2020年1月5日日曜日

堀田善衛「第三世界の栄光と悲惨について」

前のエントリーではエンツェンスベルガーを紹介したが、それを踏まえて改めて堀田善衛の「第三世界の栄光と悲惨について」を読み返してみた(堀田善衛『小国の運命・大国の運命』筑摩書房、1969年所収)。



「第三世界の栄光と悲惨について」は、そのタイトルからはあまり想像がつかないのだが、エンツェンスベルガー/野村修を介してラス・カサスの例の『簡潔な報告』を中心に置いて論が進められる。

エンツェンスベルガーがラス・カサスを同時代のものとして読むように、堀田もまたそこに同時代性を認め、ときに自分の問題意識を浮かび上がらせ、ときに沈ませたりしていく。

「植民地主義は、その開始の瞬間の、ほんの四〇年間にすでに、もっとも典型的なかたちで、その暴力的な本質をむき出しにしているのである。だから、その後の四〇〇年にわたる否認のための努力は、専ら植民地主義そのものの持つ暴力的な本質の否認にそそがれることになる。」(190)

その否認のために用いられるのが、植民地主義が植民地に与えるのは「恩恵」であるというレトリックだ。だがそれは「たしかに恩恵であると西欧自らが、キリスト教と文明の名において思い込もうとする努力でもあった。そうして、その努力はまことに自然なことにつねに半分成功し、半分失敗しつづけた。」(190)

植民地主義が「発揮した人間侮蔑、あるいは無視、虐殺、殺戮、搾取、隷属、奴隷化、その他のありとあらゆる悪徳と矛盾」は、「その開始の瞬間から、基本的に内蔵されていたものであり、それがつづく限りにおいて、今日においても未来においても、内蔵[ビルトイン]しつづけるものであることを認識しなければ」いけない。
 
「あらゆる帝国主義、植民地主義の、いわば文化的核心には、そこに必ず”絶対化”というものが存在している。」

この絶対化は、スペインならばキリスト教(神)と国王、日本では天皇をアリバイとすることで成立する。

 「二〇世紀日本が発揮した帝国主義、植民地主義は、大東亜共栄圏という名をもっていたが、その核心には、”皇道”というものがあり、その手段には”皇軍”というものが使われていた。」

堀田はラス・カサスを読み、ラテンアメリカにおけるスペインによる植民地支配、そしてアメリカ合衆国への宗主国の交代のなかに、日本によるアジア侵略を映しだす。

「大東亜共栄圏の構想が、米、英、蘭、仏などの帝国主義権力にとってかわるものであったとするならば、われわれはラス・カサス師の古典をめぐっての、スペインとアメリカ合衆国の、植民地支配、管理権の奪取、交替のことを思いあわせてみることも、それほど不当なことではないはずである。」(195)

支配は暴力である。 これに対して植民地および現地人は、ファノンのいう「植民者イコール絶対悪」として応じるしかなく、そこでの「生活それ自体が暴力そのものになる」。

ここから日本につながり、「[暴力を避けるのは]一種まやかしの融和論のようなものになるであろう。日本帝国主義の朝鮮、台湾支配の場合の公式理論は、この融和論にあった。現実の支配は言うまでもなくむき出しの暴力であったが。」

アリバイとして使われた天皇については、スペインの例を引いてこういう。

「国王の名において犯されている犯罪について、国王は何ひとつ知らない、従ってなんの責任もない……。(中略)国王には、少なくとも責任だけはない……。これと同じ理屈を、われわれ日本人もが歴史のほんのしばらくの以前に、煮え湯を呑まされるようにして呑まされた経験を持つ。もっともこの煮え湯はノドもとすぎて、両者ともにとっての、熱さ知らず、とういことに、いつのまにやらなってしまったものであったかもしれないが。」
 
ラス・カサスがインディオを擁護するためにアフリカからの黒人奴隷の制度化への道を開いてしまったことはよく知られる。

四〇〇年前と、アパルトヘイト下の南アフリカの現状とが比べられ、「はたしてどのくらいのへだたりがあるか、と疑わねばならぬだけの根拠を与えられているのである」。

酷使はされるが殺されない奴隷はどのようにして生まれたのか。

「最小限のコストによって最大限の利潤をあげるためには、労働者をめったやたらに殺してはならないという、経済自体がほとんど自動的にもたらしてくる自明の論理」である、 と。

当然日本のことにも話題が及ぶ。

「われわれ日本人の常識では、この奴隷問題に関してだけは、歴史的に、われわれは無罪であろうと思われて来ているのであるが、どっこいそうは行かないのであった」

そして豊臣秀吉による文禄の役が言及され、「また、つい近頃のこととしては、太平洋戦争中に朝鮮から強制連行されて来た労働者、また中国から、これこそ本当に町や村の街頭で「かき攫うて」日本へ強制連行されて来た中国人労働者のことなども忘れ去られてはなるまい。」

奴隷労働によってタバコやコーヒー、砂糖、ラム酒などが生産され、これらは海を渡り、イギリスやフランスの工場労働者の腹に流し込まれ、彼らの労働の疲れや怒りを鎮めることになる。

こうして、カリブ諸島では「後年にいたってたとえばフィデル・カストロによって口をきわめて弾劾されるところの、「大農園」及び「鉱山」が成立する。」(217)

堀田善衛のキューバ体験がこの文章では随所にあらわれて、「虐殺する」に「マタール」とルビがふられたり、ホセ・マルティの「その生命を単一耕作にゆだねた国民は自殺する」が引用されたりする。

このような単一耕作の結果、自律性を失い、国民も「自殺をしてしまった」。

「わが国[キューバ]の三〇パーセントが自分の名前の書き方を知らず、九九パーセントがキューバの歴史すら知らないという考えられないこと」が起き、さらに「わが国の農村地帯の大多数が、コロンブスがこの島を発見したとき『人間の目がこれまでに見たもっとも美しい土地』と感嘆した当時のインディアンよりももっと悪い状態で生活していることも考えられないこと」も起きた、と。これはカストロの言葉。

「帝国主義の富はわれわれの富でもある。ヨーロッパとは、文字通り〈第三世界〉の作り出したものである。ヨーロッパを窒息させるほどの富は、後進諸国の人民から盗みとられた富だ」。これはファノンの引用。

では独立後の第三世界はどうなるのか?これがこの文章のタイトルにつながってくる。

「第三世界が、全体としてよくなりつつあるという徴候はない。【先進国との】その差、ひらきは一層ひどくなりつつあるのが現状である。独立以前よりもわるい、というのが、実際のところ、大部分なのである。(中略)独立は解放の同意語ではないのだ。」(p.223)

アメリカの黒人問題については、マルコムX、デュ・ボイス[ここではデュ・ボア]が参照される。そう言えば、小田実はキューバ紀行の時には、ナット・ヘントフの『ジャズ・カントリー』を参照していた(『この世界、あの世界、そして私』p.42 あたり)。

小田実は、第三世界の人間はいつも「手数料」を払わされてきたと、ナット・ヘントフを借りて言う。

この手数料を払うかどうか、犠牲を伴っているかどうか、これが第三世界なのだ。

まだまだ引用したいところはあるのだが、とりあえずここまで。

この文章に続いて、「エルネスト・"チェ"・ゲヴァラと現代世界」がある。ここではアルジェリアで1965年に開かれた「第二回アジア・アフリカ経済ゼミナール」でのゲバラの演説が紹介される。

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