2015年8月13日木曜日

プエルトリコ映画(2)『逃亡奴隷』

監督:イバン・ダリエル・オルティス Iván Dariel Ortíz
制作年:2007年
原題:El Cimarrón

カリブ地方には各地に逃亡奴隷の物語がある。コロンビアなら、サン・バシリオ・デ・パレンケのベンコス・ビオホー。キューバには元逃亡奴隷の語りを人類学者ミゲル・バルネーが編集した『逃亡奴隷』がある。

この映画は、プエルトリコの逃亡奴隷、Marcos Xiorro(カタカナにしにくいが、マルコス・シオーロとしておこう)の物語だ。マルコスのことは、Wikipediaにも載っている

マルコスは、アフリカでは高貴な家系で、フェミと結婚したばかりだった。しかし夜中に外部からの侵入を受けて引き離される。

そしてプエルトリコに奴隷として連行される。1808年のことだ。

奴隷市場で売られ、紆余曲折ののち、フェミもマルコスも農園主ドン・パブロのもとで働かされるようになる。マルコスは頻繁に農場から逃げ出しては捕らえられ、奴隷頭のサンティアゴにはひどい扱いを受けている。
 
ドン・パブロは生粋のスペイン人(ペニンスラール)で、砂糖農園を経営しているが、スペインとの往復生活だ。妻は妊娠中。妻は出産のためスペインに戻る。一人になったドン・パブロはフェミ(カトリック名はカロリーナ)を手込めにしようと機会を狙っている。

ここでプエルトリコの当時の状況が説明される。


・ドン・パブロのようなペニンスラールとカトリック教会側は、プエルトリコをカリブ海の要所と考え、植民地として維持し続けるつもりである。砂糖生産に力を入れ、革命後砂糖生産が落ち込んだハイチを抜き、プエルトリコでのペニンスラールの経済力と政治力を確固たるものとしようとしている。1809年から1820年までプエルトリコ知事を務めたサルバドル・メレンデス・ブルナ(Salvador Meléndez Burna)はペニンスラールの味方だ。

・彼らにとって敵となるのは、クリオーリョ勢力だ。彼らは徐々に経済力をつけてきている新興層。映画ではコーヒー農園主ドン・ドミンゴに代表される。教会側にもフアン・アレホ・デ・アリスメンディ司教(Juan Alejo de Arizmendi)のようにクリオーリョに味方する自由主義者がいる。また、政治家のなかにもプエルトリコの立場を改善しようと働く政治家ラモン・パワー・イ・ヒラルト(Ramón Power y Giralt)もいる。ラモンはプエルトリコ代表としてカディス議会(カディス・コルテス)に赴く予定である。これが歴史上1809年から1810年のことで、映画の設定が1808年である理由はここにあるのだろう。

映画内での対立構造をまとめると、以下のようになる。

・保守派:ペニンスラール(ドン・パブロ、砂糖農園主)、教会関係者:奴隷制維持、植民地体制維持
 奴隷を大量に連れて来て、砂糖生産高を上げ、場合によって北アメリカのバイヤーに売るつもりである。

・自由派:クリオーリョ(ドン・ドミンゴ、コーヒー農園主):奴隷廃止、独立(とははっきり言っていないが)
  奴隷がたくさん来れば来るほど、クリオーリョの仕事は少なくなる。奴隷廃止をスローガンにクリオーリョ層を一致団結させようとする。


映画のその後はかなり駆け足だーー
 
ドン・ドミンゴは前述のアリスメンディ司教の支援もあり、奴隷廃止をスローガンにクリオーリョで団結しようとしたが、密告者に殺されてしまう。しかもペニンスラール側は、その犯人が奴隷のマルコスだと噂を流し、マルコスには死刑判決が出る。

マルコスは脱獄し、ドン・パブロを殺害して、カロリーナとともに逃げる。他の奴隷たちも蜂起する。しかしカロリーナはペニンスラール側に撃たれて死ぬ。泣きくれるマルコス。

映画はここで終わる。マルコスが逃亡奴隷になるのはその先のことだ。

まとめておくと、19世紀前半にはクリオーリョが力をつけて、プエルトリコの独立と奴隷解放を唱えていた。しかしその勢力は、プエルトリコを帝国のカリブにおける要所としか考えていないペニンスラールにつぶされた、ということ。

0 件のコメント:

コメントを投稿