2020年3月11日水曜日

キューバの金日成、Pensamiento Crítico誌

前のエントリーの続き。

『Pensamiento Crítico』1971年5月(52号)には、金日成(Kim Il Sung)の講演原稿が載っている。

タイトルは「資本主義から社会主義およびプロレタリア独裁への移行期にまつわる諸問題について」


本号にはウィルフレッド・バーチェット(Wilfred Burchett、1911-1983)も寄稿している。

この人は、ベトナム、カンボジア、アフリカ、その他植民地諸国に関する著作が日本語にも多数翻訳されているオーストラリア人の記者で、ウィキペディアの日本語版も充実している。

広島の原爆報道について先駆的な報道をしたのがこのバーチェットなのだが、彼の報道を否定するように、『ニューヨーク・タイムズ』紙の記者ウィリアム・L・ローレンスは、放射能恐怖を「日本によって広められているプロバガンダ」と報じた。

この記事でピュリッツァー賞を受賞したウィリアム・L・ローレンスは、その新聞社と米国政府から報酬を得ていることがわかっている(ガレアーノ『日々の子どもたち』、p.209-210より)。

「デモクラシー・ナウ!」のエイミー・グッドマンは、ウィリアム・L・ローレンスのピュリッツァー賞を取り消すように求めている。

ウィルフレッド・バーチェットがこのキューバの雑誌に寄稿したのは、戦後日本の韓国に対する新植民地主義に関するレポートと、ポルトガルの植民地主義をめぐるレポートである。

というわけで、いま手元の『Pensamiento Crítico』をまとめて並べてみた。以下は現物を持っている。

1967年6月(5号)
1967年8月(7号)
1967年9月(8号)
1967年10月(9号)
1968年1月(12号)
1968年3月(14号)
1968年5月(16号)
1969年4月(27号)
1969年8月(31号)
1969年9月(32号)
1969年10月(33号)
1970年3月(38号)
1970年4月(39号)
1970年4月 特別号
1970年5月(40号)
1970年8月(43号)
1970年9月(44号)
1970年10月(45号)
1971年4月(51号)
1971年5月(52号)
1971年6月(53号):最終号

ちなみに1号から13号まではウェブで読むことが可能。

キューバにいる人、行く人、もしよかったら、欠けている号を探してください。高価で買い取ります(笑)。

噂では、私も出かけたベルリンのイベロアメリカ研究所が最近、キューバで色々探し回っているようです。

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以下は旅のメモ。

キューバにはエアカナダを利用してトロント経由で出かけたのだが、このフライト、日本は羽田発で、しかも同じ日に到着するので便利だと思っている。

今回は2年ぶりだったので、便利だったという記憶だけを頼りに、深く考えずに予約したのだったが、出発間近になってから、そういえば、と思い出した。

それはハバナの到着が遅いこと。予定通りに飛んでも夜11時45分着である。

この時間に空港に着いて市内に向かうと、宿泊先に落ち着けるのは1時過ぎ。とはいえ、それはフライトが予定通りで、預けた荷物が順調に出てきてのことだ。

そうはいかないことの方が多い。なんでこんな大切なことを忘れていたのだろう。

何年か前、トロントの出発が遅れ、結局ホテルに着いたのは3時近かった。その時は空港にタクシーがなく、飛行機で一緒になったキューバ人の家族に乗せてもらった。あれでタクシーがなかったらどうなったのだろう。

まあどうにかなったとは思うのだが、今回の出発前は仕事がかなり詰め込まれていて、そこにきてコロナウィルスのこともあって、外務省のサイトに登録したりしているうちに不安が募ってくる。

そういうときに限って、やにわにあのフライトは深夜着だったじゃないか、荷物だって出てくるのに時間がかかったじゃないかということが思い出されてくるのだから不思議なものだ。

つい調べたりしてしまい(調べなきゃいいんだけれど)、そのトロントーハバナ便が遅れに遅れ、朝の5時着になっている日が直近にあったりした。さらには欠航になっている日もあった。欠航とは!

トロントーハバナが欠航になると、翌日のハバナートロント便も当然、飛行機がないわけだから、欠航になる。こういうことがあると、帰国日にも影響が出る。

滞在が1週間(実質は月曜から金曜までの5日間)しかないギリギリのスケジュールを組んでいると、体力的な問題もあるし、こういうフライトの遅延は現地のアポのこともあって、できれば起きて欲しくない。

心配だなあ、大丈夫かなあ、という不安ばかりを抱えて出かけた。

ところが、結果的には、そういうことは何も、少しも起こらなかった。

飛行機がちょっと遅れたぐらいだった。荷物も出てきた。コロナのことで予想外のことはあったものの、大きな問題はなかった。

貴重な話も聞けた。貴重な本も手に入った。

つまり杞憂だった。スペイン語で言えば、miedo imaginario(想像上の怯え)という言い方になるのかもしれない。いや、想像上の旅(viaje imaginario)かな。

いろんなことを想像したので、幾度かの旅を味わったということだ。


 

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