2026年2月18日水曜日

2月18日

メキシコとキューバのあいだのフライトは、メキシコのアエロメヒコ航空がメキシコシティから毎日ハバナまで飛ばしている。しかし、そう、しかし、なのだが、その飛行機は、ハバナからメキシコシティに飛んでない。どうやらユカタン半島のカンクンに戻っている。つまりハバナで給油することができないので、ハバナから50分から1時間程度のカンクンに飛んで、ぎりぎりメキシコーキューバ間の往来を保っているのだ。こういう手立ては、メキシコ大統領のシェインバウムのキューバ支援策とも連動している。チリもキューバ支援を表明しているものの、LATAM航空は、他の多くの航空会社と同じようにキューバへのフライトを停止している。チリはあくまでユニセフを通じての支援だからだろうか。イギリスやノルウェーは、現状ではキューバ渡航を控えるべきというメッセージを出している。それでも多くのジャーナリストが次々にハバナ入りをしている……

停電のことでは、観光客を途切れさせないようにするため、有力ホテルはいつも通り稼働していて、唯一の高層ビル(Kタワー)の上階ではナイトクラブも営業している。個人での石油輸入も始まっている。

「エル・パイース」(2月15日付)でキューバ出身の歴史学者ラファエル・ロハスが、「これから先の数週間がキューバの将来にとって決定的」だと書いているのだけれども、どういうことを指すのかははっきりしない。

ハバナ沖に停泊している米国の軍艦があるから、1月3日にベネズエラでしたのと同じことをする可能性があるのかもしれない。予測をしているのは島の外にいる人で、中の人はそんなことをしてもしょうがないだろう。でも、たぶん、何が起ころうとも、それまでの通りの生活を続けられる人びとが一定数は確実にいる。

SNSでビルヒリオ・ピニェーラの詩を引用しているキューバ人が何人かいた。「ありとある場所が水浸しのひどい状況なので、カフェのテーブルに座るしかない」。

2026年2月14日土曜日

2月14日

メキシコの新聞「ラ・ホルナーダ」紙ではキューバに関するニュースがまとめられています。2026年2月11日付の風刺漫画はこちら。危機的状況に入っているかもしれません。

2026年2月11日水曜日

2月11日

東京オペラシティ・アートギャラリーでアルフレド・ジャー展。1956年チリ生まれの芸術家。タイムズスクエアのスクリーンに流されたメッセージ。広島で撮影された映像をもとにしたインスタレーション。米国と日本国旗を使った「明日は明日の陽が昇る」。南アフリカ共和国の写真家ケヴィン・カーターの映像物語「サウンド・オブ・サイレンス」。シンプルで、難しくない、そして忘れられないような作品ばかり。

2026年2月8日日曜日

2月8日

Cuadernos Americanosは、スペインの前衛詩人フアン・ラレア Juan Larreaが内戦後にメキシコで関わっていた隔月の文芸誌。編集長はJesús Silva Herzog。1942年に創刊号が出て、そこにアルフォンソ・レイエスが「アメリカ大陸とCuadernos Americanos」という文章を寄せている。

隔月で刊行されていて、年毎に号数がナンバリングされている。1950年第4号を見ると300ページ近い分厚さで、目次にはフェルナンド・オルティスやフリオ・コルタサルの名前も。

全巻揃いではなくて飛び飛びだけれど、81冊2000ドルで売っている。

「Cuadernos Americanos」は書籍の出版もしていて、スペインから亡命していた詩人エミリオ・プラードスの詩集『閉じられた庭』を出している。これはおそらく1946年。

雪の朝、夜空の月のように、灰色の空に白い太陽が光っていた。投票に行って、ここ数日のぞわぞわした落ち着かない気分が楽になった。やれることはやった。選挙は国政だけではない。自治体の選挙もあるわけだし。2月9日の朝、どんな結果になっていても、しっかり起きて仕事に向かうのだ。

2026年2月5日木曜日

2月5日

詩に関連して以下の本:

伊藤整『改訂 文学入門』講談社文芸文庫

三好達治『詩を読む人のために』岩波文庫

池澤夏樹個人編集『近現代詩歌 日本文学全集 29 』河出書房新社

谷川俊太郎他編『詩 たのしいライト・ヴァース 世界編』河出書房新社

エドガー・アラン・ポオ『詩と詩論』創元推理文庫(これが2冊あった。誰かいりますか?)

吉本隆明『定本 言語にとって美とは何か II』角川ソフィア文庫

オルテガ『芸術の非人間化』荒地出版

このうち伊藤整からは、「第二章 悲劇と喜劇」のうち特に40-43ページ。そして「第十章 芸術の本質」から以下。

「19世紀までのように、人間が完全な独立した性格を持って自立していると考えられていた時は、詩歌の表現の意味も完了したはっきりしたものであった。しかし現代のように人間は独立しえない不完全なものと思われる時代では、意味や説明の完了した詩句は、人間性をかえって表現しないことになる。人間存在の不安な意識は、ある不明瞭な、そして不安定な表現の中にとらえられやすい。絵が写真的説明に満足できなくなったように、詩も意味を具体的に明らかにすることや、同じ韻律を繰り返すことは、かえって不満足な結果を生むのである。」(258ページ)

吉本隆明では特に「第V章 第一部 詩」から。

オルテガは特に「続芸術の非人間化」29-36ページ。

2026年2月4日水曜日

2月4日

ハバナに暮らしている人からメールが届きました。日本語圏でも知るべきことだと思うのでここで紹介します。

「しばらく前からここからは悲しいニュースしか出てこなくて。自然災害、いくつかのウィルスによる病気、失敗している経済政策による日常生活レベルの災害。いまはベネズエラでの出来事と米国の圧力で何もかもが悪化しているけれど、これはいまにはじまったことじゃない。幸運なことに、周りは概して落ち着いている。日々の暮らしに苦しんでいて、それ以上のことへの余裕がないというところ。でも起こりうることへの不安があるにはあって、良い方向に進むと考える人もいるし、悪い方向に進むと考える人もいる。90年代のようにゼロではないけれど、石油危機は悪化して、停電と自動車用の燃料問題も悪くなるばかり。個人営業店で物はたくさん売っていても、何もかも高くて、買える人と買えない人の差は拡大している。日常生活は困難に満ちていて、全体的に人びとは満足してはいない。悲しいことに」




2026年2月2日月曜日

2月2日

メキシコがキューバに人道支援として食糧や生活必需品を送ることになった。石油は米国の妨害で送れない。

2026年2月1日日曜日

2月1日

読売文学賞に柴崎友香の『帰れない探偵』。この本が素晴らしいことはもう知られているけれども、こうした大きな賞でさらに評価が高まるだろうから嬉しいのと、あまり知られていないこの本に合わせて催された柴崎選書フェアでは、フアン・ガブリエル・バスケスの『歌、燃えあがる炎のために』が含まれているので、ひときわ嬉しい。

前便で鶴田吾郎の「池袋への道」をSOMPO美術館で見たと書いたが、そのあと本棚を見ていたら、東京芸術劇場と豊島区が出した写真集・資料集『池袋への道』が出てきた。

2021年1月、森山大道の撮った「池袋」の写真展が東京芸術劇場が開かれて、その時に手に入れた本。そこに鶴田吾郎の「池袋への道」(1946年)が載っていた。麻生三郎の「子供像」(1950年)も。鶴田吾郎は「記録をひらく 記憶をつむぐ」の「神兵パレンバンに降下す」が1942年。

倉石信乃と森山の対談も収録され(対談は2017年に行われた)、森山が西池袋2丁目に住んでいて、そういう趣旨の対談だから当然なのだが、話題は池袋話で、森山は池袋は新宿とは違うのだと言っている。その後森山は病に襲われ、2020年に池袋を離れる。

2026年1月31日土曜日

1月31日

SOMPO美術館で「モダンアートの街・新宿」。夏に国立近代美術館で見た松本竣介や鶴田吾郎。鶴田は「池袋への道」(1946年)。ついこの前のアンチ・アクション展や春に埼玉県立美術館の「メキシコへのまなざし」で見た福島秀子、宮脇愛子、芥川(間所)紗織。1920年代から40年代の池袋・目白・下落合の風景。

早稲田大学の27号館の小さなスペースで在日朝鮮人二世の写真家・趙根在(1933-1997)の「写真が語るハンセン病問題の真実」。

2026年1月29日木曜日

1月29日

ハバナでジャズフェスティバルが始まったが(1月25日から2月1日まで)、エネルギー問題は解決していない。聞こえてくるのは悲観的なニュースだ。

2026年1月25日日曜日

1月25日

東京国立近代美術館で「アンチ・アクション展」。展覧会場をまわっていくと、見開き2ページの解説文をピックアップできて、全部で14篇の「別冊アンチ・アクション」が出来上がる。

「抽象絵画は外界を再現する役割から解放され、素材と空間により見る人との間に出来事を起こす場となったのだ。したがって見る側は、作品に何が描かれているかではなく、作者が画面上で何をどう行ったかに、まずは目を向ける必要がある」(江上ゆか「それぞれの(アンチ・)アクション=制作行為」) 

コレクション展では、新たに所蔵された岡崎乾二郎の以下の二つの作品が素晴らしい。

屋根の熱気に吹きつけられ、祖父の顔は頭蓋骨のようにもう色褪せて見える。ところで彼は何といったのでしたっけ?灼熱の焼きごてを眼に入れられようとしたときに。「僕の美しいお友達、火よ。もう少しやさしくお願いします」。大丈夫。安心なさって。姉は日傘を取りにいき、祖父は指先をまるく尖った舌で冷やしていた。」

「背後から火事が迫ってきたとでもいうの、この顔の青さは普通じゃないわ、どうしたの?ぽつりと答えます。「惜しいと思うほどの物は捉まえようと追いかけず、一生惜しんで思い出せるようにしておいたほうがいいんだよ」。そうか。胡瓜の漬け方を、老婦人から習ったときみたいに、熟した実がひとりでに落ちる音を聞いた。」


2026年1月24日土曜日

1月24日

台北に行ったので、台湾ものを読もうと佐藤春夫『台湾小説集』(中公文庫)から「女誡扇綺譚」。池澤夏樹選の河出書房の日本文学全集にも入っている。これは幽霊屋敷の怪奇的な話だ。佐藤春夫はラフカディオ・ハーンを訳したことがあるという。そのハーンより10年ほど前に日本を旅したのがイザベラ・バードで、彼女の『日本奥地紀行』があるけれども、その彼女の通訳を務めた男性は伊藤鶴吉。彼を主人公にしてフィクショナルに書いたのが中島京子『イトウの恋』。これは名作傑作。『平成大家族』も。

台北では台北ビエンナーレ2025(Whispers on the horizon)を台北市立美術館で見たのだが、その趣旨説明では呉明益『自転車泥棒』、候孝賢の『戯夢人生』、それに見たことのない陳映真の『My Kid Brother Kaonxing』が触れられていた。「From the cinema and literature of Taiwan, these are not mere stories; they are echoes of something deeper, something universal, something that reaches beyond their form.」

ガルシア=マルケスがエピグラフにあるのが呉明益の「歩道橋の魔術師」で、ニカノール・パラが引用されるのが「石獅子は覚えている」(どちらも『歩道橋の魔術師』)。

台北ビエンナーレで覚えているアーティスト:Ciou Zin-Yan, Anna Jermolaewa, Afra Al Dhaheri, Mohammad Al Faraj, Rana Begum, Wang Hsiang Lin, Shizuka Yokomizo, Chen Chih-Chi, Skyler Chen, Chen Cheng-Po, Fuyuhiko Takata, Kiriakos Tompolidis.

それから紀蔚然『台北プライベートアイ』(文春文庫)も。

2026年1月18日日曜日

1月18日

共通テスト初日では「国語」に遠藤周作が出題されたのを知った。新聞で問題を読んでみて、そこに「勝呂」という名前を見つけ、昔読んでいた時の記憶が蘇った。こういうことって頭のどこかに眠っているのだなと思った。遠藤の分身的な存在としてあちこちの小説で出てきた人物だ。「影に対して」という出題された小説は生前未発表の作品だったらしい。

遠藤周作はサナトリウム系文学の端っこにいるのがわかる。出題の仕方も最近は読者目線を用意するようになっている。こういう工夫の仕方には親近感を感じる。

「歴史総合・世界史探究」をみていたら、ホセ・マルティの「我らのアメリカ」が引用出題されていた。ということは今やこのテキストは高校生も読むということなのだ。そもそもホセ・マルティの文章が日本語に翻訳されていること。研究されていること。このことの貴重さ。

「帝国」に関する出題として、ローマ帝国、ムガール帝国、スペイン帝国が比較されている。「帝国」に関する一般向けの本が出たのって昨年あたりだったのではなかろうか。比較植民地的な見方の出題もある。植民地化されたアジアの都市としてソウルの地図が載っている。

早速話題の「ベルばら」にしても、歴史をどういうふうに学ぶのかという観点として漫画や文章や記念碑などが挙げられていたり。地理や公共も見たが、好奇心が刺激されるテーマのオンパレード。

それにしても英語の問題よ。

2026年1月8日木曜日

1月8日

ベネズエラ作家ではフリオ・ガルメンディアの「リンゴちゃん」という短篇が面白い。果物屋に並ぶ現地産のリンゴちゃんは元々売れ筋だったけれど、「北」から色合いの美しい匂い立つリンゴが届いてしまって、もう売れない。「もう私のことなんて誰も食べてくれないかも」。

絶望したリンゴちゃんは友だちに相談する。ヤシの実さん、バナナさん、アボカドさん、グアナバナさん(日本語だとトゲバンレイシ)、オレンジさん、トマトさん、パパイヤさん、パイナップルさん、ザクロさん、マンゴーさん・・・【この短編は果物の種類を学ぶのに優れている】

同情してくれる果物もあれば、突き放す果物もある。リンゴだけじゃなく、ヤシの実だってバナナだって「北」からその種類が届けば同じことになると不安を口にする者もいる。

リンゴちゃんは眠れなくなってしまった。かわいそうに翌朝、彼女は悲しみで死んでしまったのだった。友人の果物たちは彼女を埋葬する。

土の中で蛆虫さんに話しかけられるリンゴちゃん。「なんで死んじゃったの?」。リンゴちゃんは答える。「悲しくて。だって北からあの美味しいりんごが着いたので誰も私のこと好きになってくれないから。子供も小鳥も誰ももう私のことを好いてくれない。だったらなんで生きていられるの?」

でも蛆虫さんはリンゴちゃんにあるニュースを伝える。あの美味しそうなリンゴは暑さに負けて、すぐに腐っちゃうよ。それを聞いたリンゴちゃんは確かめに土から這い出て、頑張って果物屋さんに戻る。すると果物屋の主人はたった一日で傷んでしまったリンゴを見て驚いている。「たった一日で!」

それを見たリンゴちゃんは嬉しさのあまり笑って踊る。店の主人は北のリンゴを冷蔵庫に入れる。冷蔵庫にはブドウさんと梨さんもいる。リンゴちゃんは周りのみんなに戻ってきたことを伝え、友達と跳ね回る。北からのリンゴも許してあげる。だって同じ太陽と大地から生まれた果物なんだから。

2026年1月7日水曜日

1月7日

キューバ出身のカルラ・スアレスの『英雄の息子 El hijo del héroe』では、1983年10月にグレナダで起きたときのことが語られる。「1983年10月、ぼくには決して忘れられない出来事が起きた。グレナダの大統領モーリス・ビショップが党のかつての同志によって暗殺された。数日後、米国は島に侵攻した。キューバにいる人たちは、侵攻のことだけでなく、グレナダにキューバ人がいたのでショックを受けた、その大部分は空港建設で働いている労働者だった。人の心に永遠に刻まれる物事がこの世には存在する。あの日々に届くニュースは恐るべき内容だった。侵攻。米国海兵隊に占拠されないように、武器をとって空港を防御する兵士ではないキューバ人。ぼくたちの最初の死者。そしてラジオやテレビのアナウンサーが幾度となく繰り返したので、ぼくもほとんど同じ表現で言い直せること。それは『6名のキューバ人、抵抗の最後の砦が、祖国の旗のために犠牲になりました』というものだ」。(pp.145-146)

42年前の1983年、キューバの人たちは、自分たちが生きている世界の中に見えていないことがあった(そこにはどうしようも乗り越えられない困難もあった)。それがアンゴラやキューバ以外の場所で何がしかに向けて何かをしている人たちのことだった。その時代のことがいまになってわかりつつあるとしても、そのいまの瞬間にも新しいことが起き続けていく。時間は止まらない。生乾きの土地にまた雨が降る。

2026年1月6日火曜日

1月6日

米国の大統領がフロリダの家で言いたいことを言っている。フロリダ州マイアミはカリブ海の玄関口だ。マイアミ国際空港は米国内の空港の中で最も立ち寄ったことが多く(たぶんロサンゼルスよりも多い)、最初に行ったのは四捨五入すると40年前で、そのとき経由地としてカリブ海の島から(このときの飛行は結構揺れて、降りたあと搭乗客の間でそれが話題になった)、そしてユカタン半島から何度か着陸した。長い待ち時間だったから空港中を歩いたのかもしれない。そのあと再び立ち寄っても、巨大な空港なのに、ここら辺にこれがある、あそこら辺にはあれがあるというような勘が働いている気になれる、相性の良い空港だ。キューバ行きのチャーター便の搭乗口はいつも大行列だ。マイアミのリトルハバナにキューバ系の出版社・本屋があったときも、それが閉業したあとも、マイアミの空港からそこまで行ってカジェ・オーチョ(Calle 8)でフルーツジュースを飲んだ。そのマイアミから3時間飛べば、ベネズエラのカラカスなのだということを、これまた四捨五入すると40年前近くに知り合ったベネズエラ人は言っていた。マイアミからキングストン(ジャマイカ)、マイアミからメリダ(メキシコ)、マイアミからサンフアン(プエルトリコ)、マイアミからメデジン(コロンビア)。マイアミまで行ってしまえば、あとはしめたものだ。ただ東京からだと、朝のロス便に乗って乗り換えても同じ日にはマイアミまでしか行けない。あと数時間メキシコ湾上を、カリブ海を飛んでくれれば目的地なのに、と思いながらそこで寝る。マイアミはカリブ海の人の街。メキシコ湾の名前をアメリカ湾に変えると宣言したのがいまの米国の大統領だ。

2026年1月5日月曜日

1月5日

2026年1月3日の米国のベネズエラ攻撃で、ニコラス・マドゥロの警護をしていたキューバ人兵士32名が命を落とした。1983年10月の米国のグレナダ侵攻の時には、千人以上のキューバ兵がグレナダにいて戦い、戦死したし捕虜にもなった。