2025年9月6日土曜日

9月6日

映画『遠い山なみの光』(石川慶監督)を制作するにあたって、制作者には二つの引き受けるべき、また乗り越えるべき課題があった。一つは英語で書かれたカズオ・イシグロの原作小説A Pale View of Hills(1982)と比較されることを前提にしなければならないこと。もう一つは、原作では読者の想像や解釈に委ねられた「行間」それ自体を映像として映すことをためらっていては映画にならないことだ。

「行間」ということでは、これはイシグロの長篇デビュー作であるから、その後の傑作『日の名残り』というわけにはいかない。なんとなく不完全というか、不首尾に終わっているように思えなくないところもある。訳者の小野寺健はこのデビュー作について「欲張り」なところがあると指摘している。とはいえ『日の名残り』にしても、イシグロがまだ35歳の時の長篇なので恐れ入りました、ではあるのだけれど。

それにしても、戦後80年と重ねて制作されたこの映画がなかったとしたら、この小説自体、長崎や原爆の記憶の継承が問題化された物語として読まれただろうか。そう読まれるまでに40年以上の歳月を必要としたのかもしれないし、イシグロがこの小説を書いたときには、「長崎や原爆」に近づくために、あえてそこから遠く離れる書き方を選んだようにも思える。その「遠く離れる書き方」が、40年以上が経った今の時代には適切な「遠さ」になったのだ。その「遠い」という距離感が逆にこの映画が撮られてしかるべきという根拠にもなって映画を支え、原作もまた今日的なものにもしている。非常に不思議な感覚だ。小説という個人的な作業が40年前にすでに察知し、描き出していたことを、集団的な作業である映画がようやく追いついたということなのだろうか。イギリスのシーンは古く(1980年代のグリーナムコモン女性平和キャンプの話)、それよりも前の戦後の長崎のシーンの方が新しく見えるという時間の矛盾、時代錯誤的な感覚がこの映画でもっとも印象深い。

映画では稲佐とか城山という地名と並び、若い教員が投獄された場所としてはっきり西坂と言及される。西坂とは1597年に26人のカトリック信者が処刑された地名でもあり、そこには二十六聖人記念館が建てられている。1955年には平和祈念像、1962年にはこの記念館が建立された。つまり1950年代の長崎では、原爆からの復興とキリシタン史の見直しが合流しているのだ。

21世紀に入ってからは九州を中心に製鉄や造船、石炭産業などの遺構を世界遺産へ、という動きの中で、戦艦武蔵を建造した長崎造船所の朝鮮人強制労働の実態が可視化された。高島炭鉱の三菱への払い下げにはグラバーが関わっているが、この近代化と植民化プロセスについては原作も映画も触れていない。そんなことをしたら映画も「欲張り」になってうまくいかなかっただろう。でも原作には「三菱」への言及がある。このあたりが絶妙だ。やはり小説という個人の感覚がそのまま反映できる芸術は、ここまでを含みこむ余地を持てるのだ。

悦子の友人佐知子がアメリカ兵に恋をして渡米の夢をみるのは、日本人による欧米(とその価値観)への憧れとして感情移入しやすい「美談」ということか。

イシグロにとっての40年と同じくらいの重みが、イシグロとは逆方向の移動をした労働者(インテリではなく)にとってもあったはずだが、それはどの芸術にみつけられるのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿