2015年6月15日月曜日

キューバ文学(3)ヘスス・ディアス

ヘスス・ディアスとレイナルド・アレナスの人生はあるときから分岐する(ラファエル・ロハス)。

ヘスス・ディアスは1941年にハバナに生まれ、2002年にマドリードで死んだキューバの作家、脚本家、映画監督、編集者。

ディアスの訃報は「エル・パイース」紙のこちら

レイナルド・アレナスは1943年にオルギンに生まれ、1990年にニューヨークで死んだキューバの作家。

アレナスの訃報は「エル・パイース」紙のこちら

ヘスス・ディアスは『困難の年月』(Los años duros, 1966)でカサ・デ・ラス・アメリカス賞。

レイナルド・アレナスは『夜明け前のセレスティーノ』(Celestino antes del alba, 1967)でUNEAC文学賞の佳作。

ヘスス・ディアスは1966年からキューバ共産党青年部機関紙「Juventud Rebelde」の編集長(別刷りの文化版)になる。この文化版は「El Caimán Barbudo」と呼ばれるようになり、多くの作家が寄稿する。

しかし、ディアスはあの1989年、奨学金を得てベルリンへ渡る。

チューリッヒでキューバの状況に関する討論会に出席して(エドゥアルド・ガレアーノもいた)、キューバに対する米国の経済封鎖と、カストロによる社会主義か死かの二者択一論法にも反対であると表明した。

この発言が知れ渡り、ディアスはキューバから追放され、 その後はマドリードで雑誌の編集に携わった。

追放されたときのキューバ政府の文書は改めて紹介したい。

ディアスの短篇「アラブのピアニスト」(El pianista árabe)はパリが舞台の、逃亡するキューバ人ピアニストの話(だったと記憶する)。こちらで読める。

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