マドリードのほうがいいとはどういうことか。以下、彼の意見を紹介しよう。
マドリードの「カサ・デ・アメリカ」で催されたペルー詩人(カルロス・ヘルマン・ベリ※)の出版記念行事には数多くの作家、文壇関係者、文化後援機関が参加していた。バルガス=リョサもホセ・マヌエル・カルバーリョもいてにぎやかだったが、バルセロナで同規模のイベントを催すことは不可能である。バルセロナの「カサ・アメリカ・カタルーニャ」にその資金はない。
※カルロス・ヘルマン・ベリ(Carlos Germán Belli, 1927〜)
バルセロナを去ってマドリードに居を移している作家、出版人、ジャーナリストが増えているが、その逆は目にしたことがない。去った彼らは決して反カタルーニャ主義者ではなく、マドリードに仕事を見つけたからだが、「スペイン語」で書くかぎり、マドリードのほうが仕事が見つけやすいのが実情だ。
「スペイン語」は「スペイン」の言語ではなく、世界で二番目に話される言語で、また、アメリカ合衆国にいるスペイン語人口だけで、G20に参加できる国ができる。そういうスペイン語世界にあって、バルセロナはニューヨークだったはずだ。
ところがカタルーニャ・ナショナリズムは、あらゆるナショナリズムがそうであるように、カタルーニャが他よりも優れているということを根拠にしている。アンダルシアやガリシアよりも、カタルーニャのほうが現代的で文化的でヨーロッパ的であると。
こうしてカタルーニャがスペイン語のもつ世界的な力を無視して自分たちのアイデンティティを守っているあいだ、祝祭は別の場所で起きている。メキシコのグアダラハラで催されるブックフェアは世界第二位の規模である、ラテンアメリカのテレノベラは世界的に隆盛している、ツイッターでもスペイン語は二番目に多く使われている……
カタルーニャはこれまで決して閉鎖的な地域ではなく、コスモポリタン的な開放精神に満ちていた。それがスペイン語世界にとってあこがれだった。カタルーニャにおけるバイリンガリズム教育はアメリカ大陸の土着言語を守る模範だった。
しかしいまのカタルーニャがやっていることは、他の文化、とくに「スペイン語とその文化」を「抹消」しようとする努力にほかならない。
これがロンカグリオーロの意見である。
この内容についてバルセロナの大学人(ラテンアメリカ文学研究者)と少しだけ話してみたが、カタルーニャ・ナショナリズムの隆盛については特に否定する意見ではなく、おおむね同意していた。(ちなみに付け足された情報として、ロンカグリオーロの父親が学者・政治家で、ついこの前まで外務大臣をつとめている人だったという点がある。)
カタルーニャ・ナショナリズムは日々激しさを増している。昨年あったような独立をめぐる政治運動は、何年か何十年かおきに再燃することは間違いない。そういう環境は、確かにスペイン語を軸とする文学や文化表現者や研究者にとって厄介であるだろう、というのがその人の意見であった。
といっても、それが即、バルセロナを捨ててマドリード、という意見ではなかった。 ロンカグリオーロの話の持っていき方は少し極端ということなのだろう。スペイン語が世界第二位の言語であるというのを訴えすぎるのも、ちょっと興ざめのような気がしなくはない。けれども、これ以上世界が英語に埋め尽くされていいのかどうかという点を鑑みれば、ロンカグリオーロの言っていることも理解できる。
文化行事について言えば、筆者はマドリードの「カサ・デ・アメリカ」の出版イベントに行ってみて、何人かの作家と雑談することができたことがある。ただそれだけのことだが、塵も積もれば式に考えれば、バルセロナ在住者にとっては残念な事態なのかもしれない。
さらに憶測をすれば、そういうことを残念に思う背景には、出版イベントなどの社交の場が自己のプロモーションにとって決定的に意味をもつ可能性が高くなっているというネオリベ的現状があるからかもしれない。
短期間滞在しただけの旅行者の体験から言えば、バルセロナで聞こえてくるのはスペイン語ではなく、カタルーニャ語と英語である(これはロンカグリオーロも言っている)。
観光客には英語で話しかけ、カタルーニャ人同士はカタルーニャ語で話しているからだろう。地名、電車内の案内放送、レストランのメニューなどはカタルーニャ語がほとんどであり、スペイン語しか知らない人にとってはなかなかきつい。東洋人である話し手がスペイン語を使ったその先にようやくスペイン語の応答があるわけで、つまりそれはバイリンガル世界というよりはトライリンガル世界に近い(これはスペイン人には起きていないことだろうと思われる)。
だが、これも同じラテンアメリカ文学研究者が言っていたが、スペイン語を知っている人なら、2、3か月でも集中してカタルーニャ語をやればいいことなので、そのあたりは1年ぐらい滞在する気であればどうってことはない。つまりカタルーニャで生活していきたいのなら、もう少し努力をしてみたらもっと面白くなるよ、ということかもしれない。
カタルーニャ語とスペイン語を状況次第で使い分けて話してみたりしてみたいものだ。
[この項、さらに続く]
2015年9月7日月曜日
オスバルド・ランボルギーニとセサル・アイラ
バルセロナで見ることができなかった展示のひとつは、バルセロナ現代美術館(MACBA:MUSEU D'ART CONTEMPORANI DE BARCELONA)でのオスバルド・ランボルギーニの展示である。
この記事によれば、9月6日までやっているはずなのだが、9月のはじめにはすでに終わっていた。500枚以上の絵画の展示だったようである。絵画といっても、自身が書いた絵のほかに、雑誌の写真の切り抜きや、それに自分で書き足した「コラージュ」などがある。
オスバルド・ランボルギーニは1940年にアルゼンチンに生まれた作家である。生前3冊の本を残した。1981年、バルセロナに移り、4年後、病気で急死した。
ここ何年ものあいだ、ランボルギーニの文章を編集して出版しているのが、アルゼンチンの作家セサル・アイラである。以下の3冊がそれだ。
Lamborghini, Osvaldo, Novelas y cuentos I(Edición al cuidado de César Aira), Editorial Sudamericana, 2003, Buenos Aires.
---, Novelas y cuentos II(Edición al cuidado de César Aira)[2003], Literatura Mondadori, 2011, Buenos Aires.
---, Tadeys(Edición al cuidado de César Aira), Literatura Random House, 2015, Barcelona.
彼の短篇「正義 La causa justa」はマルビーナス戦争下の日系人とポーランド系アルゼンチン人の話である。
展示に合わせて出版されたものが手に入った。
Lamborghini, Osvaldo, El sexo que habla, Museu D'art Contemorani De Barcelona.

展示された絵の一部のほか、セサル・アイラ、アラン・パウルスなどの 文章が収められている。
バルセロナ現代文化センター(CCCB)の本屋では、セサル・アイラの本が新しい装いで売られていた(以下の写真参照)。店員たちのなかにアイラ・マニアがいて、多作のアイラのどれを読んだらよいかを教えてくれる。3冊をアイラ入門書としてあげ、そのなかに邦訳のある『わたしの物語』(柳原孝敦訳)が入っていた。
この記事によれば、9月6日までやっているはずなのだが、9月のはじめにはすでに終わっていた。500枚以上の絵画の展示だったようである。絵画といっても、自身が書いた絵のほかに、雑誌の写真の切り抜きや、それに自分で書き足した「コラージュ」などがある。
オスバルド・ランボルギーニは1940年にアルゼンチンに生まれた作家である。生前3冊の本を残した。1981年、バルセロナに移り、4年後、病気で急死した。
ここ何年ものあいだ、ランボルギーニの文章を編集して出版しているのが、アルゼンチンの作家セサル・アイラである。以下の3冊がそれだ。
Lamborghini, Osvaldo, Novelas y cuentos I(Edición al cuidado de César Aira), Editorial Sudamericana, 2003, Buenos Aires.
---, Novelas y cuentos II(Edición al cuidado de César Aira)[2003], Literatura Mondadori, 2011, Buenos Aires.
---, Tadeys(Edición al cuidado de César Aira), Literatura Random House, 2015, Barcelona.
彼の短篇「正義 La causa justa」はマルビーナス戦争下の日系人とポーランド系アルゼンチン人の話である。
展示に合わせて出版されたものが手に入った。
Lamborghini, Osvaldo, El sexo que habla, Museu D'art Contemorani De Barcelona.
展示された絵の一部のほか、セサル・アイラ、アラン・パウルスなどの 文章が収められている。
バルセロナ現代文化センター(CCCB)の本屋では、セサル・アイラの本が新しい装いで売られていた(以下の写真参照)。店員たちのなかにアイラ・マニアがいて、多作のアイラのどれを読んだらよいかを教えてくれる。3冊をアイラ入門書としてあげ、そのなかに邦訳のある『わたしの物語』(柳原孝敦訳)が入っていた。
2015年9月5日土曜日
世界文学とラテンアメリカ(バルセロナ編)
世界文学は世界中の文学研究者のあいだで熱っぽい議論を呼び起こしている(と思われる)。
このブログのなかではキューバのロベルト・フェルナンデス=レタマールの論考を紹介した。あの文章は1970年代、キューバ革命の意義とラテンアメリカの今後を見据えて書かれたもので、著者のイデオロギーははっきりしていた。一部ではすでに革命への眼差しは異なるものだったのだが、あの文章には、あのように書かれるべくコンテクストがあったと思う。
さて、スペイン語圏における世界文学論の盛り上がりを示す文献として、出たばかりのものを一冊紹介しよう。それはこちら。
Müller, Gesine & Gras Miravet, Dunia(eds.), América Latinay la literatura mundial: mercado editorial, redes globales y la invención de un continente, Iberoamericana-Vervuert, Madrid, 2015.
編者のMüllerさんはケルン大学、Duniaさんはバルセロナ大学の先生である。 表紙のロゴは編者の名前からとっている。
目次はこちら。21人の研究者や翻訳者による論文集。
作家名で言うと、ソル・フアナからカルロス・フェンテス、ジュノ・ディアス、フアン・マヌエル・プリエト、ボラーニョなど。論文タイトルにあがるものではボラーニョが一番多い。
Dunia先生の論考は、「内側から見たブーム:カルロス・フェンテスと文化振興のインフォーマル・ネットワーク」というもので、フェンテスの書簡を材料にしながら、彼が多くのラテンアメリカ作家を世界に紹介するインフォーマルな橋渡しとして働いていたことを実証していくものだ。
その他のものは(全部をきちんと読んだわけではないが)、ブックフェアにおけるアルゼンチン・ブースのイメージ戦略、オランダ、フランス、イギリス、イタリアにおけるラテンアメリカ文学の受容、そしてなんと、インドにおけるラテンアメリカ文学の受容についての文章が二本もある。ラシュディとガルシア=マルケスあたりの共通点からはじまるとして、どのような論になっているのだろうか。
ついでに知ったのだが、コロンビアの作家サンティアゴ・ガンボア(1965〜)は在ニューデリー・コロンビア大使館の文化参事官をつとめたそうである。 古くはオクタビオ・パスがインドにいた話は有名だが。
Dunia先生には世界文学がらみ以外にも多くの仕事があるのだが、それはまた別の機会に紹介したい。
このブログのなかではキューバのロベルト・フェルナンデス=レタマールの論考を紹介した。あの文章は1970年代、キューバ革命の意義とラテンアメリカの今後を見据えて書かれたもので、著者のイデオロギーははっきりしていた。一部ではすでに革命への眼差しは異なるものだったのだが、あの文章には、あのように書かれるべくコンテクストがあったと思う。
さて、スペイン語圏における世界文学論の盛り上がりを示す文献として、出たばかりのものを一冊紹介しよう。それはこちら。
Müller, Gesine & Gras Miravet, Dunia(eds.), América Latinay la literatura mundial: mercado editorial, redes globales y la invención de un continente, Iberoamericana-Vervuert, Madrid, 2015.
編者のMüllerさんはケルン大学、Duniaさんはバルセロナ大学の先生である。 表紙のロゴは編者の名前からとっている。
目次はこちら。21人の研究者や翻訳者による論文集。
作家名で言うと、ソル・フアナからカルロス・フェンテス、ジュノ・ディアス、フアン・マヌエル・プリエト、ボラーニョなど。論文タイトルにあがるものではボラーニョが一番多い。
Dunia先生の論考は、「内側から見たブーム:カルロス・フェンテスと文化振興のインフォーマル・ネットワーク」というもので、フェンテスの書簡を材料にしながら、彼が多くのラテンアメリカ作家を世界に紹介するインフォーマルな橋渡しとして働いていたことを実証していくものだ。
その他のものは(全部をきちんと読んだわけではないが)、ブックフェアにおけるアルゼンチン・ブースのイメージ戦略、オランダ、フランス、イギリス、イタリアにおけるラテンアメリカ文学の受容、そしてなんと、インドにおけるラテンアメリカ文学の受容についての文章が二本もある。ラシュディとガルシア=マルケスあたりの共通点からはじまるとして、どのような論になっているのだろうか。
ついでに知ったのだが、コロンビアの作家サンティアゴ・ガンボア(1965〜)は在ニューデリー・コロンビア大使館の文化参事官をつとめたそうである。 古くはオクタビオ・パスがインドにいた話は有名だが。
Dunia先生には世界文学がらみ以外にも多くの仕事があるのだが、それはまた別の機会に紹介したい。
2015年9月3日木曜日
キューバ文学(10)バルセロナ編[追記あり]
バルセロナでキューバ文学はどうなっているのだろうか。
バルセロナ在住のキューバ作家で有名なのは、アビリオ・エステベスとイバン・デ・ラ・ヌエス。
アビリオ・エステベス(1954年生まれ)は、亡命して15年くらいになるのではないかと思って、Wikipediaで調べてみたら、46歳で亡命したそうだから、2000年ということでぴったりだ。
実は亡命する前にハバナで、たまたまだけれども短い時間話をしたことがある。ビルヒリオ・ピニェーラのことを知っている人だったので、教えてもらった。
バルセロナに移ってからも精力的で、2年に一冊ぐらいのペースで本を出し続けている。
イバン・デ・ラ・ヌエスはエル・パイース紙にコラムを書いているので、たまに読む。
ずいぶん前に、このブログでも米国との国交回復についてのコラムを紹介した。その後も2か月に1本ぐらいの割合で書いている.
バルセロナで見つけたキューバ文学の新刊本を紹介しておこう。
現代キューバLGBT短篇集である。出版社の情報はこちら。
Mañana hablarán de nosotros: Antología del cuento cubano(Prólogo de Norge Espinoza, Recopilación de Michel García Cruz), Editorial Dos Bigotes, 2015.
19人の短篇が入っていて、劈頭は上で紹介したアビリオ・エステベスである。全体の3分の1ぐらいの作家しか知らないが、最近気になり始めているアナ・リディア・ベガAnna Lidia Vegaというサンクトペテルブルク生まれのキューバ作家も入っている。
[追記:9月8日]
出版社Dos BigotesのHPを見ていたら、前に気になって手に入れたこの本もここから出ていた。序文を書いたEduardo Mendicuttiが登壇したのはこの本の出版記念イベントだった。
バルセロナ在住のキューバ作家で有名なのは、アビリオ・エステベスとイバン・デ・ラ・ヌエス。
アビリオ・エステベス(1954年生まれ)は、亡命して15年くらいになるのではないかと思って、Wikipediaで調べてみたら、46歳で亡命したそうだから、2000年ということでぴったりだ。
実は亡命する前にハバナで、たまたまだけれども短い時間話をしたことがある。ビルヒリオ・ピニェーラのことを知っている人だったので、教えてもらった。
バルセロナに移ってからも精力的で、2年に一冊ぐらいのペースで本を出し続けている。
イバン・デ・ラ・ヌエスはエル・パイース紙にコラムを書いているので、たまに読む。
ずいぶん前に、このブログでも米国との国交回復についてのコラムを紹介した。その後も2か月に1本ぐらいの割合で書いている.
バルセロナで見つけたキューバ文学の新刊本を紹介しておこう。
現代キューバLGBT短篇集である。出版社の情報はこちら。
Mañana hablarán de nosotros: Antología del cuento cubano(Prólogo de Norge Espinoza, Recopilación de Michel García Cruz), Editorial Dos Bigotes, 2015.
19人の短篇が入っていて、劈頭は上で紹介したアビリオ・エステベスである。全体の3分の1ぐらいの作家しか知らないが、最近気になり始めているアナ・リディア・ベガAnna Lidia Vegaというサンクトペテルブルク生まれのキューバ作家も入っている。
[追記:9月8日]
出版社Dos BigotesのHPを見ていたら、前に気になって手に入れたこの本もここから出ていた。序文を書いたEduardo Mendicuttiが登壇したのはこの本の出版記念イベントだった。
登録:
投稿 (Atom)