2019年2月28日木曜日

東京大空襲/『千の扉』

せいぜいここ5、6年のことだが、毎年3月が近づくと、なんとなく東京大空襲のことを考える。

小さい頃によく聞いたのがこの空襲のことだった。

風向きが変わり、家が燃えずに済んだ地区が池袋付近にあったらしい。

といってもその後、よく知られる1945年3月10日以外にも空襲はあり、とりわけ豊島区を襲った空襲は別の日のことなのかもしれないとわかった。

豊島区の南池袋公園にある「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」をみて、4月13日の空襲は豊島区の大半を燃やしたことを知った。この空襲は城北大空襲と呼ばれることもある。




この公園は比較的最近新しくされた人工的な公園なのだが、幸いこの記念碑だけは残っている。

写真の左上の地図をクローズアップすると以下のようになる。南北に走っているのが線路で、真ん中あたりに池袋駅がある。


赤い部分は4月13日に爆撃を受けたところだが、確かに池袋駅の南西部分(左斜め下)に少しだけぽっかりと戦災を逃れた地区があることはある。

風向きが変わって燃えなかったのはこのあたりのことなのだろう。

この公園に行って上の写真を撮ったのはすでに1年以上前のことなのだが、ちょうどその時に読んでいた本と重なり合うこともあった。

それは柴崎友香『千の扉』である。

以下は小説のあらすじをまとめたもの。ネタバレがあり、かなりいい加減にまとめたので間違っているかもしれない。読んだ記憶として残しておく。

--------------
千歳は大阪出身で、大学卒業後、しばらく大阪で仕事をしていたが、東京に出てきて10数年、39歳になった。職場や関係者の忘年会で知り合った3歳(?)年下の、離婚歴のある一俊と知り合ってすぐに結婚する。

新居は高田馬場近くのアパートを考えていた。というのは、近くの巨大都営住宅群に一俊の祖父日野勝男が一人暮らしをしており、彼の介護のようなものを引き受けるつもりだったからだ。

ところがその勝男が足を折って4階までの階段の上り下りが難しくなったことで、一俊の母が住む郊外に一時的に引っ越すことになり、その団地の部屋に千歳・一俊の新婚夫婦が住むことになった。

季節は夏。

千歳は大阪でもとてもよく似た団地に育ったため、幼児期の記憶の中の団地と比較しながらフィールドワーカーのように団地群を探索していた。さらに勝男からは、「高橋さん」に預けものをしていて、探してくれたらその預けものはあげるからと、その人を探す任務も担うことになり、探索の楽しみも増す毎日を送っていた。

そのような新しい生活を送るうち、同じ団地群のどこかに住む一俊の同級生たち(例えば、仕事を辞めて母親の介護をしている枝里と、ベトナムに赴任している直人の中村兄妹)、あるいは、昼間に団地をふらついているメイという中学生、隣の年配の川井さんなどと知り合っていく。

都営住宅には都市伝説のようなものが伝わっている。近くに病院や研究所があり、戦争中には人体実験が行われたとか、秘密のトンネルがあるとか、幽霊が出るといったものである。千歳は一俊の友人のツテで喫茶店でアルバイトを始め、また同時に高田馬場の近くの機械部品会社でも働き始め、いろいろな人から都営住宅にまつわる話を仕入れていく。

物語は半年くらいの間に千歳に起こったことを中心に、数珠つなぎのように、一俊、彼の両親、勝男、その他、千歳の周りの人たちの過去の物語と接続していく。

こうして、バブルの頃、それより前の都営住宅が建設される前、空襲を受けた戦争中へと、おそらく70年くらいのその地区の歴史がたどられる。

千歳は寡黙な一俊の過去をひょんな事で知り、打ち明けてくれなかったことに腹を立て、家を出る。その間はバイト先の喫茶店の二階で寝泊りをする。ここにもいくつかの歴史がある。

千歳の家出、枝里の母の死、メイの行方不明事件などを経て、療養を終えた勝男は団地に戻る。千歳と一俊は近くのアパートに引っ越し、当初の予定のように、3人が食事などをともにするときが訪れる。

「高橋さん」とは、勝男が戦後知り合ったが、結婚を禁じられ、思い姫のように憧れていた女性の弟さんのことで、同じ団地に住んでいるのを勝男は知っていたのだった。どうやらとっくにその人は亡くなっていたが、勝男はその時間の経過を意識できていなかったのである。

戻ったのもつかの間、勝男はあっけなく亡くなる。

都営住宅は相続ができないので、子供達は出て行かなくてはならない。一俊と千歳がそこに暮らすことはもうない。
 
概ねこのような物語の中に、バブル期をどう捉えるべきか、という歴史観が問題提起される。

バブルの頃を金がすべての愚かな時代として否定し、お金はなくとも幸せに小さくまとまれる今を肯定するーーこれは、千歳のバイト先の喫茶店でたまに料理教室を開く中年夫婦の意見である。

その夫婦の考えに対し、千歳や枝里は、言葉にはしにくいものの、同調できないところがある。

いわゆる就職氷河期時代、リーマンショックを経験した若者たちに対し、良い未来を語れないことを抑圧した反動ではないのかという思いだ。

都営住宅には高齢化が進み、近隣には再開発が進んでいるが、果たしてそれをどのような未来へ接続させていったらいいのだろうか。

いかなる土地であろうと、戦中、戦後、高度成長といった過去と断ち切られたような未来が果たして構想できるのか……

もちろん答えは示されない。読んだ側が考えることではある。

場所と人、そこに流れる時間を、論理ではなく、そこに暮らす人の思いを通じて感じさせ、読み終わるとふと放り出されるような。

読んだあと、街の歩き方、人との関わり方は変わるだろう。

もうほとんど覚えていないが、『その街の今は』の続きとなるような小説である。
-----------------

2019年2月24日日曜日

キューバ関連本

前の更新から気がつくと1ヶ月近い。書きたいことは山ほどあるような気がするのに、時間の方が早く過ぎてゆく。

ぼやっとしてると時間に負けてしまう。勝ち負けではないはずなのに。

時間と一緒に生きている。時間があって自分がある。それなのに時間との付き合いが難しい。

のんびり生きたいという感覚はどういうことなのだろう。時間の速度よりもゆっくり生きるということなのだろうか。

本がある、映画がある。読む、見る、内容について思う、考える。

それは読んでいるとき、見ているときと並行して起きている。

その時間に過ぎていることはその時間の中にある。

ボルヘスの「グアヤキル」を読み直していて、いや本当に面白いなあと思ったのは、読んでいるときのことだ。エリック・ドルフィーの言葉が思い出される。

映画『ノーザン・ソウル』の興奮、『ライ麦畑の反逆児ーひとりぼっちのサリンジャー』の教訓、『女王陛下のお気に入り』のおぞましさ、これらはどこへ?

大きな音でジャズを聴きたいが、そんなことをしたら耳鳴りが止まらなくなる。真夏の森でセミの音を聞くような耳鳴りが。

セルバンテス文化センターでキューバ映画祭をやっていた。短篇5本と長篇1本を見てきた。長篇は『Habanastation』(Ian Padrón監督、2011)。

最近届いたキューバ本は以下の2冊。

Ildefonso Pereda Valdés, Lo negro y lo mulato en la poesía negra, Ediciones Ciudadela, Montevideo, 1970.


キューバ詩における黒人性とムラート性について、ウルグアイ人が論じたもの。よく引用・参照される古典的文献の一つ。

同じテーマの新しい文献が以下のもの。

MIguel Arnedo-Gómez, Writing Rumba: The Afrocubanista Movement in Poetry, University of Virginia Press, Charlottesville and London, 2006.

2019年1月27日日曜日

『ビール・ストリートの恋人たち』

ジェイムズ・ボールドウィンの小説『ビール・ストリートの恋人たち』の新しい翻訳が出たのを見つけ、早速読んだ。まもなく映画が公開されるので、その前に読んでおきたかった。

ジェイムズ・ボールドウィン『ビール・ストリートの恋人たち』(川副智子訳)、早川書房、2019年。



ニューヨークのハーレムに生まれ育った黒人のクレメンタイン、愛称はティッシュ。同じく黒人で同じくハーレム育ちのアロンソ、愛称はファニー。

この小説は若い二人の一途な恋愛小説だ。

ちなみにティッシュが女性でファニーが男性。なぜこういう愛称なのだろう?

幼馴染の二人はいつしか恋人同士になる。デートコースはスペイン料理店と、彫刻家になりたいファニーが作業場として借りているアパートだ。

結婚することに決めた二人は家を探すが、黒人であることが障壁となってなかなか貸してくれない。そこに来て、赤毛の警官ベルが登場する。彼はレイシストとして知られ、黒人少年を殺害した前歴があった。
 
ベルはファニーに目をつけ、なにやら企んでいるようだ。そもそも彼の担当区域はウエストサイドなのに、イーストサイドに来ている。たまたまファニーとティッシュが二人で商店で買い物をしていると、イタリア人のワルにティッシュは絡まれる。慌てて駆けつけたファニーがやり返すのだが、それを見ていたベルはファニーを逮捕しようとする。
 
幸い商店主がファニーとティッシュの味方になってベルを追っ払ったが、それはその後の悲劇の前兆だったのか。

ファニーは察知している。「あいつはおれをつかまえるつもりだ」

「彼[ファニー]はだれの黒んぼでもなかった。そして、それは、このくそったれな自由の国においては犯罪なのだ。この国では黒人は誰かのニガーでなければならず、だれのニガーでもなければ、悪いニガーとされる。」(55ページ)

ここは、ボールドウィン原作の映画『私はあなたのニグロではない』と重なる。

黒人差別の被害はファニーの幼馴染であるダニエルにも及んでいる。彼は冤罪で逮捕されて刑務所に入れられ、そこでのレイプの記憶がトラウマになっている。

ある日、そのダニエルをファニーとティッシュが慰めていると、警察がやってきて、ファニーは逮捕されてしまう。容疑はプエルトリコ人女性の強姦である。

ちょうど同情的なアパートの貸し手が見つかり、二人に前途洋々の未来が開けていたところなのに、以降ファニーとティッシュは拘置所のガラス越しの、受話器を持っての会話しかできなくなる。毎日のように拘置所を訪れ、ティッシュはファニーを勇気付け、またファニーもティッシュの訪問に勇気付けられ、二人は将来の夢を語り合う。

もちろんティッシュの家族(姉アーネスティン、父ジョーゼフ、母シャロン)はファニーを救い出そうと懸命の努力を払う。姉アーネスティンの助力もあって、弁護士ヘイワードが動いてくれる。
 
ティッシュは妊娠に気づき、ファニーに報告するとともに、両家族にも報告する。ファニーの家族の中では父フランクがジョーゼフとともに、ファニーのためにできることを探している。とりわけ金策である。

物語はその後、弁護士のたてた方針に従って、ティッシュの母シャロンがプエルトリコに赴き、ファニーが犯人だと証言した被害者プエルトリコ人女性と対決する。

プエルトリコ人と黒人ーー

シャロンは言う。「あたしはスペイン語を喋れないし、島の人間は英語を喋れない。でも、どっちも同じゴミの山にのっかってる。」 (256ページ)

ティッシュは思う。「ここ[NY]に恥があるとすれば、あたし自身が感じているような恥、あたしを”娘よ"と呼ぶ働き者の黒人の婦人たちの恥、あるいは、なにが起こったのかを理解できないままーーだれもスペイン語で彼女たちに説明してあげないからーー愛する人が収監されたことを恥じている誇り高いプエルトリコ人たちの恥。だが、そうした人々が恥いるのはおかしい。ほんとうにに恥じ入るべきは拘置所や刑務所の責任者のほうだ。」(15ページ)

ファニーを無罪だと証明できるのがプエルトリコ人と黒人(ダニエル)で、その二人はともに警察とは関わり合いを持ちたくない……

シャロンの冒険、父ジョーゼフとフランクの金策、そして徐々に近くティッシュの出産。

物語の途中では色々な歌が流れる。ビリー・ホリデイの「マイ・マン」。ロバータ・フラックの「コンペアード・トゥ・ホワット」。アレサ・フランクリンの「それが人生」。レイ・チャールズ。

そして、記憶に残るフレーズの数々。例えばーー

「他人に肉体があることにはじめて気づくのは衝撃的だ。相手も肉体をもっていることに気づいた瞬間から、その人は他人になり、そのことは自分にも肉体があることを気づかせる。人間はこの気づきとともに生き、この気づきが人生を語らせるのだろう。」(75ページ)

「人の心の働きは埃を集める物と似ている。物も心もそれ自体は、なにがなぜ、くっついてくるのかわからない。でも、なんであれ、いったんくっつくと、もう離れてはくれない。」(236ページ)

映画では多分このシーンは使うと思うのだが、どうだろう。

拘置所の二人のシーン。

「あたしたちは見つめ合う。見つめ合っているうちにファニーの背後のドアが開き、看守が現れる。なによりおぞましいのは、ファニーが腰を上げてうしろを振り向く、この瞬間だ。あたしもそこで腰を上げてうしろを向かなくてはならない。けれど、ファニーは冷静さを保つ。彼は立ち上がって拳を突き上げ、微笑んでみせる。あたしの目をじっと見据えながら、少しのあいだその場に立っている。なにかが彼からあたしへと伝わる。愛と勇気。そうよ、そうあたしたちはなんとかしてこれを乗り切る。なんとしてでも。あたしは立ち上がり、拳を突き上げる。」(254ページ)

映画では、シャロンのプエルトリコ訪問、ティッシュの拘置所での面会、そして悪役としての警官ベルのやりとりがどんな風に描かれるだろうか。楽しみだ。

2019年1月24日木曜日

サルトルとキューバ

サルトルのキューバ訪問の記録は以下の本にまとまっている。

Sartre Visita a Cuba: ideología y revolución: una entrevista con los escritores cubanos: huracán sobre el azúcar, Ediciones R, La Habana, 1960.


ところで、タイトルの「Sartre Visita a Cuba(サルトルはキューバを訪問する)」で、前置詞「a」は必要なのだろうか?

通常、というか、今のスペイン語では不要(のはず)。

スペイン王立アカデミーの辞書を引いても、「En sus vacaciones visitó París(休暇でパリを訪れた)」という例文が出てくる。

ただ、マリア・モリネールの辞書(Diccionario de uso del español、初版)の「visitar」を引くと、なんと、冠詞なしで用いられる固有名詞の時には「a」が必要というのが長らく王立アカデミーの説明だったそうである。知っていましたか?

「Visitó a París」とか「Visité a Inglaterra」というわけである。
 
ただし、モリネールは説明を付け加えていて、このように前置詞の「a」を使うのは言語純正主義者ぐらいで、通常は使われていないのだという。というわけで、「a」はなくていい。

でもネットで検索すると、visitarのあとの地名に「a」を前置させているケースは結構ある。

で、本の話をすると、この「Sartre Visita A Cuba」は冒頭にサルトルの文章「Ideología y Revolución」が載っていて、その後に、キューバ作家との対話が数十ページあって、これはかなり貴重な資料。

その模様を撮った写真は例えばこんなもの。真ん中の小さい写真は多分アントン・アルファ。



この中の、フランスの新聞に連載していた「Huracán sobre el azúcar」だけを取り出したのが以下の本。

Jean-Paul Sartre, Huracán sobre el azúcar, Editorial Prometeo, Lima,  出版年不明.


サルトルのキューバ訪問だけを集めたコルダの写真集もあったような気もするのだが、出てこない。買わなかったのかもしれない。

2019年1月3日木曜日

キューバ文学:El Puente 出版

革命後の「革命文学」研究の中で抜け落ちている文化運動についての研究が進んでいる。

María Isabel Alfonso, Ediciones El Puente y los vacíos del canon literario cubano: Dinámicas culturales posrevolucionarias, Universidad Veracruzana, Veracruz, 2016.



この本は、1961年から65年まで存在した出版社「El Puente」の活動を当時の資料を使って論じたもの。

El Puenteが出した雑誌の編集長はホセ・マリオさんで、この人はドキュメンタリー『Improper Conduct』でも証言している。

この出版社はアフロキューバ系ほか、かつては排除されていた人々の実験的な表現に力を入れていた。が、当時の主流な知識人たち、例えばヘスス・ディアスやその雑誌「Caimán Barbudo」から攻撃を受けていた。

そのためこれまであまり研究されることがなかった。しかしこのところーーと言ってもそれなりに時間は経っているがーー、例えばアントニオ・ホセ・ポンテなどもこちらで言及している。

この本はタイトルにあるように、革命文化の正典を作り上げようとする中にあって、El Puente出版の意義を認めようとしているものだ。文学のみならず、音楽や映画の事情もそれなりに触れている。

--------------------

12月31日の映画館はがらがら。


下は2019年1月2日の雑司が谷で。


2018年12月28日金曜日

キューバ文学史

キューバ文学史は、最近では以下の3巻本が便利である。

Instituto de Literatura y Lingüística, Historia de la literatura cubana, Tomo I, II, III, Letrac Cubanas, 2002, 2003, 2008.

第1巻は「植民地期:起源から1898年」。表紙の絵はエステーバン・シャルトランの「夜明け」。



第2巻は「1898年から1958年。共和国期」。表紙はレネ・ポルトカレーロの「セーロの内部」。この絵は1943年に描かれた。



第3巻は「1959年から〇〇年まで」。さて何年までだろう?


ご覧の通り、「革命期(1959-1988)」。そして1989年から1999年までの文学も補遺として掲載。

表紙の絵はセルバンド・カブレラ・モレーノの「農民兵」(1961)。

2018年12月19日水曜日

キュアロン&セルジオ

アルフォンソ・キュアロン監督のメキシコ映画『ローマ(Roma)』をみた。

1970年代初頭のメキシコシティ、ローマ地区(Colonia Roma)に暮らす中流階級の上の方(Clase media alta、アッパーミドル)に属する家族の物語。

キュアロン監督は1961年生まれなので、彼が10歳くらいのときの、かなり自伝的で、当時の地区の雰囲気を再現したものなのだろう。

大きな屋敷で、大きな車があって、家族も大きくて(3世代)、父は留守で(場合によっては家を出ていて)、住み込みの使用人がいる。メキシコシティに住んだ経験のある人なら、こういう家は結構想像がつくのではないか。

ストーリーには、この映画を賞賛しているエレナ・ポニアトウスカの短篇「El limbo」(『De noche vienes』所収)と少々似通ったところがある。使用人の女性が妊娠してしまったのを、彼女を雇っている家族が助けようとするというエピソードだ。

その後、エルネスト・ダラーナス監督のキューバ映画『セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー!』をみた。

こちらの方は1991年のハバナ、セントロ・ハバナ地区に暮らす家族と、宇宙ステーションにいるロシア人の話。

ダラーナス監督はキュアロン監督と同じ年に生まれ、1990年代の経済危機の頃は30代だった。監督によれば、その時の思い出はむしろ素晴らしかったとのことで(映画パンフレットに載っていたインタビュー)、だからファンタジーとして描くことができたのだろう。

いかだを作ったり、密造酒を作ったりして、なんとか切り抜けたキューバ人たちが出てくるが、こういうエピソードは多くの作家がいろんな小説で描いている。

主人公はアマチュア無線を趣味として、マルクス主義を教える大学の先生で、大学のシーンも多々出てくる。撮影場所として使われたのは国立芸術学校(ENA)だろう。

映画についての辛口の批判は例えばこちら