2025年10月7日火曜日

10月7日

ブラックマンデー。週の前半に重たい話し合いがあるので、週末の流れと合わなくてそれに耐えられず、言葉遣いがextrañamente rudoであることに気づくのは話しはじめてから。あわてて戻そうとしても、ああ、そんなことはできないのだなと口を開けば墓穴を掘っている。どの言葉も暗号のよう。なら何から何まで暗号でいいのに、暗号じゃないところに目がいく。毒みたいな物言いをしているつもりじゃない。でもそれに意味を持たせようとしているうちに、その意味に持たされてしまう。

2025年10月6日月曜日

10月6日

週末は美術関係の研究会に出て、東京国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」を再訪。そのあとは帝国在郷軍人会が建て、戦後は日本遺族会が運営した九段会館(現在は九段会館テラス)を通過。

2025年10月2日木曜日

10月2日

いまのこの空気感の中で、災害は起きてほしくない。そんなことがあったら、何が起こるかわからない。もう起きているとも言えるが。

2025年9月29日月曜日

9月29日

スペイン語を話す人がヨーロッパや南米から訪ねてくる機会が増えている。友達の友達、友達の紹介で来るので初対面の人、同業者ではなく普通の観光客だ。アジア・東洋的なものを見たいとなって、大きな美術館・博物館に行くとなると半日がかりだし、これは時間に余裕がないとつらい。そういうとき、明治神宮前駅の近くにある太田記念美術館に行って浮世絵を見るのはおすすめである(結局閉館時間になってしまい、実際に入ったのはこちらだけだったが)。前後には一保堂の喫茶室でお茶でも飲めば、表参道を歩けるのでいい散歩にはなる。食事に行くとき、何を食べたい?と聞いたら、「そうだな、強いていうなら ワオーーってなるようなもの(comida waoooo)を食べたい」と言われました(笑。

2025年9月27日土曜日

9月27日

竹橋の東京国立近代美術館で、「記録をひらく 記憶をつむぐ」を見てきた。戦争画の展示ということで図録もなければチラシも作らず、それがむしろ関心を惹いているようにも思ったが、そんなに混んではいなかった。内容重視の慎重に作られた企画で、見応えがあって、できればもう一度見にいきたい。全体がどれくらいの規模なのかがわからなかったこともあるし、こちらの頭脳の限界もあって、絵画を中心に見たために、合間に置かれた雑誌その他の資料までを丁寧に見ることはできなかった。合わせて「コレクションに見る日韓」と「所蔵作品展」も見るつもりだったので、あまりの分量で関心もあちこちに飛んでしまって、よくあることとはいえ、整理がつかないままに見たものも多かった。もったいないことをした。この前行った長崎県立美術館の展示もかなり大胆な内容だったし(ゴヤの戦争ものって結構重い)、戦後80年がこういう展覧会を可能にしたことが時期として遅かったのか早かったのか、もちろん人それぞれの受け止め方次第で、世代的なものや日頃の興味の方向に依存するとはいえ、忘れられない展覧会ではあると思うし、できれば関心を共有できる場所があるといいし、こういう展示が将来のための下地なりなんなり、踏みとどまるためのなんなりにならないものだろうか。「なんなり」ってなんなの?というのはあるけれど。

2025年9月26日金曜日

9月26日

この記事を翻訳で読んだマルタ・ルイサ・エルナンデス・カデナスからメッセージをもらいました。京都で話ができるかもしれない。楽しみ。

2025年9月25日木曜日

9月25日

Temprano en esa tarde, crepuscular, el barrio de comercio de Tokyo y la cuesta un poco empinada,  caminando yo, ¿después de 25 o 30 años?  Los edificios vistos y no vistos, ya aquél no hay, sí esto hay, algo que queda, la escalera de caracol bien oxidada, bien cerrada con la cadena oxidada... El club de tenis, ah, me acuerdo, ya estoy en la cima de la colina. 

Allá la cuesta abajo, otro tiempo pasado, otra historia pasada, como el río, corre y la curva,  no veo más allá de la curva, si sigo el camino, que me conducirá al tiempo pasado, cuando caminaba y llegaba a la estación, que tomaba y que me llevaba a ninguna parte. Al volver la mirada, tres edificios gigantes conectados entre sí, SAKURA STAGE. Un futuro, donde vivirán los que llegarán. 

Justamente anochece, tal vez, sopla un viento, que borra algo. 

Los tiempos plurales convergen en este camino, la cuesta particular, esta cima, donde nunca me he detenido. NO SABRÉ qué hago. ¿Dónde está el ahora? Encuentro ¿qué?, ahora o pasado, ahora y pasado juntos, o ninguno de ellos, será lo que sabré después.