2020年5月12日火曜日

4月終わりから5月にかけて

4月×日には、本当に久しぶりに大学に行った。どうしても持ち帰っておきたい資料があって、迷っていたのだけれど、気になるならやっぱり行くしかない。天気はいいし、電車に乗客が多いようなら途中で引き返そうと思っていたところ、がらがらで長い椅子の両端それぞれに1人が座っていればいい方だった。久しぶりの大学は新緑で、樹々の葉は鮮やかに輝いていて、ひと気はない(それでも授業日ではあり、何人かの先生方とすれ違った)。郵便物を本当に久しぶりにチェックした。

オンライン授業の開始とともに、Moodleを使い始め、勤務先ではもともとのメール、学務情報システム、それにGoogle フォームを使っている。非常勤先では、ZoomもあるけれどもGoogle Meetも使ってみたりしている。一つのツールに慣れすぎると、他のツールのハードルが高くなるので、慣れないうちに色々と手を出すのがいいのかもしれない。

と思っていたところ、4月×日にはSkypeでオンライン同窓会をやる機会があった。海外にいる人とも繋いだ。オンライン同窓会が増えているというのがここにもきたわけだ。そりゃそうだ、世界どこでも在宅なのだから。

それより前だったか、後だったのか、覚えていないのだが、授業では疫病と文学の話をまくらにしていて、そういう状況で『デカメロン』の設定を考えてみたりすると、結構よくわかったりする。

あれはペストで荒廃したフィレンツェを逃れた10名の若者が物語を語り合う設定で、必ずしも旧知の者同士による同窓会ではないのだが、それでもやはり危機的な状況下で一つの場所に集まり、それぞれが語り合うというところ、今なら誰でもZoomのあの画面を思い出してもいいように思う。集まるのが10人というのもまたZoomの一画面におさまりがよく、この際、それぞれの近況やこんな話あんな話を語り合うオンライン飲み会は、デカメロンなのだと思いたい。

5月に入るといよいよ髪の毛は伸びるし、丸一日PCに向き合っていて腱鞘炎みたいに右手が痺れる。ある明け方、信じたい肩と首の激痛で目が覚めた。PC作業が続いているせいだと思う。その後、鍼治療を受けた。ストレッチポールを使って休めたりもしている。もはやこの新しい、PCに向かい続ける生活をこのままでは続けられないことのサインだ。考えなければいけない。このあとだって、対面式の授業ではできないことが続く。考えなければいけない、というよりは、考え方を変えなければいけないということだ。

そんな中、『群像』6月号が届いた。在宅で編集の方は大変な苦労をされていると聞いた。今回の特集は「翻訳小説」で、翻訳小説70人アンケートというのがあり、そこには私も僭越ながら寄稿した。 というわけで、70人の方々のアンケート結果を興味深く読んだ。そうしたらなんと・・・ それはともかく、今号は他にも現代の(世界)文学について色々な方が書いていて、いや、文芸誌なのだから毎号そうなのだが、いつも以上に面白く読んだ。



近所の散歩は相変わらず続けていて、いよいよ歩いていける範囲のスーパーマーケットは制覇した。歩いていて気づくのは、飛行機がめっきり飛んでいないこと。4月の頭ごろ(この辺りの記憶も曖昧だ)はもっとたくさん飛んでいたような気がする。が、いつの間にか見なくなった。次にどこかに出かけるのがいつのころになるのか見当もつかないが、かといって、これほど素早く変わり続ける世界においては、悪い方に向かってであれ、良い方に向かってであれ、その変化の素早さに変わりはないと信じている。


気がつけば、在宅生活は6週間をこえた。

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