El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2025年11月21日金曜日
11月21日
2025年11月16日日曜日
11月16日
グアダルーペ・ネッテルの翻訳がでた。『一人娘』で翻訳は宇野和美さん(現代書館)。ネッテルはこれで3冊目。
考えてみれば、この世代、つまり「ボゴタ39」の世代はここ10年くらいのラテンアメリカ文学の日本語翻訳の主役を担ってきている。「ボゴタ39」とは、2007年に39歳以下だった作家たち39名のことで、短篇集『ボゴタ39』がある。
ダニエル・アラルコン、ジュノー・ディアス、エドゥアルド・ハルフォン、グアダルーペ・ネッテル、エナ・ルシーア・ポルテラ、ピラール・キンタナ、カルラ・スアレス、フアン・ガブリエル・バスケス、ホルヘ・ボルピ、アレハンドロ・サンブラが日本語で読める。10人。
いっそのこと39人全員を翻訳してしまいませんか?
2025年11月4日火曜日
11月4日
新しく映画化された『蜘蛛女のキス』を見てきた。ミュージカル好きの友人が教えてくれたのだ。この映画はミュージカルで、1992年のブロードウェイやウェストエンドのミュージカル舞台版を下敷きにしている。もちろん全ての始まりにマヌエル・プイグの同名の小説がある。その原作に基づいて制作された映画はこれまで1985年のエクトル・バベンコ監督作品しかなかったわけだが、ここに新しく、ミュージカル版に基づいて制作されたビル・コンドン監督作品のこのミュージカル映画が誕生した。『蜘蛛女のキス』のミュージカル版は日本語でも上演されたことがあるが、見たことがない。舞台を見たことがある人は映画をどう見たのか。舞台版ミュージカルの台本を見ることしかできないが、今回の映画はその台本と基本的には同じと思われる。だから英語の映画になる。今回の映画を見た人々の中でおそらく議論の的になるのは、二人の関係をどこまで描くことが許されるのか、という点だろう。プイグには「秘すれば花」とでもいうような美学があって、日本語的な文脈ではそれがプイグ人気につながった。いわゆる「ラテンアメリカ文学」との差異化がはかられていたところ(セクシャル・マイノリティを1976年に書いている)はいつでもプイグを別格の作家たらしめていたはずだ。ところがビル・コンドンは二人の関係にかなり踏み込んだ。ここは意見の分かれるところではないか。プイグは映画監督になりたかった夢をこの小説を書くことで果たした。そしてバベンコ映画では制作にかなり口出しをして、実際の監督業に近いことまでやり遂げた。プイグが生きていたのはここまでだ。彼の死後、ミュージカルではプイグの分身が劇中劇の主演を演じるまでに至った。ついにそれが映画になって、プイグは死後の生では映画の主演も演じた。原作・翻案・監督・主演。プイグは全部やってのけた。