2025年9月9日火曜日

9月9日

藤田嗣治の1943年の絵『◯◯部隊の死闘-ニューギニア戦線』はニューギニア戦線の日本軍の敗北を描いている。長崎県美術館展覧会図録『War in the Eyes of Artists』(2025)では、この絵について、「(略)画面右側から攻め入る日本軍のほうが、左側の連合国軍に対して明らかに優勢である」と解説されている。「右」が「左」を殺すというゴヤ、エドゥアール・マネ、ピカソの処刑画と同じ構図がここにも見られる。

2025年9月6日土曜日

9月6日

映画『遠い山なみの光』(石川慶監督)を制作するにあたっては二つの引き受けるべき、また乗り越えるべき課題があった。一つは英語で書かれたカズオ・イシグロの小説A Pale View of Hills(1982)と比較されることを前提にしなければならないこと。もう一つは、原作では読者の想像や解釈に委ねられた「行間」それ自体を映像として映すことをためらっていては映画にならないこと。

「行間」ということでは、これはイシグロの長篇デビュー作であるから『日の名残り』というわけにはいかず、なんとなく不完全にというか、不首尾に終わっているようにも思えなくないところがある。訳者の小野寺健は「欲張り」なところがあると指摘している。とはいえ『日の名残り』にしても、イシグロが35歳の時の長篇なので恐れ入りました、ではあるのだけれど。

それにしても、戦後80年と重ねて制作されたこの映画を見なければ、この小説自体が長崎や原爆の記憶の継承が問題化された物語として読まれただろうか。そう読まれるまでに40年以上の歳月を必要としたのかもしれないし、むしろイシグロがこの小説を書いたときには、「長崎や原爆」に近づくために、あえてそこから遠く離れるための書き方を選んだようにも思える。その「遠く離れるための書き方」が、40年以上が経った今の時代に相応しい方法になり、その「遠い」という距離感が逆にこの映画が撮られてしかるべきという根拠にもなって映画を支えているし、原作もまた今日的なものにもしているのだ。

映画では稲佐とか城山という地名と並び、若い教員が投獄された場所としてはっきりと西坂と言及される。西坂とは1597年に26人のカトリック信者が処刑された地名でもあり、そこには二十六聖人記念館が建てられている。1955年が平和祈念像、1962年がこの記念館の建立で、1950年代の長崎では、原爆からの復興とキリシタン史の見直しが合流していることになる。

21世紀に入ってからは九州を中心に製鉄や造船、石炭産業などの遺構を世界遺産へ、という動きの中で、戦艦武蔵を建造した長崎造船所の朝鮮人強制労働の実態が可視化された。高島炭鉱の三菱への払い下げではグラバーが関わっているが、この近代化と植民化プロセスについては原作も映画も触れていない。そんなことをしたら「欲張り」になってうまくいかなかっただろうが(原作では「三菱」への言及はある)。

悦子の友人佐知子がアメリカ兵に恋をして渡米の夢をみるのは、日本人による欧米(とその価値観)への憧れとして感情移入しやすい「美談」ということか。

イシグロにとっての40年と同じくらいの重みが、イシグロとは逆方向の移動をした労働者(インテリではなく)にとってもあったはずだが、それはどの芸術にみつけられるのか。