El mundo cambia constantemente.
ラテンアメリカ文学、キューバの文学、カリブの文学などについてメモのようなものを書いています。忘れないように書いているというのもあるけれど、忘れてもいいように書いている。書くことは悪魔祓いみたいなもので、書くとあっさり忘れられる。それがいい。
Escribir es un acto de exorcismo. Escribir cura, alivia.
2023年3月18日土曜日
3月18日 『緑の家』と『フィツカラルド』
2023年3月14日火曜日
3月14日 バルガス=リョサ『緑の家』
【『緑の家』について最初に書いたエントリーを書き換えたもの】
この小説はまず、全体が4部とエピローグで構成されている。要するに5部に分かれている。ここにすでにこの本の読み方が示されていると考えられる。『緑の家』と題された一つの小説に、5つの小説が入っているということである。いや、5つとはいえないのかもしれない。4つの小説とエピローグと理解するべきか。
いま日本語で「部」と書いたが、スペイン語では「Primera parte(1部)」とは書かれてなく、ただ単に、Uno, Dos, Tres, Cuatro, Epílogoと書いてあるだけだ。「Libro uno(第1の書)、「Libro dos(第2の書)」と理解できる。
その5部は、それぞれが基本的に4つの「Capítulo(章)」に分かれている。1章はCapítulo I、2章はCapítulo IIと、章番号にはローマ数字を使っている。
こうして、5(部)と4(章)という二つの数字が出てくる。そしてこの「部」を見ると、Kindle版の1部は以下のようになっている。
Uno
Capítulo I
Capítulo II
Capítulo III
Capítulo IV
Uno(1部)と書かれたページをめくると文章が始まり、そこは章番号が置かれていない。便宜上その部分を0章として、しばらく進むとその部分が終わり、1章がはじまる。
つまりこの0章にあたる部分は目次には見えない、隠された部分である。小説家がこういう隠された部分を置いたら、なんらかの意味づけがあるとみて間違いないだろう。
どういうことか。1部には、トータルで5つの塊があるのだが、可視的には4章ということだ。逆から言えば、4章しかないが、実際には5つの塊がある。
本全体に言えることがここでも繰り返されている。
つまり、5つに見えもするし、4つにも見える。章の頭にある0章というのは厳密には章ではない。0+4章、つまりプロローグ+4つの章である。本全体が4つの小説+エピローグであることと対応しているのだ。
次いで章を見ていくが、一つの章は、5つのフラグメントに分かれている。ここも5が出てくる。しかも4つのフラグメントになる章もある。また5と4である。フラグメントと言っているが、これもまた便宜的な言い方である。章の中では、フラグメントが変わるごとに1行空いている。1行の空白があり、人物・舞台が違ってくるので、フラグメントの見分けがつかない人はいない。
次いで章を構成する5つのフラグメントについての説明が必要だ。便宜的にアルファベットを使う(La casa verdeのスペイン語版ウィキペディアはこの方式を使っている)。
A 伝道所(ペルーの奥地サンタ・マリア・デ・ニエバ)
B フシーア(マラニョン川を航行中)
C 兵舎(ニエバよりさらに奥にあるボルハの駐屯地)
D アンセルモ(ピウラ)
E リトゥーマ(ピウラのマンガチェリーア地区)
以上は、1部1章にある5つのフラグメントをわかりやすく説明したものだ。Aの伝道所はサンタ・マリア・デ・ニエバにあるスペイン人修道女がいる場所だ。Bのフシーアは日系人で彼は川を移動中。Cはボルハにある駐屯地の兵舎で展開する。Dはピウラに「緑の家」という娼館を建てたアンセルモに焦点を当てている。Eは同じピウラでもマンガチェリーア地区にリトゥーマが帰還したエピソード。
5つの物語ではあるが、例えばピウラが2つのフラグメントで使われている。5つに見せて4つでもある。ここも『緑の家』全体が4部+エピローグであることと同じように見える。
別の見方をすると、AとCは内容として繋がっている。そうとればやはり5つに見えて4つである。
この本は5なのか、あるいは4+アルファなのか、ということを意識して読む必要がある。
2023年3月13日月曜日
3月13日 La casa verde (7)
3部0章はもしかすると最もわかりにくいところかもしれない。
ここでは二つの時間が並行して流れている。どちらもサンタ・マリア・デ・ニエバだが、一つはカピローナの木の下の場面。カピローナというかなり高い木はアマゾンの熱帯雨林の大木。薪としても使われる。このカピローナ木周囲で展開するのをAとする。
もう一つは、シプリアーノ中尉の後にやってきた新任の中尉が軍曹らに案内された直後、フムがやってきて彼の身に起きていることを知らされる場面。こちらをBとする。時間的にはAがまずあって、それから相当の時間が過ぎてからBになる。
Aの場面ではアグアルナのフムがウラクーサから連行され、懲罰のために広場にあるカピローナの木に吊るされている。木の下にはニエバの行政官レアテギ、アレバロ・ベンサス、マヌエル・アギラ、デルガード伍長らがいる。フムはデルガード伍長が案内人ニエベス、使用人とウラクーサに立ち寄った時、彼らに襲いかかり、伍長はなんとか逃げ出し、その後、レアテギが腹を立ててウラクーサに行き、フムを虐待するとともに彼とアグアルナ族の少女とを連行した。この少女はボニファシアと思われるが、この点についてはまた別にする。いずれにしろこのAでは、木の上にいるフムが先住民語で話し、それを通訳がカタコトのスペイン語で白人たちに伝えている。白人たちが先住民に対してやりたいほうだいであることがよくわかる。これは2部3章Dの続きということになる。
一方Bだが、ニエバに連れてこられて上で書かれているように虐待され髪も切られた(髪を切られることはアグアルナにとって屈辱的なことである。髪が短いままではウラクーサには戻れない)フムはかなりの時間をこの土地で過ごしているようだ。すでにレアテギは行政官ではなく、ファビオ・クエスタに変わっている。その時間の流れは全く感じさせずにBの物語が展開するので困ったものなのだが、いずれにしても新任の中尉がやってきたので、事情を説明しようとする。そして彼が説明するのが、ウラクーサで虐待のほかもっと大切なこととしてデルガド伍長にゴムを奪われたということである。自分たちの商売を台無しにされたということだ。このパートには書いてないが、アグアルナは協同組合を組織中で、そのことがレアテギ、またとりわけペドロ・エスカビーノを怒らせていたわけだ。フムは中尉と話をするために軍曹(これはリトゥーマ)を介して面会を申し出たのだった。フムはスペイン語ができないので通訳が必要なのだが、この時通訳をやるのがニエベスである。ニエベスがここに出てくるのは意外な感じがする。
というわけで、要するにバルガス=リョサ特有の手法である二つの物語の並行なのだが、ここではその切れ目が極めてわかりにくく、同じ文章の中で場面が切り替わる。
Bueno, y que ahora le dieran algo de comer y se fuera sin que nadie más le pusiera un dedo encima, capitán, por favor que se lo repitiera él mismo. Y el capitán con mucho gusto, don Julio, llama al cabo: ¿entendido? Se había acabado el escarmiento, ni un dedo encima, y Julio Reátegui: lo importante era que volviera a Urakusa. Nunca más pegando a soldados, nunca engañando patrón, que si los urakusas se portan bien los cristianos se portan bien, que si los urakusas se portan mal los cristianos mal: que le tradujera eso, y el sargento lanza una carcajada que alegra todo su rostro redondo: ¿qué le había dicho, mi teniente? (p.249、下線部引用者)
引用では、Aから始まって、下線が引かれているところからBに切り替わる。
アグアルナに襲われて逃げ出したニエベスがフムの通訳をつとめ、フムの話の中には逃げ出したニエベスそのものが言及されるのだが、彼は素知らぬ顔をしている。またニエバに連行された少女を返して欲しいともフムは訴えるが、その少女(これがボニファシアだとすれば)とその後関係を持っている軍曹(リトゥーマ)も、そんな少女がどこに行ったのかわからないとフムに言っている。
2023年3月11日土曜日
3月11日 La casa verde (6)と近況
2部0章続き。
状況としては、前のエントリーで書いたようにイキートスからやってきたドン・フリオ(レアテギ)が、行政官のドン・ファビオ(クエスタ)と共に伝道所へ行き、修道院長とマザー・グリセルダと面会する。フリオは4年前に知り合ったボニファシアともう一人の少女をイキートスに連れて帰ろうとするが、ボニファシアが態度を硬化させたので断念する。
フリオ・レアテギはまるで少女を家政婦として働かせるために連れて帰ろうというので、マザーたちが難色を示す。
Él lo sabía de sobra, madre, por eso él y su señora siempre colaboraron con la misión, si había algún inconveniente no pasaba nada, madre, no se dijo nada, por favor que no se preocupara. La superiora no se preocupaba por ellos, don Julio, sabía que la señora Reátegui era muy piadosa y que la niña estaría en buenas manos. El doctor Portillo era el mejor abogado de Iquitos, madre, ex diputado, si no se tratara de una familia decente, conocida, ¿se habría atrevido Julio Reátegui a hacer esa gestión? Pero le repetía que no pensara más en eso, madre, y la superiora sonríe de nuevo: ¿se había enfadado con ella? (p.146-147)
「わかっていますよマザー、ですから彼も妻もいつも伝道所とは協力しているのです、なにか不都合があっても大丈夫ですマザー、おおやけになることはありません、どうか心配なさらずに。修道院長はなにも心配していませんよドン・フリオ、レアテギ夫人が慈悲深い方で、少女が信頼できる人の手に委ねられることはわかっています。ポルティーリョ先生はイキートスで一番の弁護士ですマザー、元議員です、もし家柄の良い有名な家系の出でなかったら、フリオ・レアテギはその手順を踏もうとしたでしょうか?しかし彼は、繰り返しますがその点についてはもう考えないでくださいマザー、すると修道院長は再び微笑む--彼は彼女に腹を立てているのかしら?」
フランス語訳では下線部は次のようになっている。スペイン語と同じといえば同じ。
Me Portillo était le meilleur avocat d'Iquitos, ancien député, s'il ne s'agissait pas d'une bonne famille connue, Julio Reátegui se serait-il permis de faire cette démarche?(La Maison verte, Éditions Gallimard, 1969, p.114)
この下線部について、スペイン語では主語は省略できるが、madre(マザー)という呼びかけ語があるので、se habría atrevidoだけでもフリオ・レアテギが主語であることは判断可能だろう。しかしこのようにフルネームで表記されていると、地の文のようにも読める。そして地の文だとすると、フリオ・レアテギの内面の声のようにも読めてくる。自由間接話法特有の、地の文でもあり声でもある二重性があらわれている箇所だ。しかし日本語は、地の文と実際の声では決定的に異なる。「フリオ・レアテギはその手順を踏もうとしたでしょうか?」なら発話。しかし主語がフルネームで違和感を感じるだろう。「フリオ・レアテギはその手順を踏もうとしただろうか?」なら地の文。
2部1章Aは、再びチカイスにいるel sargento(軍曹がピウラ出身であることがわかるのがここ)、el Pesado、el Chiquito、el Rubio、案内人Adrián Nieves。
このパートは自由間接話法はなさそうにはじまって、やはり出てくるがわかりやすい。伝道所から逃げ出した先住民少女たちを探している。男たちだけの下品な会話の後、眠りにつく。軍曹だけが眠らず、案内人ニエベスと話。最後の部分は次の通り。
—En cambio, usted es una buena persona, sargento —dijo Nieves—. Hace tiempo que estoy por decírselo. El único que me trata con educación.
—Porque lo estimo mucho, don Adrián —dijo el sargento—. Siempre le he dicho que me gustaría ser su amigo. Pero usted no se junta con nadie, es un solitario.
—Ahora será mi amigo —sonrió Nieves—. Un día de éstos vendrá a comer a mi casa y le pre- sentaré a Lalita. Y a esa que hizo escapar a las niñas.
—¿Cómo? ¿La Bonifacia esa vive con ustedes? —dijo el sargento—. Yo creía que se había ido del pueblo.
—No tenía donde ir y la hemos recogido —dijo Nieves—. Pero no lo cuente, no quiere que sepan dónde está, porque es medio monja todavía, se muere de miedo de los hombres.(La casa verde, p.160)
2023年2月27日月曜日
2月27日 La casa verdeの難所(5)
さらにLa casa verdeについて。
1部4章Cでアドリアン・ニエベスは伍長と使用人を置いて一人で逃げて、最終的にはフシーアとラリータに助けられる。
2部0章もまた難所である。
小型船がサンタ・マリア・デ・ニエバに着いてフリオ・レアテギが下船し、彼を出迎える面々がいる。現在形を中心に、過去形が入ってくる。フリオはイキートスからやって来たようである。
ファビオ・クエスタ:かつてイキートスにいてホテル経営をしていたが、現在サンタ・マリア・デ・ニエバの行政官。前任者はフリオ・レアテギ。
以下の3名はすでに出てきた。
マヌエル・アギラ
ペドロ・エスカビーノ
アレバロ・ベンサス
フリオ・レアテギは彼らと一通り挨拶し、その後、ファビオ・クエスタとともに伝道所の住居へ向かう。マザー・グリセルダに迎えられた後、待っている間に二人の男は会話を続ける。
No había duda, don Fabio estaba contento en Santa María de Nieva, con qué orgullo contaba las cosas de acá, ¿era esto mejor que administrar el hotel?, si hubiera seguido allá, en Iquitos, tendría ahora una buena situación, don Fabio, es decir, económicamente. Pero el gobernador ya estaba viejo y, aunque le pareciera mentira al señor Reátegui, no era hombre de ambiciones. ¿Así que no aguantaría ni un mes en Santa María de Nieva?, don Julio, ya veía que aguantó y, si Dios lo permitía, no saldría nunca más de aquí. ¿Por qué se empeñó tanto en este nombramiento?, Julio Reátegui no acababa de entenderlo, ¿por qué quiso reemplazarlo, don Fabio?, ¿qué buscaba?, y don Fabio ser, que no se riera, respetado, sus últimos años en Iquitos habían sido tan tristes, don Julio, nadie podía saber las vergüenzas, las humillaciones, cuando él lo llevó al hotel vivía de la caridad. Pero que no se pusiera triste, aquí en Nieva todos lo querían mucho, don Fabio ¿no consiguió lo que buscaba? Sí, lo respetaban, el sueldo no sería gran cosa, pero con lo que el señor Reátegui le daba por ayudarlo le bastaba para vivir tranquilo, también esto se lo debía, don julio, ah, no tenía palabras. (p.143)
「間違いない、ドン・ファビオはサンタ・マリア・デ・ニエバにいられて満足している、こちらでの出来事をさぞ誇らしく語っている、ホテルを経営するよりこっちのほうがいいのかね?、もしイキートスに居続けたらいまごろいい状況になっていたはずだねドン・ファビオ、経済的にという意味だが。しかし行政官はすでに年齢も年齢で、レアテギ氏には本心には聞こえないが、野心のある人間ではなかった。だからサンタ・マリア・デ・ニエバでは一ヶ月ともたないでしょうですってドン・フリオ?、もったことがすでにわかったでしょう、もし許されるならここから二度と出るつもりはない。なぜ彼がこのポストにこれほどこだわったのか?フリオ・レアテギにはそれがわかっていなかった、なぜ自分の後任になりたかったのだねドン・ファビオ?、何を求めていたんだね?するとドン・ファビオは、笑わないでください、尊敬されたかったのですよ、イキートスの最後のころはかなり悲しいものでしたからドン・フリオ、誰一人として恥辱や屈従を知らず、彼[フリオ]がホテルに連れていったとき、施しで暮らしていた。しかし悲しくならんでいい、ここニエバではみんなが必要としてるよドン・ファビオ、探していたものを得たのではないかね?確かに尊敬されていた、給料は大した額ではないが、レアテギ氏が手助けでくれたものでやっていくのに十分だった、このこともあなたのおかげですドン・フリオ、ああ感謝しきれません」
いずれにしても自由間接話法は訳しにくい。呼びかけ語がない場合には地の文に近づけ、呼びかけ語の前後で口語っぽさを出している。
Julio Reátegui cierra los ojos, don Fabio queda pensativo, su mano lenta, afectuosamente recorre la calva: de veras, ¿sabía don Julio que murió la madre Asunción?, ¿recibió su carta? La había recibido y la señora Reátegui escribió a las madres dándoles el pésame, él añadió unas líneas, una buena persona la monjita y don Fabio había hecho algo que no era muy legal, poner a media asta la bandera de la Gobernación, don Julio, para asociarse al duelo de alguna manera y ¿la madre Angélica estaba bien?, ¿siempre fuerte como una roca, esa viejecita? Se oyen pasos y ellos se ponen de pie, van al encuentro de la superiora, don Julio, madre, una mano blanca, era un honor para esta casa tener de nuevo aquí al señor Reátegui, qué contenta estaba de verlo, por favor, que se sentaran y ellos justamente estaban hablando, madre, recordando a la pobre madre Asunción. (p.144)
「フリオ・レアテギは目を閉じ、ドン・ファビオは考え込み、片手はゆっくり優しく禿げた頭部を撫でる--本当に、ドン・フリオはマザー・アスンシオンが死んだことを知っていますか?手紙は受け取りましたか?手紙は受け取り、レアテギ夫人がマザーたちにお悔やみの手紙を書き、彼が数行付け加えた、修道女は善人だったな、ドン・ファビオはあまり合法とは言えないことを行なった、役所で半旗にしましてねドン・フリオ、何らかの形で追悼に加わろうとしまして、マザー・アンヘリカは元気かな?いつも岩みたいに強靭だな、あの方は?足音が聞こえ、彼らは立ち上がり、修道院長を迎えに行き、ドン・フリオ、マザー、白い手、レアテギ氏をこの館に改めて迎えるのは光栄で、お目にかかれて大変嬉しいです、お願いですから腰掛けてください、すると彼らはちょうど話していましてね、マザー、かわいそうなマザー・アスンシオンを思い出していましてね」
ここではドン・フリオやドン・ファビオが呼びかけ語ではない局面でも使われているように見えるが(1行目と4行目のドン・ファビオと2行目のドン・フリオ)、発話のように訳したり。地の文と思考や会話の継ぎ目を曖昧にしつつ。
だんだん自由間接話法の訳し方の話になっている・・・・・・
2023年2月23日木曜日
2月23日 La casa verdeの難所(4)
1部3章Cは出だしから当惑させられるのだが、何行か読んでいくと場面がつかめる。ボルハの駐屯地での志願兵(大尉が言及していた)の訓練をささっと描写しているのだ。志願兵がボルハに着いた直後のことで、それが終わって以下の場面になる。
Y una mañana viene el cabo Roberto Delgado, un paso adelante el recluta que era práctico y Adrián Nieves a sus órdenes, mi cabo, él era. ¿Conocía bien la región, río arriba? y él como esta mano, mi cabo, río arriba y también río abajo y entonces que se preparara que se iban a Bagua. Y él llegó el momento Adrián Nieves, ahora o nunca. Parten a la mañana siguiente, ellos, la lanchita, y un sirviente aguaruna de la guarnición. (p.99)
「するとある朝、ロベルト・デルガード伍長がやってきて案内人の志願兵は一歩前へ、するとアドリアン・ニエベスが、お申し付けください伍長、自分です。その地域、上流をよく知っているか?すると彼は、お安い御用です伍長、上流と下流も、するとバグアに行くから用意しろ。すると彼は、好機だアドリアン・ニエベス、いま行かなければ二度とない。彼ら、小型船、駐屯地のアグアルナ族の使用人は翌朝出発する。」
こうして出発した彼らの道中の描写には別の話が入り込んでくる。
El cabo Roberto Delgado viaja contento, habla y habla, llegó un teniente costeño que quiso conocer el pongo, ellos es peligroso, mi teniente, ha llovido mucho, pero él quiso, y fue y la lancha se volcó y se ahogaron todos y el cabo Delgado se salvó porque se inventó una terciana para no ir, habla y habla. El sirviente no abría la boca, mi cabo, ¿el capitán Quiroga era selvático?, Adrián Nieves era el que le conversaba. (下線引用者、p.99)
ロベルト・デルガード伍長は旅行を楽しみ、話が止まらず(habla y habla)、その話の一つが沿岸地方出身の中尉(teniente)のことだ。そこは点過去形(llegó)が使われている。habla y hablaの後のllegóのところが最初はどうしてもわからなかった。一旦わかってしまうと楽だ。
pongo[ポンゴ]は「川の狭くなった危険なところ」を意味する単語で、語源はケチュア語である。フランス語ではcluse(横谷)。「横谷」があるということは、「縦谷」もあるということで、これは「横谷」だろう。
結局3人(デルガード伍長、案内人、使用人)は2日かかってウラクーサに到着。
1部3章Cのことはここまでにしておいて、続く1部4章は、1部3章と同じ配列。
A 伝道所
B フシーア
D アンセルモ
C デルガード伍長ら(ウラクーサ)
E リトゥーマ
Cパートは伍長、ニエベス、使用人がウラクーサに泊まった翌朝のことだ。ここははっきりと前章の続きとわかる。
Y a la madrugada se levantan para seguir viaje, bajan el barranco y la lanchita no está. Comienzan a buscarla, Adrián Nieves de un lado, del otro el cabo Roberto Delgado y el sirviente y, de repente, gritos, piedras, calatos y ahí está el cabo, rodeado de aguarunas, le llueven palos, también al sirviente y ahora lo han visto y los chunchos corren hacia él, miéchica, Adrián Nieves, te llegó tu hora, y se tira al agua: fría, rápida, oscura, no saques la cabeza, más para adentro, que lo agarre la corriente, ¿flechas?, se lo jale río abajo, ¿balas?, ¿piedras?, miéchica, los pulmones quieren aire, la cabeza anda mareada como un trompo, cuidado con el calambre. (p.129)
「すると明け方彼らは起床して旅を続けようと、崖をおりると小型船がない。探しはじめ、アドリアン・ニエベスはいっぽうへ、ロベルト・デルガード伍長はもういっぽうへ、そして使用人も、すると突然、怒鳴り声、石、裸の男たち、するとそこに伍長がいたので、アグアルナ族に囲まれ、棒で叩かれ、使用人も叩かれ、すると彼も見つかって、先住民たちは彼に向かって駆け出し、くそ、アドリアン・ニエベス、これで最期だ、そして水に飛び込む--冷たく、流れは早く、暗く、おまえ頭を出すんじゃない、もっと深く、流されろ、矢か?下流まで引っ張られろ、銃弾か?石か?くそ、肺が空気を欲しがっている、頭がコマのように回っている、痙攣に気をつけろ。」
ここにきてわかるのは、「くそ、アドリアン・ニエベス、これで最期だ」のところが、ニエベスが自身に向かって言っていることだ(te llegó tu hora)。そうすると、このエントリーの上の方で引用した、Y él llegó el momento Adrián Nieves, ahora o nunca.のところは、上では「すると彼は、好機だアドリアン・ニエベス、いま行かなければ二度とない」と訳したが、ここは伍長がニエベスに言っているとも、またニエベスが自身に言っているとも読めてくる。ニエベスが自身に言っているとすれば(そのように読んだ方がいいと思うが)、ニエベスは今の境遇から逃れたいと思っているともとれる。
こうしてCパートに絞って読んできて、文体的な特徴がかなりつかめた。
2023年2月22日水曜日
2月22日 La casa verdeの難所(3)
続いて1部3章では、パートが入れ替わっている。今まで3番目にあったサンタ・マリア・デ・ニエバの白人事業者たちのパートではない。小型船で軍人がどこかに到着したところから始まるパートが4番目に来ている。現在形の描写を中心としてそこに過去時制が混ざってくる文体的な特徴から見て、ここは2章のCと共通する。なので以下のように並んでいる。
A 伝道所
B フシーア
D アンセルモ
C デルガード伍長(ボルハの駐屯軍から移動)
E リトゥーマ
それにしてもこのCパートはわかりにくい。1部1章Cに戻ってみると、舞台を読み違えていたことに気づいた。サンタ・マリア・デ・ニエバではなく、ボルハの駐屯地と思われる。
この1部1章Cで出てくるのは
el cabo Roberto Delgado(デルガード伍長):Bagua出身
el capitán Artemio Quiroga(キローガ大尉)
二人はボルハの駐屯地にいる。ボルハはサンタ・マリア・デ・ニエバからマラニョン川を下ったところにある。
下った、と書いたが、そもそもマラニョン川の流れる方向が感覚的につかみにくい。リマの右上(北東)のアンデス山脈の中のChingalpoあたりが源流で、そこから北西の方角に流れている。その後、このCにも出てくるバグア(Bagua)近くから北西に向かって下っている(Baguaはマラニョン川沿いの村ではない)。それからマラニョン川は最終的にはアマゾン川になる。
バグアあたりからますます下りながら(と言ったって、どれくらいの傾斜なのかわからないが)、ウラクーサ(Urakusa)やサンタ・マリア・デ・ニエバを通っていく。ちなみにUrakusaはUracuzaという綴りでも見つかる。
ウラクーサにはアグアルナ族が居住している。
1部1章Cは最初はサンタ・マリア・デ・ニエバでの話だと思っていたが、上に書いたようにボルハの駐屯地である。デルガード伍長がキローガ大尉に休暇申請して、案内人を連れて行きたいと希望すると、大尉と伍長のあいだで以下のように「会話」する。
Entre los reclutas que llegaron la semana pasada había un práctico, que se llevara a ése y a un sirviente que fuera de la región. Eso sí, tres semanas, ni un día más y el cabo ni uno más, mi capitán, se lo juraba. Choca los talones, saluda y en la puerta se detiene con perdón, mi capitán, ¿cómo se llamaba el práctico? Y el capitán Adrián Nieves y el cabo ya se estaba yendo que él tenía trabajo atrasado. (p.48)
「先週着いた志願兵の中に案内人がいるから、そいつと、その地方出身の使用人を連れて行け。そう、[休暇は]3週間で1日も延ばすな、すると伍長は1日も延ばしません大尉、誓います。踵を鳴らして敬礼して、ドアのところで立ち止まり、すいません大尉、案内人はなんという名前ですか?すると大尉はアドリアン・ニエベス、すると伍長はすでに出て行くところで、仕事が遅れているのです。」
こうして、1部1章Cから1部2章Cの最後(「ウラクーサで伍長と案内人とボルハの駐屯軍の使用人に起きたことを知らないのか?つい先週のことだよドン・フリオ、そして彼は何だ、何があったんだ。」)の繋がりが確認できて、これでようやく1部3章Cに入れる。
もちろん「繋がり」と言っても、読後に頭にふわっと残るストーリー展開が、その後の方でふわっと繋がっていくので、章ごとのCだけを取り出して繋げても繋がらない。






