現実ではなく記憶を書くことについて、ジェラルド・マーティンはガルシア=マルケスの伝記で書いている。「【構想があったが筆が進まなかった『百年の孤独』が一気に書けた】ガルシア=マルケスの身にいったい何があったのか? 長い年月を経たあとになぜこの小説を書けるようになったのか? 彼はぱっとひらめき、自分の少年時代ではなく[instead of a book about childhood]、少年時代の記憶について書くべきだと気づいた[ a book about his memories of his childhood ]。現実realityではなく、現実を写実的に描いた作品[a book about the representation of reality]にしなければならない。アラカタカとそこに住む人たちではなく、彼らの世界観を通して語らなければならない。アラカタカをよみがえらせようともう一度試みる代わりに、アラカタカの人びとの世界観を通して語る(中略)必要があった」(ジェラルド・マーティン『ガブリエル・ガルシア=マルケス ある人生』木村榮一訳、岩波書店、378ページ)。
息切れについて、柴崎友香は『帰れない探偵』で書いている。「どの大陸にやってくる低気圧や豪雨をもたらす前線も年々勢力を増し、甚大な被害が起きるようなっている。先週のニュースかと思って見ていたら今日の別の災害だったりさらに別の場所の災害だったりして、記録的な災害の度に行われる寄付の呼びかけやチャリティーイベントもこのごろは息切れしている」(『帰れない探偵』177ページ)。
民主主義を適切に維持するための活動も息切れ状態だ。無茶苦茶なことを言う人が権力を握ったりすれば(そういうことは実際に起きている)、その監視にも時間を割かなければならない。一日24時間をどのように使えばよいのだろうか。ありきたりのことだけれども、力を合わせる必要がある。他の人ができないときには自分が、自分ができないときには他の人が行動し、それを細々とでも続けて息切れしないように、と思う。民主主義的な手続きで選ばれた人が民主主義を否定することはままあるが、その後、その人にはなんらかの裁きが下される。しかしそれが起きるまでには多くの時間がかかる。本当に多くの時間と人命を引き換えにしないと裁きは下されないのだ。正しく声を上げ、それを人に伝え、それが広がっていく必要がある。帰れない探偵が出身の場所に帰ることができるのはいつだろうか?