2025年9月29日月曜日

9月29日

スペイン語を話す人がヨーロッパや南米から訪ねてくる機会が増えている。友達の友達、友達の紹介で来るので初対面の人、同業者ではなく普通の観光客だ。アジア・東洋的なものを見たいとなって、大きな美術館・博物館に行くとなると半日がかりだし、これは時間に余裕がないとつらい。そういうとき、明治神宮前駅の近くにある太田記念美術館に行って浮世絵を見るのはおすすめである(結局閉館時間になってしまい、実際に入ったのはこちらだけだったが)。前後には一保堂の喫茶室でお茶でも飲めば、表参道を歩けるのでいい散歩にはなる。食事に行くとき、何を食べたい?と聞いたら、「そうだな、強いていうなら ワオーーってなるようなもの(comida waoooo)を食べたい」と言われました(笑。

2025年9月27日土曜日

9月27日

竹橋の東京国立近代美術館で、「記録をひらく 記憶をつむぐ」を見てきた。戦争画の展示ということで図録もなければチラシも作らず、それがむしろ関心を惹いているようにも思ったが、そんなに混んではいなかった。内容重視の慎重に作られた企画で、見応えがあって、できればもう一度見にいきたい。全体がどれくらいの規模なのかがわからなかったこともあるし、こちらの頭脳の限界もあって、絵画を中心に見たために、合間に置かれた雑誌その他の資料までを丁寧に見ることはできなかった。合わせて「コレクションに見る日韓」と「所蔵作品展」も見るつもりだったので、あまりの分量で関心もあちこちに飛んでしまって、よくあることとはいえ、整理がつかないままに見たものも多かった。もったいないことをした。この前行った長崎県立美術館の展示もかなり大胆な内容だったし(ゴヤの戦争ものって結構重い)、戦後80年がこういう展覧会を可能にしたことが時期として遅かったのか早かったのか、もちろん人それぞれの受け止め方次第で、世代的なものや日頃の興味の方向に依存するとはいえ、忘れられない展覧会ではあると思うし、できれば関心を共有できる場所があるといいし、こういう展示が将来のための下地なりなんなり、踏みとどまるためのなんなりにならないものだろうか。「なんなり」ってなんなの?というのはあるけれど。

2025年9月26日金曜日

9月26日

この記事を翻訳で読んだマルタ・ルイサ・エルナンデス・カデナスからメッセージをもらいました。京都で話ができるかもしれない。楽しみ。

2025年9月25日木曜日

9月25日

Temprano en esa tarde, crepuscular, el barrio de comercio de Tokyo y la cuesta un poco empinada,  caminando yo, ¿después de 25 o 30 años?  Los edificios vistos y no vistos, ya aquél no hay, sí esto hay, algo que queda, la escalera de caracol bien oxidada, bien cerrada con la cadena oxidada... El club de tenis, ah, me acuerdo, ya estoy en la cima de la colina. 

Allá la cuesta abajo, otro tiempo pasado, otra historia pasada, como el río, corre y la curva,  no veo más allá de la curva, si sigo el camino, que me conducirá al tiempo pasado, cuando caminaba y llegaba a la estación, que tomaba y que me llevaba a ninguna parte. Al volver la mirada, tres edificios gigantes conectados entre sí, SAKURA STAGE. Un futuro, donde vivirán los que llegarán. 

Justamente anochece, tal vez, sopla un viento, que borra algo. 

Los tiempos plurales convergen en este camino, la cuesta particular, esta cima, donde nunca me he detenido. NO SABRÉ qué hago. ¿Dónde está el ahora? Encuentro ¿qué?, ahora o pasado, ahora y pasado juntos, o ninguno de ellos, será lo que sabré después.  


2025年9月23日火曜日

9月23日

この秋、10月4日から26日まで開催される京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT)にキューバ人パフォーマー、マルタ・ルイサ・エルナンデス・カデナスが参加し、「私はユニコーンではない」を上演します。そのレヴュー記事をここに書きました。観に行くつもりです。

2025年9月17日水曜日

9月17日

昨日は研究会でヨーロッパ・アヴァンギャルド、主にドイツ語圏のアヴァンギャルドについて勉強した。文学、舞踊、演劇、映画、絵画それぞれでも研究資料が違うし、何より言葉やレトリックが違うことをあらためて確認した。ドイツ語圏にはドイツ語圏の研究の言葉遣いがある。

今日は会議が6個。

2025年9月15日月曜日

9月15日

世界文学・語圏横断ネットワークの21回研究会(9月13日、オンライン)でバルガス=リョサの『激動の時代』をめぐって座談会を開催しました。

アメリカ文学の都甲幸治さん、仏語圏カリブ文学の福島亮さん、比較文学の西成彦さんがそれぞれ興味深い話をしてくださり、バルガス=リョサは奥が深くて面白い作家だということに多くの人が納得した会になりました。




2025年9月9日火曜日

9月9日

藤田嗣治の1943年の絵『◯◯部隊の死闘-ニューギニア戦線』はニューギニア戦線の日本軍の敗北を描いている。長崎県美術館展覧会図録『War in the Eyes of Artists』(2025)では、この絵について、「(略)画面右側から攻め入る日本軍のほうが、左側の連合国軍に対して明らかに優勢である」と解説されている。「右」が「左」を殺すというゴヤ、エドゥアール・マネ、ピカソの処刑画と同じ構図がここにも見られる。

2025年9月6日土曜日

9月6日

映画『遠い山なみの光』(石川慶監督)を制作するにあたっては二つの引き受けるべき、また乗り越えるべき課題があった。一つは英語で書かれたカズオ・イシグロの小説A Pale View of Hills(1982)と比較されることを前提にしなければならないこと。もう一つは、原作では読者の想像や解釈に委ねられた「行間」それ自体を映像として映すことをためらっていては映画にならないこと。

「行間」ということでは、これはイシグロの長篇デビュー作であるから『日の名残り』というわけにはいかず、なんとなく不完全にというか、不首尾に終わっているようにも思えなくないところがある。訳者の小野寺健は「欲張り」なところがあると指摘している。とはいえ『日の名残り』にしても、イシグロが35歳の時の長篇なので恐れ入りました、ではあるのだけれど。

それにしても、戦後80年と重ねて制作されたこの映画を見なければ、この小説自体が長崎や原爆の記憶の継承が問題化された物語として読まれただろうか。そう読まれるまでに40年以上の歳月を必要としたのかもしれないし、むしろイシグロがこの小説を書いたときには、「長崎や原爆」に近づくために、あえてそこから遠く離れるための書き方を選んだようにも思える。その「遠く離れるための書き方」が、40年以上が経った今の時代に相応しい方法になり、その「遠い」という距離感が逆にこの映画が撮られてしかるべきという根拠にもなって映画を支えているし、原作もまた今日的なものにもしているのだ。

映画では稲佐とか城山という地名と並び、若い教員が投獄された場所としてはっきりと西坂と言及される。西坂とは1597年に26人のカトリック信者が処刑された地名でもあり、そこには二十六聖人記念館が建てられている。1955年が平和祈念像、1962年がこの記念館の建立で、1950年代の長崎では、原爆からの復興とキリシタン史の見直しが合流していることになる。

21世紀に入ってからは九州を中心に製鉄や造船、石炭産業などの遺構を世界遺産へ、という動きの中で、戦艦武蔵を建造した長崎造船所の朝鮮人強制労働の実態が可視化された。高島炭鉱の三菱への払い下げではグラバーが関わっているが、この近代化と植民化プロセスについては原作も映画も触れていない。そんなことをしたら「欲張り」になってうまくいかなかっただろうが(原作では「三菱」への言及はある)。

悦子の友人佐知子がアメリカ兵に恋をして渡米の夢をみるのは、日本人による欧米(とその価値観)への憧れとして感情移入しやすい「美談」ということか。

イシグロにとっての40年と同じくらいの重みが、イシグロとは逆方向の移動をした労働者(インテリではなく)にとってもあったはずだが、それはどの芸術にみつけられるのか。