2020年9月29日火曜日

ゴーギャンとリマ Part II

 前便の続きで、福永武彦『ゴーギャンの世界』から

「[リマの]ドン・ピオの屋敷には多くの女たちが住んでいた。家族の他に黒人の侍女たちもいる。父親のないポールは一族の女たちに愛されていたし、夜になると、彼と姉のマリイとに、床をともにして黒人の娘が寝た。この早熟な、感覚の鋭い子供が習い覚えたものは、母親による精神的な愛情の他に、獣じみた匂いのする肌の感覚だった。リマを去る前に、この子供は「従妹の一人を犯そうとした。私はその時六つだった。」(『前後録』P.140)このような環境に投げ込まれて、異常に早くから目覚めさせられた感覚、そこには後年の、傲慢な、自分の眼しか信じなかった画家、野蛮で豪奢な自然に憧れた夢想家、常に彼方[原文傍点]へと逃亡した放浪者の面影を、早くも読み取ることが出来る。この小さな暴君が、リマを去って故郷のフランスへ戻ったのは、彼が漸く七歳の時にすぎなかった。」(『福永武彦全集 第19巻』20ページ) 

バルガス=リョサの『楽園への道』はゴーギャンがタヒチへ行ってからのことから書き出されるが、リマ時代の思い出も時折こんな具合に出てくる。

「おまえはずっと母親を好きではなかったのか、ポール。たしかに死んだときは愛情を感じていなかった。けれども子供の頃、母の大叔父ドン・ピオ・トリスタンの住むあのリマにいた頃は大好きだったよね。おまえの幼年期の鮮明な思い出の一つは、リマの中心にあるサン・マルセロ地区でおまえたちの一族が王さまのように暮らしていた大きな屋敷の中で、若い未亡人がどんなに美しく愛らしかったかということだ。アリーヌ・ゴーギャンはペルーの貴婦人のように装い、ほっそりした身体を銀の刺繍の入った大きなマンティーリャで包んで、リマの婦人たちのあいだで流行していたタパーダと呼ばれるやり方で頭と顔半分を覆い、片目だけを見せる装いをしていた。」(『楽園への道』田村さと子訳、河出文庫、186ページ)

タパーダと呼ばれるやり方は、Tapada limeñaでWikipediaの項目がある。

ドイツの画家Mauricio Rugendas(1802-58)がこんな絵を描いている。1800年ごろの絵だ。このような装いは1500年代にはすでに見られ、19世紀半ばまで続いたそうだ。

 

 

「その少年が、やがて十七歳の時に、不意に船乗りになりたいという決心をした。母親には自分の子の気持ちが分らなかった。その決心が抜き難いことを知ると、せめて海軍に入れて士官にさせようと思った。しかしそのためには何年かの学校教育を受けなければならない。ポールは母親にさからい。今じきに海へ行きたいと言った。彼はル・アーヴルへ赴き、ルツィターノ号の見習い水夫になる契約を自分でやってのけた。」(21ページ)

「ルツィターノ号はル・アーヴルとリオ・デ・ジャネーロとの間に就航している。フランスの学校で教育を受けた少年にとって、赫かしい太陽と香ばしい大気、黒人の娘やインディアンの赤銅の肌の記憶ほど、自然な、生き生きした美しさを持ったものは見当たらなかった。」(21ページ)

[続く]

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