2026年1月25日日曜日

1月25日

東京国立近代美術館で「アンチ・アクション展」。展覧会場をまわっていくと、見開き2ページの解説文をピックアップできて、全部で14篇の「別冊アンチ・アクション」が出来上がる。

「抽象絵画は外界を再現する役割から解放され、素材と空間により見る人との間に出来事を起こす場となったのだ。したがって見る側は、作品に何が描かれているかではなく、作者が画面上で何をどう行ったかに、まずは目を向ける必要がある」(江上ゆか「それぞれの(アンチ・)アクション=制作行為」) 

コレクション展では、新たに所蔵された岡崎乾二郎の以下の二つの作品が素晴らしい。

屋根の熱気に吹きつけられ、祖父の顔は頭蓋骨のようにもう色褪せて見える。ところで彼は何といったのでしたっけ?灼熱の焼きごてを眼に入れられようとしたときに。「僕の美しいお友達、火よ。もう少しやさしくお願いします」。大丈夫。安心なさって。姉は日傘を取りにいき、祖父は指先をまるく尖った舌で冷やしていた。」

「背後から火事が迫ってきたとでもいうの、この顔の青さは普通じゃないわ、どうしたの?ぽつりと答えます。「惜しいと思うほどの物は捉まえようと追いかけず、一生惜しんで思い出せるようにしておいたほうがいいんだよ」。そうか。胡瓜の漬け方を、老婦人から習ったときみたいに、熟した実がひとりでに落ちる音を聞いた。」


2026年1月24日土曜日

1月24日

台北に行ったので、台湾ものを読もうと佐藤春夫『台湾小説集』(中公文庫)から「女誡扇綺譚」。池澤夏樹選の河出書房の日本文学全集にも入っている。これは幽霊屋敷の怪奇的な話だ。佐藤春夫はラフカディオ・ハーンを訳したことがあるという。そのハーンより10年ほど前に日本を旅したのがイザベラ・バードで、彼女の『日本奥地紀行』があるけれども、その彼女の通訳を務めた男性は伊藤鶴吉。彼を主人公にしてフィクショナルに書いたのが中島京子『イトウの恋』。これは名作傑作。『平成大家族』も。

台北では台北ビエンナーレ2025(Whispers on the horizon)を台北市立美術館で見たのだが、その趣旨説明では呉明益『自転車泥棒』、候孝賢の『戯夢人生』、それに見たことのない陳映真の『My Kid Brother Kaonxing』が触れられていた。「From the cinema and literature of Taiwan, these are not mere stories; they are echoes of something deeper, something universal, something that reaches beyond their form.」

ガルシア=マルケスがエピグラフにあるのが呉明益の「歩道橋の魔術師」で、ニカノール・パラが引用されるのが「石獅子は覚えている」(どちらも『歩道橋の魔術師』)。

台北ビエンナーレで覚えているアーティスト:Ciou Zin-Yan, Anna Jermolaewa, Afra Al Dhaheri, Mohammad Al Faraj, Rana Begum, Wang Hsiang Lin, Shizuka Yokomizo, Chen Chih-Chi, Skyler Chen, Chen Cheng-Po, Fuyuhiko Takata, Kiriakos Tompolidis.

それから紀蔚然『台北プライベートアイ』(文春文庫)も。

2026年1月18日日曜日

1月18日

共通テスト初日では「国語」に遠藤周作が出題されたのを知った。新聞で問題を読んでみて、そこに「勝呂」という名前を見つけ、昔読んでいた時の記憶が蘇った。こういうことって頭のどこかに眠っているのだなと思った。遠藤の分身的な存在としてあちこちの小説で出てきた人物だ。「影に対して」という出題された小説は生前未発表の作品だったらしい。

遠藤周作はサナトリウム系文学の端っこにいるのがわかる。出題の仕方も最近は読者目線を用意するようになっている。こういう工夫の仕方には親近感を感じる。

「歴史総合・世界史探究」をみていたら、ホセ・マルティの「我らのアメリカ」が引用出題されていた。ということは今やこのテキストは高校生も読むということなのだ。そもそもホセ・マルティの文章が日本語に翻訳されていること。研究されていること。このことの貴重さ。

「帝国」に関する出題として、ローマ帝国、ムガール帝国、スペイン帝国が比較されている。「帝国」に関する一般向けの本が出たのって昨年あたりだったのではなかろうか。比較植民地的な見方の出題もある。植民地化されたアジアの都市としてソウルの地図が載っている。

早速話題の「ベルばら」にしても、歴史をどういうふうに学ぶのかという観点として漫画や文章や記念碑などが挙げられていたり。地理や公共も見たが、好奇心が刺激されるテーマのオンパレード。

それにしても英語の問題よ。

2026年1月8日木曜日

1月8日

ベネズエラ作家ではフリオ・ガルメンディアの「リンゴちゃん」という短篇が面白い。果物屋に並ぶ現地産のリンゴちゃんは元々売れ筋だったけれど、「北」から色合いの美しい匂い立つリンゴが届いてしまって、もう売れない。「もう私のことなんて誰も食べてくれないかも」。

絶望したリンゴちゃんは友だちに相談する。ヤシの実さん、バナナさん、アボカドさん、グアナバナさん(日本語だとトゲバンレイシ)、オレンジさん、トマトさん、パパイヤさん、パイナップルさん、ザクロさん、マンゴーさん・・・【この短編は果物の種類を学ぶのに優れている】

同情してくれる果物もあれば、突き放す果物もある。リンゴだけじゃなく、ヤシの実だってバナナだって「北」からその種類が届けば同じことになると不安を口にする者もいる。

リンゴちゃんは眠れなくなってしまった。かわいそうに翌朝、彼女は悲しみで死んでしまったのだった。友人の果物たちは彼女を埋葬する。

土の中で蛆虫さんに話しかけられるリンゴちゃん。「なんで死んじゃったの?」。リンゴちゃんは答える。「悲しくて。だって北からあの美味しいりんごが着いたので誰も私のこと好きになってくれないから。子供も小鳥も誰ももう私のことを好いてくれない。だったらなんで生きていられるの?」

でも蛆虫さんはリンゴちゃんにあるニュースを伝える。あの美味しそうなリンゴは暑さに負けて、すぐに腐っちゃうよ。それを聞いたリンゴちゃんは確かめに土から這い出て、頑張って果物屋さんに戻る。すると果物屋の主人はたった一日で傷んでしまったリンゴを見て驚いている。「たった一日で!」

それを見たリンゴちゃんは嬉しさのあまり笑って踊る。店の主人は北のリンゴを冷蔵庫に入れる。冷蔵庫にはブドウさんと梨さんもいる。リンゴちゃんは周りのみんなに戻ってきたことを伝え、友達と跳ね回る。北からのリンゴも許してあげる。だって同じ太陽と大地から生まれた果物なんだから。

2026年1月7日水曜日

1月7日

キューバ出身のカルラ・スアレスの『英雄の息子 El hijo del héroe』では、1983年10月にグレナダで起きたときのことが語られる。「1983年10月、ぼくには決して忘れられない出来事が起きた。グレナダの大統領モーリス・ビショップが党のかつての同志によって暗殺された。数日後、米国は島に侵攻した。キューバにいる人たちは、侵攻のことだけでなく、グレナダにキューバ人がいたのでショックを受けた、その大部分は空港建設で働いている労働者だった。人の心に永遠に刻まれる物事がこの世には存在する。あの日々に届くニュースは恐るべき内容だった。侵攻。米国海兵隊に占拠されないように、武器をとって空港を防御する兵士ではないキューバ人。ぼくたちの最初の死者。そしてラジオやテレビのアナウンサーが幾度となく繰り返したので、ぼくもほとんど同じ表現で言い直せること。それは『6名のキューバ人、抵抗の最後の砦が、祖国の旗のために犠牲になりました』というものだ」。(pp.145-146)

42年前の1983年、キューバの人たちは、自分たちが生きている世界の中に見えていないことがあった(そこにはどうしようも乗り越えられない困難もあった)。それがアンゴラやキューバ以外の場所で何がしかに向けて何かをしている人たちのことだった。その時代のことがいまになってわかりつつあるとしても、そのいまの瞬間にも新しいことが起き続けていく。時間は止まらない。生乾きの土地にまた雨が降る。

2026年1月6日火曜日

1月6日

米国の大統領がフロリダの家で言いたいことを言っている。フロリダ州マイアミはカリブ海の玄関口だ。マイアミ国際空港は米国内の空港の中で最も立ち寄ったことが多く(たぶんロサンゼルスよりも多い)、最初に行ったのは四捨五入すると40年前で、そのとき経由地としてカリブ海の島から(このときの飛行は結構揺れて、降りたあと搭乗客の間でそれが話題になった)、そしてユカタン半島から何度か着陸した。長い待ち時間だったから空港中を歩いたのかもしれない。そのあと再び立ち寄っても、巨大な空港なのに、ここら辺にこれがある、あそこら辺にはあれがあるというような勘が働いている気になれる、相性の良い空港だ。キューバ行きのチャーター便の搭乗口はいつも大行列だ。マイアミのリトルハバナにキューバ系の出版社・本屋があったときも、それが閉業したあとも、マイアミの空港からそこまで行ってカジェ・オーチョ(Calle 8)でフルーツジュースを飲んだ。そのマイアミから3時間飛べば、ベネズエラのカラカスなのだということを、これまた四捨五入すると40年前近くに知り合ったベネズエラ人は言っていた。マイアミからキングストン(ジャマイカ)、マイアミからメリダ(メキシコ)、マイアミからサンフアン(プエルトリコ)、マイアミからメデジン(コロンビア)。マイアミまで行ってしまえば、あとはしめたものだ。ただ東京からだと、朝のロス便に乗って乗り換えても同じ日にはマイアミまでしか行けない。あと数時間メキシコ湾上を、カリブ海を飛んでくれれば目的地なのに、と思いながらそこで寝る。マイアミはカリブ海の人の街。メキシコ湾の名前をアメリカ湾に変えると宣言したのがいまの米国の大統領だ。

2026年1月5日月曜日

1月5日

2026年1月3日の米国のベネズエラ攻撃で、ニコラス・マドゥロの警護をしていたキューバ人兵士32名が命を落とした。1983年10月の米国のグレナダ侵攻の時には、千人以上のキューバ兵がグレナダにいて戦い、戦死したし捕虜にもなった。