2015年2月8日日曜日

愛しのキューバ(フアン・ゴイティソロ)

キューバと米国の交渉が始まったことに、スペインの作家フアン・ゴイティソロもエル・パイース紙のコラムでコメントしている。

題して「愛しのキューバ Queremos tanto a Cuba」。2015年1月15日付。

http://elpais.com/elpais/2015/01/15/opinion/1421341270_942571.html

4年前、マラケシュのフアン・ゴイティソロのもとを、カストロのかつての仲間が訪ねてきた。会ってみると、1961年にキューバを訪れたときに知り合った男だとすぐにわかった。

しばし語り合ったのち、男はゴイティソロにおおむね以下のようなことを聞く。「あなたはキューバの何に反対しているのか?いまは、60年代や70年代のような同性愛者の迫害もない、アフリカ系の宗教は自由に信じることができる。それなのになぜキューバ人に対して不信なのだ?」

ゴイティソロは答える。「私は権力を握り続ける体制とキューバ人一般を区別している。私が経験したキューバはいつも私のなかに生き続け、とても懐かしく思い出す。しかし体制に対する考え方は変わらない。そのことを短時間であなたに語ることはできない。」

ゴイティソロは男と語りながら思い出す。ビルヒリオ・ピニェーラ、レイナルド・アレナス、カルベルト・カセイ、カブレラ・インファンテを。彼らは最初は革命を信奉したが、のちに悲惨な目にあった作家たちだ。

アメリカとの国交正常化交渉はキューバの島に変化をもたらすのか。

ゴイティソロは、中期的にはよい変化をもたらすことになると考えている。

「キューバ社会は70年代から80年代にそうだったように一枚岩ではない。 人権活動家たちの勇敢な仕事は島のなかに小さな自由な空間を開いた。経済の自由化やパスポート発行といった控えめな政策もまた、拘束服から自由になることを望む市民社会にとって新たな道を切り開いている。」

言及される活動家はジョアニ・サンチェス(Yoani Sánchez, 1975〜)だ。彼女はブロガー、コラムニストとして島の内部から声を出し続けてきた。2年前だったかと思うが、島を出て、アメリカ大陸、ヨーロッパ各地を遠征し、至る所で講演会、シンポジウム、集会に参加、出席し、キューバの現状を訴えてきた。

「北米やヨーロッパからの多くの観光客との接触や、SNSを通じての外部との接触によって、70年代のスペインのように新しい、戻ることのできない状況が作られるだろう。」


ところで、「愛しのキューバ Queremos tanto a Cuba」というタイトルは、フリオ・コルタサルの本「Queremos tanto a Glenda 愛しのグレンダ」からとられているのだろう。

この表現がとても気になる。queremos(quererの1人称複数形)という動詞には「愛する」という意味と「欲する」という意味がある。


ということは、このタイトルは「おれたちはこんなにまでキューバが欲しい」という意味にもなる。

こんな表現が出てきてしまうところにキューバが抱える問題がある。

おれたちはこんなにもキューバを手に入れたい。

なぜキューバに関わった人は、キューバを欲しがり、自分のものに、独占しようとするのか。キューバをめぐる戦争はすべて所有権に関する争いだ。

ゴイティソロも結局キューバが欲しいのだ。「開かれた複数形の社会(una sociedad abierta y plural)」をのぞみながらも、「Queremos a Cuba(おれたちにキューバをくれよ)」と言ってしまう。この1人称複数形(われわれ)とは誰のことなのだろうか?ゴイティソロはスペイン人だ。キューバはスペインのものだった。

キューバに対する思いを、全体を所有することでない形で、つまり分有の思想で表現できないものか。

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