2025年10月29日水曜日

10月29日

Kyoto Experimentでパフォーマンスを2つ観てきた。ひとつは、4名[Jang-Chi、李銘宸(リー・ミンチェン)、ネス・ロケ(Ness Roque)、温又柔]のグループからなる「クルージング:旅する舌たち」。フィリピンのルソン島の魚の発酵食品「ブロ」を発端に、オーストロネシアの人々の食の歴史と日本の植民地主義について考えさせる内容。観客には試食や試飲の機会が設けられたり。構想を支えるのが温又柔の3言語短篇小説「旅する「わたし」の舌たち【My Traveling Tongues、「我」的舌尖之旅】。


もうひとつはマルタ・ルイサ・エルナンデス・カデナスの「私はユニコーンではない」。チューリッヒでの映像は事前に見させてもらったが、その時の舞台よりもリラックスしていた。舞台と映像の両方からなる作品なので、スクリーンのサイズ(と映し出される字幕の文字のサイズ)が気になっていたけれども、見やすいものだった。最後のスポークンワードは、映像作家であるジョアンナ・モンテロがその場でスペイン語の表現を英語に翻訳して入力し、(おそらくAIで?)日本語に翻訳され、英語と日本語の字幕が投影されていた。

2025年10月25日土曜日

10月25日

バルガス=リョサの『激動の時代』の書評を書いてくださった江戸智美さんのnote「プロパガンダが現実を塗り替えた」はこちら。図書新聞に掲載された書評へのリンクもあり、そちらで書評全文を読むことができます。

2025年10月20日月曜日

10月20日

 「週刊読書人」に立林良一さんが『激動の時代』の書評を書いてくださった。2025年10月17日発売号で、ここには引用できないけれど、バルガス=リョサ研究者ならではの視点が素晴らしく、作者がこの作品を描いた背景について述べる箇所で筆が冴えわたっている。「図書新聞」で江戸さんはバルガス=リョサの『プリンストン大学で文学/政治を語る』(河出書房新社)から引用しているが、この本を訳したのが立林さんである。二人の書評はこうしてつながっている。


2025年10月18日土曜日

10月18日

図書新聞」(3708号、2025年10月25日)で江戸智美さんが、バルガス=リョサ『激動の時代(作品社)の書評を書いてくださった。冒頭は公開されていて、電子版のバックナンバーで1号単位で読めるので、ここには引用しないけれど、あまりに素晴らしい。全部素晴らしくて感動してしまうが、とくに最後の、この小説の最終パートをめぐって書いているところに、『激動の時代』がいま読まれるべき書であることを指摘した決定的な文章がある。おそらく2500字くらいの短い文章でここまで持っていける力に圧倒される。感謝してもしきれない。いま「図書新聞」は苦境にあり、来年春の終刊が予告されているが、こういうすごい書評が載る書評紙がなくなったらどうなってしまうのだろう。これまで自分はこういう書評を書いてきただろうか。



2025年10月17日金曜日

10月17日

バルガス=リョサの『激動の時代』の書評が相次いで掲載されました。「週刊読書人」(2025年10月17日号)には立林良一さん、「図書新聞」(2025年10月25日、3708号)には江戸智美さんが書いてくださいました。ありがとうございます。

2025年10月15日水曜日

10月15日

土曜日は詩の勉強に出かけたりして、頭がいい方向にかき混ぜられた。ノーベル文学賞にはハンガリーのクラスナホルカイ・ラースローが選ばれ、松籟社が唯一の版元。編集者の木村さんは朝日新聞の記事で「複雑な心境」と言っている。そりゃあ長く絶版で復刊の希望もなかったと思うし、ノーベル賞を取ったら取ったで急に騒がしくなるし。おそらく多くの人が気づくように来年は女性作家の受賞がほぼ確実になる。今年はかなり予想通りの作家が受賞したということで(でも日本語訳は1冊しか出てなかったけれども)、番狂せが起きにくいとすれば(アフリカのアブドゥルラザク・グルナの受賞とかやっぱり嬉しい。それから、スキャンダルでノーベル文学賞がなかった時に急遽代わりに設けられた文学賞をマリーズ・コンデが受賞し、その後、マリーズ・コンデはノーベル文学賞を受賞できず、この世を去ってしまった。こんなことは許されざるべきことだと思う)、来年は今年の予想でも騒がれたクリスティーナ・リベラ・ガルサの可能性が高まってくる。英語圏での評価があるのが大きい。少なくとも事前から話題になるだろう。でもこの作家はまだ日本語に翻訳がない。さてどうなるか。

2025年10月10日金曜日

10月10日

学部・修士を5年一貫にする制度が整うというニュースが流れている。でも修士に進学したい人全員に学費と生活費が支給されなければ、こういう制度は意味をなさないだろう。現在でもすでに経済的に余裕のない人にとって大学院進学は夢のまた夢。博士課程に至っては宇宙旅行のようなもの。修士号を持っている学生の数が増えていけば、おのずと企業も大学院卒を採用するように変化する、だからぜひ修士課程へどうぞ、というようなメッセージを経済的な支援策なしで発するのは、そもそも修士課程に入ろうとする学生に対して無責任だと思う。最終的にツケを払わされるのは学生なのだから。気をつけないといけないよね。

2025年10月7日火曜日

10月7日

ブラックマンデー。週の前半に重たい話し合いがあるので、週末の流れと合わなくてそれに耐えられず、言葉遣いがextrañamente rudoであることに気づくのは話しはじめてから。あわてて戻そうとしても、ああ、そんなことはできないのだなと口を開けば墓穴を掘っている。どの言葉も暗号のよう。なら何から何まで暗号でいいのに、暗号じゃないところに目がいく。毒みたいな物言いをしているつもりじゃない。でもそれに意味を持たせようとしているうちに、その意味に持たされてしまう。

2025年10月6日月曜日

10月6日

週末は美術関係の研究会に出て、東京国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」を再訪。そのあとは帝国在郷軍人会が建て、戦後は日本遺族会が運営した九段会館(現在は九段会館テラス)を通過。

2025年10月2日木曜日

10月2日

いまのこの空気感の中で、災害は起きてほしくない。そんなことがあったら、何が起こるかわからない。もう起きているとも言えるが。