ペルー大統領選の決戦投票でケイコ・フジモリ(フヒモリ)と対決し、激戦のすえに勝利宣言したのがパブロ・クチンスキである。
クチンスキという姓。
きっかけは、昨年翻訳されたベルナルド・クシンスキー『K. 消えた娘を追って』(小高利根子訳、花伝社)のことが頭に残っていたからだろう。
クチンスキのスペルはKuczynskiである。
パブロ・クチンスキの父親はマクシメ・クチンスキ(Máxime Kuczynski)という人物だ。この人はベルリン出身で、ナチスの迫害に遭い、まずはソ連、そしてペルーへ渡った。記録によれば1936年のことだという。
ベルリン大学で医学を学んだ医師である。ペルーではハンセン病の治療にあたった。
そして、あのサン・パブロ・ハンセン病療養所の所長をつとめていたらしいのである。
そう、ブエノスアイレス大学の医学部生ゲバラが訪れた場所だ。『オートバイ日記』(邦訳『モーターサイクル・ダイアリーズ』)に記されている。映画にも出てきて、この療養所のエピソードは映画ではゲバラの人生を変えることになる契機として描かれている。
クチンスキ医師がこの療養所に何年から何年までいたのかはわからない。なので、ゲバラと会ったのかどうかはわからないが、時期は近いような気がする。手元にゲバラのその本も映画もないので確認できないが、もしかするとその人かもしれない。
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