2024年10月22日火曜日

10月22日 キューバ危機(続き)

以下はキューバの独立系ジャーナリスト、ジョアニ・サンチェス(Yoani Sánchez 1975-)が10月21日日本時間の夜8時54分にツィッターに投稿した文章の翻訳。急いで翻訳したので間違っているところはあろうが、大筋はあっていると思う。

【追記:随時修正中】

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来るのはわかっていた。キューバで電力不足が起きるごとに、停電の時間が長くなるごとに。去る金曜日の午前11時ごろ、国の主たる発電所が機能を停止したあと、エネルギーシステムの崩壊がやってきた。学校は生徒を受け入れることができず、文化活動はキャンセルになり、命に関わるとはみなされないすべてのサービスは中断した。日常生活は停止し、国はいつ終わるのか誰にもわからない休止状態に入ったのだ。

1990年代、「特別期間」という遠回しの表現で知られる危機の間、オフィシャルな言説は、国が底をつく可能性を警告していた。あの深淵は「オプション・ゼロ」と呼ばれ、このままでは、地区ごとに食事をとるためにみんなで鍋を設置することになり、電気供給は終わり、公共交通機関は完全に停止するだろうと思われた。街路に車が走ることはなくなり、飛行機は空に航跡を残さなくなるだろう、と。幸運なことに、そんな悲惨なシーンは起きなかった。というのは経済的な窮地に立たされたキューバ政権は社会爆発を恐れ、国をドル化し、外資に国を開き、筏難民の大量国外脱出を利用して、溜まりに溜まっていた社会緊張の何かを解き放ち、数十年間で初めて個人ビジネスを解禁したからである。

我らの歴史のあの薄暗い時代から30年が過ぎ、この10月、「オプション・ゼロ」の亡霊が再びドアをノックした。木曜の夜、マヌエル・マレーロ首相は否定し続けることがもはや不可能なことを認めた。「我々は最低限の電力サービスを保証するために経済を停止しなければならない」。それと同じ時刻、ハバナのベダード地区の中心にある23番街、島で最も高いビルディングには、電気の灯る多くの窓があった。Kタワーという名でも知られているそれは、高級ホテルになるとされ[Kタワーは、23番街とK通りの角に建設中のビル。32階建て]、電気の供給は安定し、中断していない。コンクリート製のその醜い塊の周囲では近隣地区の多くの人々が暗闇にいて、テレビでは役人の単調な声が、耐えなけれなならない、不安定な現状に打ち勝たなければならないと言っていた。

エネルギー分野への投資不足が、ここ最近のキューバの電気不足の原因の一つだった。国際的な観光客のために四つ星、五つ星のホテル建築に資金が流れている一方で、順調ではないエネルギー産業は、適切な修繕や表面的な維持費さえもほとんど受け取っていなかった。国の主たる発電所が錆びついた鉄屑になって、住民や、ましてや生産部門への需要を満たせていないのは、予測の欠如と政府の不完全さの結果である。

この破綻に至っても、当局はことの重大さを理解しているようには見えず、米国の禁輸に責任を押しつけ、ナショナリズムの使い古されたばねを動かそうとしている。シートベルトを締め、家庭内の電気を節約するように呼びかけている。逆境と闘うとか、「思想の塹壕」に訴えて危機を乗り越えるといった、手垢のついた好戦的な語彙を用いている。これまでのところ、その効き目があったとは思えない。街路もSNSも、かつては小声でしか言えなかった、政治・経済の抜本的な改革の呼びかけを繰り返している。民衆の怒りは膨れ上がり、人々の生活を耐えうるものにするためのオフィシャルな計画が短期的にも長期的にもあるようには見えない。ますます難しい薄暗い日々が来つつある。

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2024年10月21日月曜日

10月21日 キューバ危機

キューバが大変なことになっている。発電所がダウンして、島のほとんどで、10月16日水曜日から金曜日、それ以降、これまでに30時間から50時間の長時間にわたって停電している。電気が戻っても断続的に停電が続いている。電気が戻った割合も全土の10%に過ぎないとも言われている。携帯電話の充電?できるわけがない。

真っ暗なハバナの街路、街路で煮炊きする人びと、薄闇のレストラン、卓上コンロに使うガスを買い求める長い列の写真がアップされている。学校も当座は休み、食料や水やその他基本的な生活物資も欠けている。

ハバナやその他の都市で抗議行動が出ているが、大規模なものではないようだ。これは抗議の声が小さいということではなく、声を出すことへの恐怖、声を出せば政権が何をしてくるのかわからないことへの怯えの表れだと思っている。すでにミゲル・ディアス・カネルは、抗議行動を粛清しようとしている。

それと並行して思うのは、西側の報道(西側も東側もない時代にこんな言い方をするのもなんだが、とりあえずこういう古臭い言い方をしたくなる・・・)を見ていて気になるのは、妙にフォトジェニックな場面が目につくということだ。報道写真というよりはアーティスティックな写真である。

朝日新聞もネット版にロイター発の写真を載せているが、それが薄闇のレストランで、外は明るいのと対照的に、店内の薄闇に女性が立ち、そのシルエットが浮かび上がっている。現実レベルで考えた時に、30時間以上の停電というのは、病院では生死に関わることだと思うのだが、(たまたまではあろうけれども)そういう写真は出てこない。

先日、キューバが現在のテロ支援国家の状況では観光客も来ず、経済的にキューバを死に至らしめることにほかならないということを懸念して、イグナシオ・ラモネが中心になってキューバを救う署名活動が行われた。

イグナシオ・ラモネ。1000万人のキューバ島に関心を抱いているのは、もはや往年のキューバファンだけなのかもしれない。このまま「キューバ失敗国家」とか「キューバ独裁国家」というタグだけで検索され、検索されなければ存在したことも忘れられてしまうのか。

人は何を信じて何を捨てるのか、その何かは選ぶのか選ばされるのか、そもそも選ぶというような「選択肢のあること」があるのだろうか。