1966年6月12日から18日、ニューヨークで第34回国際ペン大会(年次総会という言い方がいいのかもしれない)が開かれた。当時の米国のペンクラブ会長はアーサー・ミラー。
時代は冷戦下、1952年の移民国籍法(マッカランーウォルター法)によって、米国に共産主義者は入国できなくなっていた。
1966年の国際ペン大会は、その米国で開かれ、キューバ革命後ということもあって、ラテンアメリカ作家、キューバ作家の立ち位置の違いがはっきりとあらわれた。
この会議の模様を前後の文脈を踏まえて論じたのが、以下の本の2章。ずいぶん前のエントリーで少しだけ触れたことのある本。
Deborah Cohn, The Latin American Literary Boom and U.S. Nationalism during the Cold War, Vanderbilt University Press, Nashville, 2012.
この会議に出席するために米国を訪れたのはパブロ・ネルーダ。そして彼の会議出席を咎めたのがキューバ作家たち。キューバ作家協会(UNEAC)は公開書簡を出している。それはCasa de las Américasの機関雑誌「Casa」の38号に掲載され、たとえば、ここ(ネルーダ関係のアーカイブ)でも読むことができる。
当時キューバのペンクラブ会長はアレホ・カルペンティエルで、彼は最終的に出席を取りやめた。米国が主導する左翼去勢政策(castration)には乗らないというのがキューバ作家の立場。
カルロス・フェンテスもこの会議に出席している。その時の経験を書いたのが2003年のこちら。元は「Encuentro」誌に掲載されている。フェンテスはキューバの頑迷な態度に失望。
出席したラテンアメリカ作家たちは、マッカーシズムの終焉と受け取ったが、キューバはそうではなかった。
実はこの会議が開かれているのとほぼ同時期にスキャンダルがあった。それはウルグアイのエミル・ロドリゲス・モネガルがパリから出している雑誌「Mundo Nuevo」がCIAの資金提供(もっと細かくいうと、文化自由会議CCFを通じて)を受けているのではないか、という報道があった。
この「Mundo Nuevo」誌は『百年の孤独』が出版される前に部分的に先行掲載するなど、当時のラテンアメリカ文学を広く知らしめるのに大きな役割を果たしていた。その雑誌が米国の左翼去勢政策と繋がりがあったとは・・・というわけだ。
エミル・ロドリゲス・モネガルについて、レイナルド・アレナスはこう書いている。
「僕はエミル・ロドリゲス・モネガルという人物には格別の敬意を払わなくてはならない。偉大な文学の愛好家であり、並外れた学究的な美点を超える直観力がそなわっていた。この人は月並みな意味での教授ではなかった。偉大な読者であり、自分の弟子たちに美への愛を教え込む不思議な力を持っていた。一つの学派を残した、合州国でただ一人のラテンアメリカの教授だった。」(『夜になるまえに』p.394)
1960年代のラテンアメリカ文学の流れを作っていた雑誌がこの「Mundo Nuevo」と、キューバの「Casa」である。「Mundo Nuevo」が文化自由会議、「Casa」はキューバ政府と、どちらも後ろ盾のある文芸誌ということで、この二つの雑誌の比較は昔からあるが、先日分厚い研究書が出た。手元の版は2017年の本だが、初版は2010年とのこと。
Idalia Morejón Arnaiz, Política y polémica en América Latina: Las revistas Casa de las Américas y Mundo Nuevo, Almenara, 2017.
日本のペンクラブの会長は1965年に川端康成から芹澤光治良へ。1966年NY大会の日本側の出席者はわからない。
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