2017年2月24日金曜日

フェルナンド・イワサキ「父語」

フェルナンド・イワサキは1961年ペルー、リマ生まれの作家。

その彼の講演録に「父語 lengua paterna」というのがある。父が日本語を話していることを知り、生まれたことばだ。

フェルナンド・イワサキの祖父は1878年広島に生まれ、1942年リマに没した。20世紀初頭にはパリにいた。その後ペルーに渡るが、第二次世界大戦時に日本人であることで迫害を受けた(アメリカに連行されて「クリスタル・シティ」に収容された)。

結婚したペルーの女性(フェルナンドにとって祖母にあたる)はケチュア語との接触領域にある人物だった。

フェルナンドは想像する。祖父はもしかするとピエール・ロティや、エンリケ・ゴメス・カリージョ、フアン・ルセーナ・デ・ロス・リオスといった日本訪問記を書いた作家とどこかで、パリや日本ですれ違っていたのではないかと。

藤田嗣治は、パリにいたペルーの知識人ベントゥーラ・ガルシア・カルデロンを描いている。そして藤田嗣治は1931年に南米旅行に出かけ、ペルーでリマにいたフェルナンドの祖父を訪ねている。1932年のことだ。フェルナンドの父はそのとき3歳だった。

フェルナンドにとってラフカディオ・ハーンは大切な作家だ。近年幾つかの出版社から出ている本はほとんど読んでいる。ハーンを通して、祖父を、そして子供時代の父を想像する。

カズオ・イシグロ、アナ・カズミ・スタール、ミチコ・カクタニ、マリア・コダマは日本でどのように見えているのかというのがフェルナンドの知りたいこと。というのは、スペイン語圏から見ると、彼らはいつまでも日本人であるからだ。マラドーナをイタリア人と見る人はいないのに。

父を通して想像する日本、日本語ーー「父語」

フェルナンド・イワサキの本では以下のものがとても気に入っている。歴史学者でもある彼の一面を示す好著。

Republicanos. Cuando dejamos de ser realistas, Algaba Ediciones , Madrid, 2008.

「父語」があるとすれば、「子語」のように、移住した先で子供が覚えていくことばを親から捉えたものもあるに違いない。

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