作者はマルコス・ヒラルト・トレンテ Marcos Giralt Torrente。Giraltはカタカナにするのが難しい。1968年マドリード生まれ。
父が画家のフアン・ヒラルト(1940-2007)。たとえばこんな作品を遺している。
マルコスは1999年に『パリ』という小説でエラルデ賞(Premio Herralde de Novela)を受賞している。2011年に『人生の時 Tiempo de vida』で国民小説賞を受賞。この小説では父フアンとの関係を物語化したとのこと。下に掲げたが、本の表紙に使われている写真はきっと親子のものなのだろう。
マルコスの祖父はゴンサロ・トレンテ・バジェステルという作家。ガリシアのフェロル出身である。セルバンテス賞も受賞している(1985年)。彼の肖像は切手にもなっているそうだ。
そういえば、短篇Juego africanoの登場人物ロドリゴはガリシア出身で歴史物語や逸話を語って聞かせるのがめっぽう巧いという設定だ。祖父ゴンサロの小説にはガリシアの口承文芸が反映しているそうだ。
短篇の流れを整理しておこう。
語り手のスペイン人である「私」(男性)は外務省勤めの大使館員である。プエルト・リコのサン・フアンでのスペイン大使館勤務ののち、ケニアのナイロビ勤務を命じられる。
そんな彼が、休暇でラムという東アフリカ沿岸に面した島に訪れる。島といっても大陸の一部といってよいほど隣接するとても小さな島である。ソマリアまで100キロほどのところだ。逆に海岸を南下すれば、都市モンバサがある。ケニア第二の都市で、聞いたことのある地名だ。インド洋交易の中心だった。
いっぽうラム・タウンは奴隷貿易の中心で、新大陸への奴隷基地だった。中世イスラム建築が残っており、世界遺産登録もされている。ラテンアメリカやカリブの都市と同じく、植民地制度と関係の深い町だ。なにやら興味をそそられる。
下のページでラム・タウンの現在の雰囲気がわかる。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Serial/Photoessay/200701.html
さて、語り手は休暇を終えてナイロビに戻ろうとするものの、管制塔の故障で何日間か、その島に滞在することになる。
ラム・タウンにスペイン人のロドリゴが住んでいることは、大使館勤務の人間であれば知っていることだった。しかしロドリゴはスペイン人コミュニティとは関わりをもたずに暮らしていた。語り手も、ラムに来たからといって彼を探そうという気持ちはまったくもっていない。
ところが語り手が泊まっているホテルのバーで飲んでいると、ウェイターのおせっかいで、たまたま同じ店にいたロドリゴと引き合わされてしまう。
挨拶だけで終わるかと思いきや、意気投合し、二人は飲み続ける。しかも、ロドリゴの誘いにのって、語り手は滞在の残りの期間を彼の自宅で過ごすことになる。
自宅にはスワヒリ人の妻がいて、甲斐甲斐しく夫の世話をしている。そして先に述べたとおり、ロドリゴは話がうまい。ガリシア人が出てくる物語を次々と聞かせる。
ロドリゴは自分のことはあまり語らない。船乗りだったことぐらいしかわかっていない。謎めいた男である。
さてこの話はどう展開していくのだろうか。とても楽しみである。下はラム・タウンの風景。