El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2026年4月3日金曜日
4月3日
2026年4月2日木曜日
4月2日
2026年3月28日土曜日
2026年3月25日水曜日
3月25日
ウォルフガング・パーレンはオーストリアに生まれ、メキシコで没したシュルレアリスト芸術家である。メキシコで雑誌を出し、先住民文化を収集していた。メキシコシティのサン・アンヘルにアトリエがあった。彼の環大西洋をまたぐ芸術家たちとの広い付き合いは相当に面白いものだ。植民地的欲望に取り憑かれたコレクターとしての彼および彼の作品をいかに脱植民地的にアプローチするかということを焦点に当てた発表のある研究会があってコメントを用意した。パーレンもいた1940年のメキシコのシュルレアリスム展について、ル・クレジオの『ディエゴとフリーダ』とギジェルモ・デ・トーレの『前衛文学史』は対照的に評価しているが、これと似たような関係がカルペンティエルとオクタビオ・パスのそれぞれのシュルレアリスム論にも見出せる。先住民文化の収集者といえばカルロス・フェンテスの「チャック・モール」とカルペンティエルの『失われた足跡』だ。パーレンはすでにこの二人の小説家によって戯画化されていたのだった。かたやメキシコのアマチュア骨董品コレクター、かたやニューヨークに住むラテンアメリカ音楽学者として。
2026年3月20日金曜日
3月20日
ホセ・レサマ=リマには妹エロイーサがいた。彼女はついこの前と言ってもいい2010年、91歳でマイアミで亡くなった。マイアミにいる彼女に宛てて、兄ホセは1960年代を通じ、亡くなる1976年まで手紙を書き続けた。その手紙に基づいて、彼の晩年を再現したドキュメンタリーが『エロイーサへの手紙』だ。60分に満たない短い映像だが、丁寧に作り込まれている。『パラディーソ』の刊行やそれが巻き起こしたスキャンダル、表舞台から徐々に姿を消しながらも、コルタサルのおかげで欧米で評価されたことなどが、多くの証言者から語られる。バルガス=リョサの証言はだいたいどこかですでに彼が言っていることとはいえ貴重だし(彼の甲高い声)、私も愛読した文芸評論家エンリコ・マリオ・サンティやアントニオ・ホセ・ポンテも熱く語っている。映像の中で、レサマ=リマがレイナルド・アレナスと映っている写真が出てくる。4人が映るその写真のアレナスはかなりいい男である。長袖の縦縞のシャツの裾を細身のズボンにいれ、後ろで手を組み、少しカールした黒髪が額にかかっている。真面目な目線がこちらのレンズを向いている。右横の白いシャツ姿のレサマは、いつもの通りちょっとしかめっつらで別の方に目を向けている。全員革靴を履いているから、何かのイベントに出かけようとしているのだろうか。ひょっとするとレイナルド・アレナスが『夜明け前のセレスティーノ』でUNEAC文学賞を受賞したときのセレモニーに向かう時かもしれない。そうか、今年2026年はレサマの没後50年である。
【追記】
Marysolのキューバ映画修行 2021年5月19日付にこのドキュメンタリーの詳細な内容が書かれています。
Marysolさん、ありがとうございます。
2026年3月19日木曜日
3月19日
2026年3月16日月曜日
3月16日
2026年3月15日日曜日
3月15日
キューバ政府が米国と交渉していることを正式に認めたというニュースが日本語の新聞にも出てきた。3か月石油が入らず、日によっては20時間以上、100時間越えの停電が続いている地区があったりして、それにしても石油のことでは、ここも他人事ではないのだけれど、比べられるレベルじゃない。今になって気づいたのは、米国はベネズエラにしたことをせずに、結果的に同じことをしている。同じことを起こせる。そして、同じことを起こしたとしても、そこの市井の人たちの生は少しも変わらないだろう。ハバナの友人はウィルスにやられてすでに4か月が経っていても、まだ後遺症に苦しんでいる。電気が来たら飛び起きて、電気のあるうちに家事その他を済まさないといけない。
いま米国はキューバを崩壊させ、そのあと占領や利権の獲得を考えているのではなくて、存在を抹消しようとしているのではないか。ガザのことを思い浮かべたからこんなことを思っているのかもしれないが。オバマがキューバと国交回復したことを否定したいのもあるだろうし。
法の支配は終わり、力の支配の時代がやってきたと言われる。このまえひとみ座の人形劇『ペドロ・パラモ』を見ていて、力が支配する世界での人間の非人間化のような話なのだと思えてきた。
2026年3月9日月曜日
3月9日
2026年3月2日月曜日
3月2日
パナソニック汐留美術館で「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」。岸田劉生、柳宗悦、今和次郎、宮沢賢治、松本竣介、立原道造、竹久夢二、磯崎新という固有名詞を与えられ、これらの人名を使って戦前戦後の日本近代美術・建築史を論ぜよ、という問題が解けますか?という話。ただし、この美術館がパナソニックによって運営されていることも考慮しなければいけない。住宅や陶磁器やインテリアの展示品が多いのは、母体の運営方針によるのでしょう。
2026年2月27日金曜日
2月27日
米国はもはやラテンアメリカ抜きには理解できない、たとえ支配者層がどんなに拒もうとしても。これはバッド・バニーのスーパーボウル以降言われていることで、確かにそうなんだろう。ラテンアメリカ抜きのアメリカは今そうなったわけじゃなくて随分前からそうだった。だからこそオバマが大統領ではなくなった瞬間、2017年1月、ホワイトハウスのスペイン語版ホームページは消されたのだ。この前ある人が言っていたが、トランプの就任日は2026年1月3日で、それまではただの序章に過ぎなかったのだ、と。キューバ出身の作家は、キューバには「冷戦」と「冷戦後の世界」の二つの終わりがいっぺんにやってきたのだと言っている。「冷戦」と「冷戦後の世界」の二つの終わりが同時にやってくる。「冷戦後の世界」も「冷戦」の世界を生きてきて、それが二つとも終わりそうだ。終わると言っても終わりを眺めているのではなくて、次の時代に無理やり入らされている。
2026年2月18日水曜日
2月18日
メキシコとキューバのあいだのフライトは、メキシコのアエロメヒコ航空がメキシコシティから毎日ハバナまで飛ばしている。しかし、そう、しかし、なのだが、その飛行機は、ハバナからメキシコシティに飛んでない。どうやらユカタン半島のカンクンに戻っている。つまりハバナで給油することができないので、ハバナから50分から1時間程度のカンクンに飛んで、ぎりぎりメキシコーキューバ間の往来を保っているのだ。こういう手立ては、メキシコ大統領のシェインバウムのキューバ支援策とも連動している。チリもキューバ支援を表明しているものの、LATAM航空は、他の多くの航空会社と同じようにキューバへのフライトを停止している。チリはあくまでユニセフを通じての支援だからだろうか。イギリスやノルウェーは、現状ではキューバ渡航を控えるべきというメッセージを出している。それでも多くのジャーナリストが次々にハバナ入りをしている……
停電のことでは、観光客を途切れさせないようにするため、有力ホテルはいつも通り稼働していて、唯一の高層ビル(Kタワー)の上階ではナイトクラブも営業している。個人での石油輸入も始まっている。
「エル・パイース」(2月15日付)でキューバ出身の歴史学者ラファエル・ロハスが、「これから先の数週間がキューバの将来にとって決定的」だと書いているのだけれども、どういうことを指すのかははっきりしない。
ハバナ沖に停泊している米国の軍艦があるから、1月3日にベネズエラでしたのと同じことをする可能性があるのかもしれない。予測をしているのは島の外にいる人で、中の人はそんなことをしてもしょうがないだろう。でも、たぶん、何が起ころうとも、それまでの通りの生活を続けられる人びとが一定数は確実にいる。
SNSでビルヒリオ・ピニェーラの詩を引用しているキューバ人が何人かいた。「ありとある場所が水浸しのひどい状況なので、カフェのテーブルに座るしかない」。
2026年2月14日土曜日
2026年2月11日水曜日
2月11日
2026年2月8日日曜日
2月8日
Cuadernos Americanosは、スペインの前衛詩人フアン・ラレア Juan Larreaが内戦後にメキシコで関わっていた隔月の文芸誌。編集長はJesús Silva Herzog。1942年に創刊号が出て、そこにアルフォンソ・レイエスが「アメリカ大陸とCuadernos Americanos」という文章を寄せている。
隔月で刊行されていて、年毎に号数がナンバリングされている。1950年第4号を見ると300ページ近い分厚さで、目次にはフェルナンド・オルティスやフリオ・コルタサルの名前も。
全巻揃いではなくて飛び飛びだけれど、81冊2000ドルで売っている。
「Cuadernos Americanos」は書籍の出版もしていて、スペインから亡命していた詩人エミリオ・プラードスの詩集『閉じられた庭』を出している。これはおそらく1946年。
雪の朝、夜空の月のように、灰色の空に白い太陽が光っていた。投票に行って、ここ数日のぞわぞわした落ち着かない気分が楽になった。やれることはやった。選挙は国政だけではない。自治体の選挙もあるわけだし。2月9日の朝、どんな結果になっていても、しっかり起きて仕事に向かうのだ。
2026年2月5日木曜日
2月5日
詩に関連して以下の本:
伊藤整『改訂 文学入門』講談社文芸文庫
三好達治『詩を読む人のために』岩波文庫
池澤夏樹個人編集『近現代詩歌 日本文学全集 29 』河出書房新社
谷川俊太郎他編『詩 たのしいライト・ヴァース 世界編』河出書房新社
エドガー・アラン・ポオ『詩と詩論』創元推理文庫(これが2冊あった。誰かいりますか?)
吉本隆明『定本 言語にとって美とは何か II』角川ソフィア文庫
オルテガ『芸術の非人間化』荒地出版
このうち伊藤整からは、「第二章 悲劇と喜劇」のうち特に40-43ページ。そして「第十章 芸術の本質」から以下。
「19世紀までのように、人間が完全な独立した性格を持って自立していると考えられていた時は、詩歌の表現の意味も完了したはっきりしたものであった。しかし現代のように人間は独立しえない不完全なものと思われる時代では、意味や説明の完了した詩句は、人間性をかえって表現しないことになる。人間存在の不安な意識は、ある不明瞭な、そして不安定な表現の中にとらえられやすい。絵が写真的説明に満足できなくなったように、詩も意味を具体的に明らかにすることや、同じ韻律を繰り返すことは、かえって不満足な結果を生むのである。」(258ページ)
吉本隆明では特に「第V章 第一部 詩」から。
オルテガは特に「続芸術の非人間化」29-36ページ。
2026年2月4日水曜日
2月4日
2026年2月2日月曜日
2026年2月1日日曜日
2月1日
2026年1月31日土曜日
1月31日
2026年1月29日木曜日
2026年1月25日日曜日
1月25日
東京国立近代美術館で「アンチ・アクション展」。展覧会場をまわっていくと、見開き2ページの解説文をピックアップできて、全部で14篇の「別冊アンチ・アクション」が出来上がる。
「抽象絵画は外界を再現する役割から解放され、素材と空間により見る人との間に出来事を起こす場となったのだ。したがって見る側は、作品に何が描かれているかではなく、作者が画面上で何をどう行ったかに、まずは目を向ける必要がある」(江上ゆか「それぞれの(アンチ・)アクション=制作行為」)
コレクション展では、新たに所蔵された岡崎乾二郎の以下の二つの作品が素晴らしい。
「屋根の熱気に吹きつけられ、祖父の顔は頭蓋骨のようにもう色褪せて見える。ところで彼は何といったのでしたっけ?灼熱の焼きごてを眼に入れられようとしたときに。「僕の美しいお友達、火よ。もう少しやさしくお願いします」。大丈夫。安心なさって。姉は日傘を取りにいき、祖父は指先をまるく尖った舌で冷やしていた。」
「背後から火事が迫ってきたとでもいうの、この顔の青さは普通じゃないわ、どうしたの?ぽつりと答えます。「惜しいと思うほどの物は捉まえようと追いかけず、一生惜しんで思い出せるようにしておいたほうがいいんだよ」。そうか。胡瓜の漬け方を、老婦人から習ったときみたいに、熟した実がひとりでに落ちる音を聞いた。」
2026年1月24日土曜日
1月24日
台北では台北ビエンナーレ2025(Whispers on the horizon)を台北市立美術館で見たのだが、その趣旨説明では呉明益『自転車泥棒』、候孝賢の『戯夢人生』、それに見たことのない陳映真の『My Kid Brother Kaonxing』が触れられていた。「From the cinema and literature of Taiwan, these are not mere stories; they are echoes of something deeper, something universal, something that reaches beyond their form.」
ガルシア=マルケスがエピグラフにあるのが呉明益の「歩道橋の魔術師」で、ニカノール・パラが引用されるのが「石獅子は覚えている」(どちらも『歩道橋の魔術師』)。
台北ビエンナーレで覚えているアーティスト:Ciou Zin-Yan, Anna Jermolaewa, Afra Al Dhaheri, Mohammad Al Faraj, Rana Begum, Wang Hsiang Lin, Shizuka Yokomizo, Chen Chih-Chi, Skyler Chen, Chen Cheng-Po, Fuyuhiko Takata, Kiriakos Tompolidis.
それから紀蔚然『台北プライベートアイ』(文春文庫)も。
2026年1月18日日曜日
1月18日
2026年1月8日木曜日
1月8日
ベネズエラ作家ではフリオ・ガルメンディアの「リンゴちゃん」という短篇が面白い。果物屋に並ぶ現地産のリンゴちゃんは元々売れ筋だったけれど、「北」から色合いの美しい匂い立つリンゴが届いてしまって、もう売れない。「もう私のことなんて誰も食べてくれないかも」。
絶望したリンゴちゃんは友だちに相談する。ヤシの実さん、バナナさん、アボカドさん、グアナバナさん(日本語だとトゲバンレイシ)、オレンジさん、トマトさん、パパイヤさん、パイナップルさん、ザクロさん、マンゴーさん・・・【この短編は果物の種類を学ぶのに優れている】
同情してくれる果物もあれば、突き放す果物もある。リンゴだけじゃなく、ヤシの実だってバナナだって「北」からその種類が届けば同じことになると不安を口にする者もいる。
リンゴちゃんは眠れなくなってしまった。かわいそうに翌朝、彼女は悲しみで死んでしまったのだった。友人の果物たちは彼女を埋葬する。
土の中で蛆虫さんに話しかけられるリンゴちゃん。「なんで死んじゃったの?」。リンゴちゃんは答える。「悲しくて。だって北からあの美味しいりんごが着いたので誰も私のこと好きになってくれないから。子供も小鳥も誰ももう私のことを好いてくれない。だったらなんで生きていられるの?」
でも蛆虫さんはリンゴちゃんにあるニュースを伝える。あの美味しそうなリンゴは暑さに負けて、すぐに腐っちゃうよ。それを聞いたリンゴちゃんは確かめに土から這い出て、頑張って果物屋さんに戻る。すると果物屋の主人はたった一日で傷んでしまったリンゴを見て驚いている。「たった一日で!」
それを見たリンゴちゃんは嬉しさのあまり笑って踊る。店の主人は北のリンゴを冷蔵庫に入れる。冷蔵庫にはブドウさんと梨さんもいる。リンゴちゃんは周りのみんなに戻ってきたことを伝え、友達と跳ね回る。北からのリンゴも許してあげる。だって同じ太陽と大地から生まれた果物なんだから。