それはともかく訳していたデウス・エクス・マキナを乗り越えようと説く文学論では、「不和」というものの素晴らしさが伝わってくる。これを書いた人は、人と不和であることを引き受けている。それはその人が同性愛者である自分の存在を賭けたその結果でもあったと私は読んでいる。
彼はacoplamientoという単語を使う。「連結」とか「結合」という意味で、動詞だとacoplar。この単語には交尾(する)という意味もある。同性愛者であった彼は、その行為の不可能性に向き合わざるを得なかった。彼から見れば、acoplamientoというのは妥協的な機能でしかない。交尾がただの妥協の産物であるということだ。
彼にとって文学とは、自分の存在を預け、そこで実現できるものを試すことだったと言えるかもしれない。というか、彼は文学にしかいられなかったのではないか。そこにデウス・エクス・マキナなどいてはならないのだ。
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