2016年9月26日月曜日

「南の文学」について(世界文学CLN研究集会後、考えたこと)

この2日間(9月24日・25日)、世界文学・語圏横断ネットワーク(世界文学CLN)の研究集会に出て、初日のセッション「南の文学」ではコメンテーターを務めた。

その後、「南の文学」のコンセプトについて、あれこれと思いを巡らせている。

今のところ「南の文学」については下のように3つに分けて考えたい。速記的に書いているので、穴だらけであることは言うまでもない。随時書き足していくつもりだ。

①北の文学に遍在する「南」
 ラテンアメリカに足場を置いていると、「北」の文学で「南」への移動が映し出されているものは特に気になる。
 実際、そういうものに出会うことは珍しいことではない。前回のエントリーで触れたように、黒人作家のリチャード・ライトもスペインに行き、紀行を残し、闘牛について書いていたりする。
 北の作家が必ずしも「南」を訪れていなくても、「熱帯」「混血の美女」などのようなかたちで北に現れた「南」という異文化を描いたものも枚挙にいとまがない。ヴァレリー・ラルボー「フェルミナ・マルケス」は、実は先進国に広まる「コロンビアン・ビューティ」神話の淵源ではないかと思っているのだが、ここではボゴタ出身の女の子が、「熱帯」ではないのに「熱帯から来た南の美少女」として捉えられている。それがパリのボゴタに対する見方だ。
 ジュノ・ディアスのような作家もまたこの中に入れるべきかもしれない。米国のラティーノ作家における「南」は重要だ。
 北の中に「南」を読み取ること。この作業では、何を「南」とするのか、それが大切になる。

②「南」から見た北への抵抗
 ラテンアメリカ文学からはこれが最もシンプルで、ストンとくる考え方である。アングロサクソンの北に抗するための「南の文学」の可能性。メキシコやキューバの文芸批評家には特にこの視点は強い。メキシコの小説『El ejército iluminado』など、今まだこの考え方は十分に働いている(この小説についてはまた改めて取り上げたい)。
 この場合の「北」はアングロサクソン文化やアメリカ合衆国であるが、必ずしもそれだけとは限らないかもしれない。
 欧米発の知のパラダイムに取り込まれることへの恐れ。これもまたラテンアメリカには根強い。この時の欧米のパラダイムはやはり抵抗したい対象としての「北」だ。コロンビアの作家フアン・ガブリエル・バスケスにとってのコンラッドだって、ある意味では「北」だろう。
 この時の「南の文学」は、上とは逆に、何を「北」とするかをはっきりさせる必要がある。 ①があり、それゆえに②がある。

③「南と南」
 上記2つを経由した上で浮上するのが「南と南」の考え方だ。
 これまでも南と南のつながりはあった。私の知る範囲で言えば、革命後のキューバとベトナム、カンボジアのような国々とのつながりはその一例である。もちろん南同士はフラットなつながりではない。そこにもある種の階層がある。この点については東京外大の「総合文化研究」の最新号(19号)にある、ウンサー・マロムさんのキューバ・クロニカ「ポル・ポトのカンボジアからフィデル・カストロのキューバへ」を読むとよくわかる。この時代の南と南は、モスクワを経由した出会いだった。
 ちなみに上記①の文学は、昔ならパリを抜きには成立しなかっただろう。今ならNYも入る(ジュノ・ディアスの例)。
 21世紀に入り、交通手段の多様化によってパリ・NY・モスクワを抜きにした出会いは日に日に可能になっている。ブエノスアイレスの空港では、当然だがヨハネスブルグ行きの、シドニー行きのフライト掲示を見ることができる。シンガポールやドバイを経由する南だけの世界一周。
 このようなルートによる新しい結びつき。これが21世紀の「南と南」だ。このようにして、例えばクッツェーのアルゼンチンにおける試みがある。あるいは、インド人研究者Vibha Mauryaの論文「Las demografías literarias y el encuentro sur-sur(América Latina e India)など。まだ新しいこのコンセプトはどこに行くのだろうか。とても興味深い。

 今回の研究集会の「南の文学」のセッションをへて、今、一応このようなところにたどり着いた。

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